バラーナヴィチ
バラーナヴィチ[注 1](ベラルーシ語: Баранавічы )は、ベラルーシ共和国の都市である。ベラルーシ西部のブレスト州に属する。人口は 168200 人(2010年)[1]。
ロシア語名から、バラーノヴィチ[注 2]( Барановичи )とも呼ばれる。
地理
[編集]ベラルーシにおける鉄道交通の要所である。ミンスクとブレストの中間地点に位置しており、北上してリトアニアのヴィリニュスにも通じている。
歴史
[編集]史料では1706年に初出。18世紀末、ポーランド分割によってロシア帝国領となった。1870年代より鉄道路線の結節点として重要な役割を果たし、この都市でワルシャワ・モスクワ線とヴィリニュス・リヴィウ線が交差することになった。これを契機に人口が増加し、1880年代には約2000人、1890年代末には約4600人となった。その半数がユダヤ人だと推測される。第一次世界大戦後にポーランド第二共和国が占領し、1919年に都市としての地位を認められた。当時の街の人口は11000人ほどであった。ポーランドに正式に併合されたのち、商業・興業の発展を背景として、1938年にはポーランド・ラジオ局の支局も開設された。この頃には人口はおよそ30000人にまで達し、周辺地域における最大規模の都市となった。
独ソ不可侵条約を経て第二次世界大戦が勃発すると、まもなくポーランド侵攻を行ったソ連軍によって占領された。その後、1941年の独ソ戦勃発にともないナチス・ドイツによって占領された。ユダヤ人はゲットーに押し込められ劣悪な生活環境におかれ、まもなく各地の強制収容所に連行されて処刑された。1944年7月、街は赤軍に占領された。
第二次世界大戦後はソビエト連邦内のベラルーシ・ソビエト社会主義共和国に属し、この時期にさらなる工業化が推進された。1991年のソビエト連邦の崩壊後は、独立ベラルーシ共和国に属することになった。
姉妹都市
[編集]- en:Heinola、フィンランド 1978年
- en:Stockerau、オーストリア 1989年
- グディニャ、ポーランド 1993年
- ノヴォヴォルィーンシク、ウクライナ 1995年
- 赤壁市、中国 1997年
- フェラーラ、イタリア 1998年
- サンクトペテルブルク、ロシア 1998年
- カルロヴォ、ブルガリア 1999年
- ムィティシ、ロシア 2000年
- en:Biała Podlaska、ポーランド 2001年
- シャウレイ、リトアニア 2001年
- キネシマ、ロシア 2002年
- イェルガヴァ、ラトビア 2003年
- en:Nacka、スウェーデン 2005年