ミゲル・アンヘル・ポルトゥガル
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名前 | ||||||
本名 |
ミゲル・アンヘル・ポルトゥガル・ビカリオ Miguel Ángel Portugal Vicario | |||||
ラテン文字 | Miguel Ángel Portugal | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | スペイン | |||||
生年月日 | 1955年11月28日(68歳) | |||||
出身地 | ブルゴス | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ミゲル・アンヘル・ポルトゥガル・ビカリオ(Miguel Ángel Portugal Vicario, 1955年11月28日 - )は、スペイン・ブルゴス出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはMF(サイドハーフ)。
経歴
地元のクラブのブルゴスCFの下部組織出身で、1977年にトップチームデビューした。1979年にレアル・マドリードに移籍し、アルフレッド・ディ・ステファノ監督らの下でプレーした。1981年にはUEFAチャンピオンズカップの決勝に進出したが、リヴァプールFCに敗れた。リーガ・エスパニョーラとコパ・デル・レイのタイトルを獲得している。その後はラーヨ・バジェカーノやCDカステリョンなどでプレーし、コルドバCFを最後に引退した。
コーチライセンス取得後、3部のヒムナスティカ・アランディナの監督に就任。1998-99シーズンに指揮したレアル・マドリードBでは、チームを2部昇格リーグに導いた。CDトレドの監督を経て、レアル・マドリードの国際部門を担当し、世界各国を駆け巡った。コルドバCFにスポーツ部長として復帰し、2003-04シーズンには監督を務めた。再びレアル・マドリードに戻ると、トップチームのヴァンデルレイ・ルシェンブルゴの辞任によりカスティージャのフアン・ラモン・ロペス・カロがトップチームの監督に就任したため、ポルトゥガルがレアル・マドリード・カスティージャの監督に就任した。2006年にラシン・サンタンデールの監督に就任すると、ニコラ・ジギッチやペドロ・ムニティスらの個性を十分に生かしたチームを作り、それまで残留争いの常連だったクラブを10位に躍進させた。2009年11月19日、降格圏近くに低迷していたラシン・サンタンデール監督に復帰すると、その後の14試合で勝ち点27を挙げ、チーム状態を立て直した。2009-10シーズン後半戦はわずか3勝しか挙げられず、最終節まで残留が決まらなかったが、最終節のスポルティング・ヒホン戦に勝利して16位でシーズンを終えた[1]。2010-11シーズンは開幕から不振にあえぎ、16位と低迷していた2011年2月に解任された[2]。
所属クラブ
- 1981-1982 → カディスCF (loan)
- 1983-1984 ラーヨ・バジェカーノ
- 1984-1985 CDカステリョン
- 1985-1987 レアル・ブルゴスCF
- 1987-1988 レアル・バリャドリード
- 1988-1991 コルドバCF
指導者経歴
- ヒムナスティカ・アランディナ
- レアル・マドリードC 1997-1998
- レアル・マドリードB 1998-1999
- CDトレド 1999
- コルドバCF 2003-2004
- レアル・マドリード・カスティージャ 2005-2006
- ラシン・サンタンデール 2006-2007
- レアル・マドリードテクニカルディレクター 2008
- ラシン・サンタンデール 2009-2011
- クラブ・ボリバル 2012-2013
- アトレチコ・パラナエンセ 2014
- レアル・バリャドリード 2015-2016
- CSコンスタンティーヌ 2016
- デリー・ディナモスFC 2017-2018
- グラナダCF 2018-
脚注
- ^ footballista、2010年4月7日号
- ^ ラシンがポルトゥガル監督との契約を解除 UEFA.com、2011年2月8日
外部リンク
- ミゲル・アンヘル・ポルトゥガル - BDFutbolによる個人成績 (英語)
- ミゲル・アンヘル・ポルトゥガル - BDFutbolによる監督成績
- ミゲル・アンヘル・ポルトゥガル - WorldFootball.net