ハウ (戦艦)
艦歴 | |
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建造 | フェアフィールド社 |
起工 | 1937年6月1日 |
進水 | 1940年4月9日 |
就役 | 1942年8月29日 |
退役 | |
その後 | 1958年に廃棄処分 |
除籍 | |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:36,727 トン 満載:42,076 トン 45,226トン(満載:1945年) |
全長 | 227 m |
全幅 | 31.4 m |
吃水 | 10.5 m |
機関 | 蒸気タービン4基4軸 110,000馬力 |
最大速 | 29.5ノット (54 km/h) |
航続距離 | 6,000カイリ(14ノット時) |
乗員 | 1,422名 |
兵装 | 竣工時: 35.6cm4連装砲塔2基 同連装砲塔1基 13.3cm連装両用砲8基 2ポンド8連装ポンポン砲6基 20mm単装機銃18基 カタパルト1基 ~1945年: 35.6cm45口径MkVII4連装砲 2基 同連装砲 1基 13.3cm50口径MkI連装両用砲 8基 2ポンド8連装ポンポン砲 8基 2ポンド4連装ポンポン砲 4基 40mm4連装機銃 2基 40mm単装機銃 6基 20mm連装機銃 4基 航空兵装無し |
レーダー | 竣工時: 273型 1基 281型 1基 282型 6基 284型 1基 (射撃管制) 285型 4基 (対空射撃管制) ~1944年: 262型 7基 274型 2基 (射撃管制) 277SQ型 1基 (水上・対空警戒両用) 281B型 1基 285型 4基 (対空射撃管制) 293型 1基 |
艦載機 | ウォーラス2機(常用)3機(最大) |
モットー |
ハウ (HMS Howe, 32) は、イギリス海軍のキング・ジョージ5世級戦艦。艦名はリチャード・ハウ提督に因む。
艦歴
ハウは1937年6月1日にフェアフィールド・シップビルディング・アンド・エインジニアリング社で起工し、1940年4月9日に進水、1942年8月29日に就役した。当初はデヴィッド・ビーティー提督に因んでビーティ(Beatty)と命名される予定であったが、1940年2月にハウと改名された。
1942年8月に海上公試が開始されたが、本国艦隊での作戦投入可能となったのは11月以降であった。ハウの主要任務は北極海での船団護衛や、大西洋へ進出しようとするドイツ艦艇の迎撃であった。バレンツ海海戦のあった12月31日、RA51船団の護衛に加え可能であればドイツ重巡洋艦リュッツォウ捕捉のため出撃した部隊の中にハウもあった。2月後半、ハウはソ連へ向かうJW53船団の護衛に加わり、RA53船団とともに戻った。1943年5月、イギリス首相ウィンストン・チャーチルがハウを訪れ、その数日後には国王ジョージ6世も訪れた。
5月になると、ハウは連合国軍の上陸支援のため地中海へ展開することになった。エリコンFF 20 mm 機関砲をいくつか搭載した後、5月21日にハウはジブラルタルへ向けロサイスから出航した。5日後、ジブラルタルに到着。ハウはH部隊に配属され、シチリア島やイタリアへの上陸を支援することになった。6月はじめにはH部隊はアルジェに移り、そのとき再びジョージ6世がハウを訪れた。7月にシチリア島上陸作戦の際、ハウは、イタリア艦隊による妨害に備えてシチリア島とサルデーニャ島の間に位置していた。また、7月12日にはトラーパニやその近くのファヴィニャーナ島およびレヴァンツォ島砲撃に参加するため戦艦キング・ジョージ5世と合流した。シチリア島上陸作戦後、整備のためハウはアルジェに戻った。そこで8月4日に弾薬運搬船が爆発し近くの駆逐艦アローが損傷。遺体の収集を手伝うためハウから人員が派遣された。イタリア降伏後の9月8日、ハウとキング・ジョージ5世は9月9日にイギリス第1空挺師団によるタラント上陸を行う海軍部隊を護衛し、その途中で降伏のためマルタへ向かうイタリア艦隊に遭遇した。9月14日、9月14日、ハウとキング・ジョージ5世は降伏したイタリア艦艇をマルタからアレクサンドリアまで護送した。10月1日にハウはアルジェに着き、そして本国艦隊に戻るためスカパ・フローへ向かった。
1943年10月から1944年6月まで修理が行われ、その後はイギリス太平洋艦隊に配属される。
第二次世界大戦が終了すると訓練艦として使用された。
1958年に、姉妹艦3隻と共に解体された。
主な活動
北洋船団護衛
南イタリア上陸
沖縄攻略作戦など
ギャラリー
参考文献
- 世界の艦船増刊第67集