バディ・リッチ

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"バディ"・リッチ
Buddy Rich at the Arcadia Ballroom in New York City in May 1947.
基本情報
生誕 (1917-09-30) 1917年9月30日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ニューヨーク州ブルックリン
死没 (1987-04-02) 1987年4月2日(69歳没)
ジャンル スウィング・ジャズジャズ・ファンク
担当楽器 ドラム

バーナード・"バディ"・リッチBernard "Buddy" Rich, 1917年9月30日 - 1987年4月2日)は、アメリカ合衆国ジャズドラマー

非常に細かく刻んだ音符を速く、正確に、しかも長時間叩き続けるといういわゆる超絶技巧を得意とし、なおかつグルーブ感を損なわない彼の音にはレア・グルーヴのファンも多い。アメリカではビッグバンドジャズの新境地を開いた人物として多くのファンから尊敬されている。

生涯

1917年9月30日ニューヨーク州ブルックリンに生まれる。ヴォードヴィリアンヴォードヴィル芸人)であるユダヤ系アメリカ人にもつ。父親はリッチがスプーンで正確なリズムを刻んでいることに気付き、1歳よりドラムスティックを持たせ、1歳半でヴォードヴィルにて演奏し始めた。タップダンスの才能も開花するようになる。ドラムの専門的な教養を持たなかった(彼は読譜力がなかった)が、11歳でバンドリーダーとしてもパフォーマンスをし始めた。

1937年ジョー・マーサラ楽団に加入し、それ以後から1940年代にかけてバニー・ベリガンアーティ・ショウトミー・ドーシー等のスウィング・バンドで活躍した。1950年代にはハリー・ジェイムス楽団等のスター・ドラマーとして参加した。1959年心臓発作に見舞われ入院、医師よりドラムを止めるように言われたが、退院後まもなくドラムを再び演奏し始めた。

1966年に自己のバンドを持ち、以後晩年までジャズ・ドラマー、バンドリーダーとしてトップを走る。1970年代にはファンク色の強い音を打ち出し、ジャズ・ファンクやレア・グルーヴのファンからも人気を得た。

1987年4月2日ロサンゼルスで没する。

死後も多くのアーティストに影響を及ぼし続けている。1994年と1997年に発売されたトリビュート・アルバム2部作には、マックス・ローチビリー・コブハムオマー・ハキムスティーヴ・スミスビル・ブルーフォードニール・パートスティーヴ・ガッドサイモン・フィリップスデイブ・ウェックルマット・ソーラム等人気ドラマーが集結した。

2008年10月、ニューヨークで行われたトリビュート・コンサートには、テリー・ボジオチャド・スミスピーター・アースキン、ニール・パートなどといった、ジャンルを超えた名ドラマーが集結した。

ディスコグラフィ

代表曲

  • "Big Swing Face"
  • "Nuttville"
  • "Time Check"
  • "Ya Gotta Try"
  • "The West Side Story Medley"
  • "CHANNEL ONE SUITE"

アルバム(不完全)

タイトル 発売年 注釈
Buddy and Sweets 1955 Norman Records
Rich Versus Roach 1959 PolyGram Records
Swingin' New Big Band" 1966 Pacific Jazz
Big Swing Face 1967 Pacific Jazz
Mercy, Marcy 1968 Pacific Jazz
Keep The Customer Satisfied 1970 Pacific Jazz
A Different Drummer 1971 RCA
Rich In London 1971 RCA
Stick It 1972 RCA
The Roar Of '74 1974 Groove Merchant
Very Live At Buddy's Place 1974 Groove Merchant
Big Band Machine 1975 Groove Merchant
Plays And Plays And Plays 1977 RCA

外部リンク