ハッスルMAN'Sワールド

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ハッスルMAN'Sワールド(ハッスル・マンズ・ワールド)は、日本プロレス団体

概要

2010年7月21日に団体設立が発表された(旗揚げ戦までに正式な法人登記を行う予定だった)[1]。団体の代表には坂田亘が就任するほか、経営面を担当するCEOとして元新日本プロレス社長の草間政一が就任する。発足時点で所属選手は坂田を含め3名と、非常に小規模な形でスタートする。

2010年9月10日新宿FACEで旗揚げ戦を行った。また2010年7月に「ハッスルの兄弟イベント」としてスタートした小規模興行「ジェッツ」についても関わりを持つと見られる。

2011年3月、長らくハッスルを支えた山口日昇がいつもの失踪癖により離脱(現在は出版界に戻り「KAMINOGE」を編集)。また、坂田亘も離脱と一部報道にあったが[2]、坂田本人は離脱を否定した[3](後の「ハッスルマンズワールド6」で復活参戦した)。直後のイベント「ハッスルMAN'Sワールド#5」は、山口・坂田のツートップ不在の中、強行された[4]。以降はファースト・オン・ステージ及びプロレスリングZERO1との協力関係を強化しつつ継続する方向(4月23日の大会は中止とされ、ZERO1に振り替えられた)。

5月28日の「ハッスルマンズワールド6」ではハッスルマンズ軍解散を懸けた試合が組まれるも勝利して解散は免れたが、それ以降は自主興行が行われなくなった。

11月9日のZERO1後楽園大会にて、12月8日のZERO1新宿大会より活動を再開することが発表され、提供試合が組まれた。この時点では坂田は離脱済み。その後もZERO1に試合提供を続ける他、KAIENTAI DOJOにも参戦している。

2012年3月2日、中村カントクより「終結宣言」が下され、「ハッスルマンズワールド」の活動は一区切りとなった。これに伴い、2004年から続いた「ハッスル」ブランドの興行は事実上消滅となったが、選手はハッスルマンズワールド所属のままそれぞれZERO1以外の他団体に参戦していくことを宣言していた。

4月1日に若鷹ジェット信介は株式会社エクスカリバーを設立し、上田祐介(@UEXILE)もエクスカリバーと契約。

9月にエクスカリバーが管理するTAKESHIBAコロシアム(ZERO1道場。かつてはハッスルが使用した時期もあった)で開催された「若大将CUP」では若鷹ジェット信介監督の「HMW☆極軍」を結成し、上田も一員として再デビューを果たした。

現在、2人はともにハッスルMAN'Sワールド(エクスカリバー)所属のまま出身地である福岡に戻り、華☆激九州プロレスFTOなど九州のローカルインディやK-DOJO福岡大会に参戦している。

若鷹ジェット信介は、ハッスルMAN'Sワールド最終興行をハッスル旗揚げの場であるさいたまスーパーアリーナで開催することを目指している。

最終所属選手

スタッフ

レフェリー

リングアナウンサー

途中退団した所属選手

フリー、他団体参戦選手

来日外国人選手

大会一覧

ハッスルMAN'Sワールド

大会名 開催年月日 会場 開催地
ハッスルMAN'Sワールド 1 2010年9月10日 新宿FACE 東京都新宿区
ハッスルMAN'Sワールド 2 2010年10月27日 後楽園ホール 東京都文京区
ハッスルMAN'Sワールド 3 2010年12月2日 新宿FACE 東京都新宿区
ハッスルMAN'Sワールド 4 2011年1月27日 新木場1stRING 東京都江東区
ハッスルMAN'Sワールド 5 2011年4月2日 新木場1stRING 東京都江東区
ハッスルMAN'Sワールド 6 2011年5月28日 新木場1stRING 東京都江東区

ジェッツ

大会名 開催年月日 会場 開催地
ジェッツ 1 2010年7月10日 西調布格闘技アリーナ 東京都調布市
ジェッツ 2 2010年11月2日 新木場1stRING 東京都江東区
ジェッツ 3 2010年12月4日 西調布格闘技アリーナ 東京都調布市
ジェッツ 4 2010年12月28日 新木場1stRING 東京都江東区

脚注

外部リンク