バジル・ホール・チェンバレン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Kanjybot (会話 | 投稿記録) による 2015年8月18日 (火) 14:39個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (WP:BOTREQ {{NDLDC}} 導入)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

バジル・ホール・チェンバレン

バジル・ホール・チェンバレンBasil Hall Chamberlain, 1850年10月18日 - 1935年2月15日)は、イギリスの日本研究家。東京帝国大学文学部名誉教師。アーネスト・サトウウィリアム・ジョージ・アストン(William George Aston)とともに、19世紀後半~20世紀初頭の最も有名な日本研究家の一人。彼は俳句を英訳した最初の人物の一人であり、日本についての事典"Things Japanese"や『口語日本語ハンドブック』などといった著作、『古事記』などの英訳、アイヌ[1]琉球[2]の研究で知られる。「王堂」と号して、署名には「チャンブレン」と書いた。

人物

チェンバレンは1850年、ポーツマス近郊のサウスシー(Southsea)で、父親はイギリス海軍少将。母親は『朝鮮・琉球航海記』の著者であるイギリス軍人バジル・ホールの娘。後にドイツに帰化した政治評論家・脚本家のヒューストン・チェンバレンは彼の末弟であり、リヒャルト・ワーグナーはその舅で、ワーグナー家とも晩年交流があった。

就学と就職

1856年、彼は母親イライザの死によって母方の祖母とともにヴェルサイユに移住した。それ以前から英語とフランス語の両方で教育を受けていた。またフランスではドイツ語も学んだ。帰国し、オックスフォード大学への進学を望んだがかなわず、チェンバレンはベアリングス銀行へ就職した。彼はここでの仕事に慣れずノイローゼとなり、その治療のためイギリスから特に目的地なく出航した。

お雇い外国人

1873年5月29日お雇い外国人として来日したチェンバレンは、翌1874年から1882年まで東京の海軍兵学寮(後の海軍兵学校)で英語を教えた。ついで1886年からは東京帝国大学の外国人教師となった。ここで彼は"A Handbook of Colloquial Japanese"(『口語日本語ハンドブック』、1888年)、"Things Japanese"(『日本事物誌』、1890年初版)、"A Practical Introduction to the Study of Japanese Writing"(『文字のしるべ』、1899年初版、1905年第二版)などの多くの著作を発表した。"Things Japanese"の中で新渡戸稲造の著作BUSHIDOに触れているが愛国主義的教授(nationalistic professor)と批判的である。[3]さらに彼はW.B.メーソンと共同で旅行ガイドブックの『マレー』の日本案内版である"A Handbook for Travellers in Japan"1891年)も執筆し、これは多くの版を重ねた。1904年ごろから箱根の藤屋(富士屋)に逗留し近くに文庫を建てて研究を続けていたが、眼病にかかったため[4]、1911年離日、東京帝大名誉教師となった。以降はジュネーヴに居住した。箱根宮ノ下では、堂ヶ島渓谷遊歩道をチェンバレンの散歩道と別称している。

交友関係

ラフカディオ・ハーン

チェンバレンはラフカディオ・ハーン(小泉八雲)と親交があった。この仲はのちにやや疎遠となってしまうが、往復書簡集が残っている。

チェンバレンとその秘書であり親子同然の間柄でもあった杉浦藤四郎(1883~1968)の蔵書、書簡等よりなるチェンバレン・杉浦文庫が愛知教育大学にある。

君が代

[5]

1880年(明治13年)、日本の国歌として『君が代』が採用された。君が代は10世紀に編纂された『古今和歌集』に収録されている短歌の一つである。チェンバレンはこの日本の国歌を翻訳した。日本の国歌の歌詞とチェンバレンの訳を以下に引用する[6]

君が代の楽譜
君が代は

千代に八千代に
さざれ石の
巌(いわお)となりて

苔(こけ)のむすまで — 君が代、日本の国歌

A thousand years of happy life be thine!
 Live on, my Lord, till what are pebbles now,
 By age united, to great rocks shall grow,
 Whose venerable sides the moss doth line.

汝(なんじ)の治世が幸せな数千年であるように
われらが主よ、治めつづけたまえ、今は小石であるものが
時代を経て、あつまりて大いなる岩となり
神さびたその側面に苔が生(は)える日まで

この歌は皇統の永続性がテーマとされる[7]和田真二郎 『君が代と萬歳』、小田切信夫『国歌君が代の研究』では、チェンバレンの英訳を高く評価している。

俳句

チェンバレン訳の芭蕉「古池や、蛙飛び込む、水の音」

The old pond, aye! / and the sound of a frog / leaping into the water.

