ビリャビシオサ

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Villaviciosa

  


 アストゥリアス州
 アストゥリアス県
面積 276.23 km²
標高 620m
人口 14,820 人 (2014年)
人口密度 53.65 人/km²
住民呼称 maliayo/a
Villaviciosaの位置(スペイン内)
Villaviciosa
Villaviciosa
スペイン内ビリャビシオサの位置
Villaviciosaの位置(アストゥリアス州内)
Villaviciosa
Villaviciosa
アストゥリアス県内ビリャビシオサの位置

北緯43度28分0秒 西経5度27分0秒 / 北緯43.46667度 西経5.45000度 / 43.46667; -5.45000座標: 北緯43度28分0秒 西経5度27分0秒 / 北緯43.46667度 西経5.45000度 / 43.46667; -5.45000

ビリャビシオーサスペイン語: Villaviciosa)は、スペインアストゥリアス州コンセユ(基礎自治体)。同名の教区ビリャビシオーサを中心とした、41の教区から構成されている。

ビリャビシオーサは、シドラリンゴ酒)の品質の良さ、そしてプマラエス(Pumaraes、アストゥリアスでリンゴ果樹園を意味する)の豊富なことで知られている。中世にはマリアヨ(Maliayo)と呼ばれていたため、住民の呼称は複数形でmaliayésである。現在の地名ビリャビシオーサとは、「肥沃な村」を意味する。

歴史[編集]

地理的条件、気候の良さ、肥沃な土地が亜旧石器時代からあったと考えられている。要塞化した居留地であるヒルフォート(スペイン語でCastro)も多種多様に存在しており、特に西部の河口付近に多く集まっている。ローマ人の定住を物語る墓石や碑がコンセユ各地で見つかっている。ローマ人ヴィラ跡は、現在のロディーレス浜スペイン語版付近の河口にあった。

アストゥリアス王国時代になると、住民はロディーレスからアマンディスペイン語版カモカスペイン語版へ移動した。

レオンアルフォンソ9世は、この地域への再植民を始めた。カスティーリャアルフォンソ10世時代の1270年、ビトリアでの文書にて町(または村)の地位が与えられた。同時代に、厳律シトー会サンタ・マリア・デ・バルデディオス修道院スペイン語版荘園を築き、民への布教を行った。14世紀にビリャビシオーサと名が改められた。住民は司教を助け、エンリケ王子の庇護を受けたヒホン伯爵と争いを続けた。15世紀終わりには町が大火で荒廃したために、カトリック両王はビリャビシオーサ全体の再建のため資金を提供する布告を行った。サンタ・マリア教会に近接して建っていた病院は、地元住民よりむしろ海上のサンティアゴの巡礼路を行く巡礼者たちが立ち寄っていた。

1517年、嵐のためサンタンデール上陸をあきらめた神聖ローマ皇帝カール5世が、タソネススペイン語版の漁港に上陸した。教区の代表者たちは、皇帝と妹レオノールをビリャビシオーサへ案内し、皇帝一行はロドリーゴ・デ・エビア邸に3泊4日滞在した。

17世紀、ビリャビシオーサには上流階級の邸宅、宮殿や広場が建設され、都市の景観が現れた。19世紀、スペイン独立戦争ではビリャビシオーサはフランス軍によって数回占領された。

地理[編集]

カンタブリア海に近い場所に位置する。北部には入り江リア・デ・ビリャビシオーサスペイン語版があり、一帯にヨーロッパウナギハシボソヨシキリ英語版キンスジサラマンダー英語版などが生息している。2011年にラムサール条約登録地となった[1]

人口[編集]

ビリャビシオサの人口推移 1842-2010
出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[2]、1996年 - [3]

教区[編集]

漁港の町タソネス
  • アマンディ
  • アンバス
  • アルギュエロ
  • アルニン
  • アロエス
  • ベドリニャナ
  • ブレセニャ
  • カモカ
  • カンダナル
  • カルダ
  • カレニェス
  • カスティエーリョ
  • カサネス
  • セラダ
  • コロ
  • エル・ブスト
  • フエンテス
  • グラッス
  • ラ・リェラ
  • ラ・マグダレーナ
  • ルガス
  • マル
  • ミラバリェス
  • ニエバレス
  • オレス
  • ペオン
  • プリエスカ
  • プエリェス
  • キンテス
  • キントゥエレス
  • ラレス
  • ロサダス
  • サン・フスト
  • サンタ・エウヘニア
  • セロリオ
  • タソネス
  • トルノン
  • バルデバルサナ
  • バリェス
  • ビリャベルデ・ラ・マリーナ
  • ビリャビシオサ

経済[編集]

第一次産業従事者(牧畜、酪農、漁業)が約35%、第二次産業従事者(飲料、特にシドラ)が約19%、第三次産業従事者(特に観光業)が約45%となっている。

史跡[編集]

ビリャビシオーサには、プレロマネスク様式英語版ロマネスク様式の教会建築が数多くある。

姉妹都市[編集]

出身者[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]