ファッツ・ドミノ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。ROE100 (会話 | 投稿記録) による 2022年11月26日 (土) 08:05個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎脚注: tmp)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ファッツ・ドミノ
西ドイツ公演(1977年)
基本情報
出生名 アントワーヌ・ドミニク・ドミノ・ジュニア[1]
生誕
死没
ジャンル
職業 シンガーソングライター
担当楽器
活動期間 1949年 - 2017年
レーベル
共同作業者 デイヴ・バーソロミュー

アントワーヌ・ドミニク・ドミノAntoine Dominique Domino Jr., 1928年2月26日 - 2017年10月24日)は、ファッツ・ドミノFats Domino)の名で知られるアメリカ合衆国シンガーソングライター

1950年代から1960年代初期にかけてアメリカで最も売れた黒人歌手のひとりである。ストライド奏法とブギウギの影響を受けた独自のブルース調のスタイルでピアノを演奏した。代表曲は、"Blueberry Hill"、"Ain't That A Shame"、"Walking To New Orleans"、"I'm Walkin'"、"Blue Monday"など。

ロックンロールの創始者の一人と言われており、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第25位だった。

略歴

1949年インペリアル・レコードより"Detroit City Blues"でデビュー。B面に収録された"The Fat Man"がR&Bチャート2位の大ヒットを記録する。インペリアルには1963年まで在籍し、デイヴ・バーソロミューのプロデュースと共作のもと、リー・アレンハーブ・ハーデスティ(テナー・サクソフォン)、ウォルター・"パプース"・ネルソン、ロイ・モントレル(ギター)、コーネリアス・コールマン(ドラムス)ら強力なミュージシャンを揃え、数多くのヒットを世に送り出した[3]

1963年ABCレコードへ移籍するものの、以後インペリアル時代に匹敵するヒットは生まれていない。

1986年ロックの殿堂入りを果たしている。

ニューオーリンズのロウワー・ナインス・ワード (下9地区) に自宅を構えていたが、2005年のハリケーン・カトリーナで浸水。一時は行方不明と伝えられたが[4]無事救出された。

2006年には、カトリーナの前にレコーディングした新作「Alive & Kickin'」をリリースした。同年春のニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテッジ・フェスティバルでは、最終日のトリを務める予定であったが、当日になってから体調不良を理由にキャンセル。演奏はしなかったものの、会場には現れ、ステージから観客に対し、演奏できないことを謝罪した。

ビートルズも彼をリスペクトしており、ジョン・レノンは『ロックン・ロール』、ポール・マッカートニーは『バック・イン・ザ・U.S.S.R.』で「エイント・ザット・シェイム」をカバーし、ポールは「アイム・イン・ラヴ・アゲイン」をカバーしている。奇しくも「アイム」はジョージ・ハリスンが「初めて買ったロックのレコードだ」と発言していた。また、ビートルズが1968年3月にリリースした「レディ・マドンナ」はポールが「ドミノのモノマネをしながら歌い始めた」と作曲時のエピソードを語っている。同曲はドミノが同年8月にカバー・シングルをリリースし、同年のアルバム『Fats Is Back』に「ラブリー・リタ」のカバーとともに収録している。なお1964年にアメリカツアー中のビートルズと対面している。

2017年10月24日にルイジアナ州で死去[5]

脚注

外部リンク

  • "ファッツ・ドミノ". ロックの殿堂. (英語)
  • ファッツ・ドミノ - オールミュージック (英語)