批判

チェンバレンが日本語文法書を書いたことが国辱的と感じる谷千生山田孝雄のような人もいた。また、彼の西洋中心主義も非難されるところであった[8]

チェンバレンは日本文学に対し、非常に低い評価をしており、「才能とオリジナリティ、思想、倫理的把握、奥深さ、幅広さが欠けており、詩歌も知性に欠けて可憐なだけである」と評したが、日本研究者のリチャード・バウリング(Richard Bowring)は、「チェンバレンによる和歌の翻訳は古色蒼然とした詩的表現のまわりに沢山のつぎはぎ」をしたものであり、チェンバレンの下した評価は彼が考える「英語で詩的なものとは何か」が「日本の詩歌に欠けている」という意味しかない、と批判している[9]。また、アーサー・ウェイリーもチェンバレンの翻訳に不満を持ち、その日本文学論に反論、ラフカディオ・ハーンも、チェンパレンの『日本事物誌』の音楽、神道、文学などの項目について異を唱えた[9]

著書リスト

  • The Classical Poetry of the Japanese.(1880年)
  • A Translation of the 'Ko-Ji-Ki'.(1883年)
  • The Language, Mythology, and Geographical Nomenclature of Japan Viewed in the Light of Aino Studies.(1887年)
  • Aino Folk-Tales.(1888年)
  • A Handbook of Colloquial Japanese.(1888年)
  • Things Japanese(1890年から1936年まで、6版を重ねた)
  • A Handbook for Travellers in Japan(第3版、1891年。W.B.メーソンとの共著。これ以前の版にはチェンバレンの手は入っていない)
  • Essay in aid of a grammar and dictionary of the Luchuan language.(1895年)
  • A Practical Introduction to the Study of Japanese Writing (Moji no Shirube)(初版1899年、第2版1905年)
  • "Bashō and the Japanese Poetical Epigram." Asiatic Society of Japan, vol. 2, no. 30, 1902 (some of his translations are included in Faubion Bowers' "The Classic Tradition of Haiku: An Anthology", Dover Publications, 1996, 78pp. ISBN 0-486-29274-6)
  • Japanese Poetry. 1910.
  • The Invention of a New Religion. 1912. web page, plain text Incorporated within Things Japanese from 1927.
  • Huit Siècles de poesie française. 1927.
  • . . . encore est vive la Souris.(1933年)

邦訳

  • 日本上古史評論 チャンバーレン 飯田永夫訳 史学協会出版局 1888
  • 戦時日本の内情を衝く チヤンバーレン 上村文三訳補 大文字書院 1938
  • 鼠はまだ生きている B.H.チェムバレン 吉阪俊蔵訳 岩波新書 1939 - ジュネーブで隠遁していた時にイギリスの新聞が死亡記事を書いた顛末
  • 日本事物誌 全2巻 高梨健吉訳、平凡社東洋文庫 1969、ワイド版2004
  • 王堂チェンバレン その琉球研究の記録 山口栄鉄編訳 琉球文化社 1976
  • 日琉語比較文典 山口栄鉄編訳 琉球文化社 1976
  • 日本人の古典詩歌 川村ハツエ訳 七月堂 1987
  • チェンバレンの明治旅行案内 横浜・東京編 W.B.メーソン共著、楠家重敏訳 新人物往来社 1988
  • 「日本口語文典」全訳 チャンブレン 丸山和雄,岩崎攝子訳 おうふう 1999
  • 『日本語口語入門』第2版翻訳 大久保恵子編・訳 笠間書院 1999
  • 琉球語の文法と辞典 日琉語比較の試み 山口栄鉄編訳 琉球新報社 2005
  • 『文字のしるべ 影印・研究』 岡墻裕剛編著 勉誠出版 2008

伝記

  • 佐佐木信綱編 『王堂チェンバレン先生』 好学社、1948年。
  • 太田雄三 『B.H.チェンバレン 日欧間の往復運動に生きた世界人』 リブロポート(シリーズ民間日本学者)、1990年。
  • 『近代文学研究叢書 第38巻』、昭和女子大学近代文化研究所、1973年。
  • 楠家重敏 『ネズミはまだ生きている チェンバレンの伝記』 雄松堂出版「東西交流叢書」、1986年、新版2010年。

脚注

  1. ^ Aino Folk-Tales by Basil Hall Chamberlain - Project Gutenberg
  2. ^ バジル・ホール・チェンバレン原著・山口栄鉄編訳/解説『琉球語の文法と辞典-日琉語比較の試み-』琉球新報社、2005年。ISBN 4-89742-065-2
  3. ^ BUSHIDO The Soul of Japan A Classic Essay on Samurai Ethics Inazo Nitobe ISBN4-700-2731-1 11頁
  4. ^ 欧洲大戦当時の独逸]ベルツ花子、審美書院、昭和8
  5. ^ この章は、ベン・アミー・シロニー(著) Ben‐Ami Shillony(原著)『母なる天皇―女性的君主制の過去・現在・未来』大谷堅志郎 (翻訳)、29-30頁。 (第8章1『日本王朝の太古的古さ』)を参照。
  6. ^ 英訳は『国歌君が代の研究』より。和訳はシロニー(2003)、30頁より引用。
  7. ^ シロニー(2003)、29頁。 (第8章1『日本王朝の太古的古さ』)。
  8. ^ 山東功『日本語の観察者たち』(岩波書店 2013年pp.181-196)。
  9. ^ a b 海界の風景-ハーンとチェンバレンそれぞれの浦島伝説 牧野陽子、成城大学

関連項目

外部リンク