サンジェイ・ダット (プロレスラー)

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サンジェイ・ダット
Sonjay Dutt 2011.jpg
プロフィール
リングネーム サンジェイ・ダット
シュワッグ・ダット
モンスターJ
サモサ・モンスター
本名 リテーシュ・バラ
ニックネーム オリジナルプラヤ・フロム・ザ・ヒマラヤ
ザ・マムー
アメリカンモンキー
ザ・グルー
身長 173cm
体重 84kg
誕生日 1982年4月7日(32歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ワシントンDC
トレーナー ラリー・シャープ
ジョン・ダルトン
デビュー 2000年
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サンジェイ・ダットSonjay Dutt1982年4月7日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーワシントンDC出身。

CZWTNAROHなどといったプロレス団体を主戦場として活動している。[1]

来歴[編集]

インド人移民の家庭のもとで[2]米国のワシントンDCに生を享け[1]ジョージ・メイソン大学電気通信を専攻した。インドを訪れたのは1991年が最後であった。父親はプロレスの大ファンであったという。[2]

やがてラリー・シャープのもとで訓練を積み、2000年の9月にプロレスラーとしてのデビューを飾り、2003年からコンバット・ゾーン・レスリングのマットに本格的に参入。[1] さっそく4月にCZWのベスト・オブ・ザ・ベスト選手権へと出場し、クリス・キャッシュマーク・ブリスコトレント・アシッドと勝ち進み、初出場にして決勝にまで進出するも、その決勝戦でBボーイを相手に破れ退いた。[3]

この年―2003年にあっては、IWAミッドサウスのマットに参戦することにもなり、この団体の主催する『デスマッチの祭典』―キング・オブ・ザ・デスマッチ選手権へと初出場。アレックス・シェリーと当たった1回戦目で敗退するも、もう一戦を敢行し、アダム・フラッシュと組んだうえでアレックス・シェリー∽ジミー・ジェイコブス組とネイト・ウェッブM-Dogg 20組を制圧。[4] それから間もなくJCベイリーを相手に梯子を使ったデスマッチを行い、これを制すと同時にIWAミッドサウスのライトヘビー級王座を獲得。[1] 年も暮れの頃にはCZWの『ケージ・オブ・デス』という大会を舞台にラッカスを下しCZWのジュニアヘビー級王座を戴冠。この頃からTNAROHに参戦し始めることにもなった。[5]

2004年にはベスト・オブ・ザ・ベスト選手権への2度目の出場を果たし、ネイト・ウェッブピーティー・ウィリアムズボビー・クアンスと勝ち進んでゆきまたしても決勝へ。その決勝戦にてついにはロドリック・ストロングを下し、この大会の優勝者の座に君臨するに至る。[3] そして7月になると日本の地を踏み、『モンスターJ』というギミックをもってハッスルへと参戦。[1] さっそくジョシュ・ダニエルズと組んだうえで、カズ・ハヤシスパンキー組とのタッグマッチを行った。[6] それからハッスルのマットを舞台に高田モンスター軍に加入したうえで活躍を見せ[7]、やがてはTNAインパクトを通してTNAのマットへの本格的な参戦を開始した。[1]

それから2005年を通して日本のZERO1のマットに登場しつつTNAを主戦場として活動し[1]、2006年にはベスト・オブ・ザ・ベスト選手権への3度目の出場を果たすも、マット・サイダルを相手に1回戦目で敗退。[3] この年にはECWアリーナを舞台にセクシー・エディーを下し2度目のCZW世界ジュニアヘビー級王座を戴冠。[8] この王座は同日にジグソーの手へと渡った。[9]

そんな2006年から2007年〜2008年を通してその大部分をTNAのマットに活動し、2009年にはROHを主戦場として活動。クリス・ヒーローロドリック・ストロングエル・ジェネリコデイビー・リチャーズネクロ・ブッチャーなどといった面子を相手に活躍を見せた。[1]

得意技[編集]

450°スプラッシュ
キャメルクラッチ
ヒンドゥーサルト
コークスクリュー式450°スプラッシュ
サンジェイカッター
スタンディング式不知火

獲得タイトル[編集]

CZW
ZERO1

他、アメリカのインディー団体を中心に多数のタイトルを獲得。

出典[編集]

外部リンク[編集]