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ヌーオロ県

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ヌオーロ県から転送)
ヌーオロ県
Provincia di Nuoro
ヌーオロ県の位置
イタリアの旗 イタリア
サルデーニャの旗 サルデーニャ
県都ヌーオロ
面積3,934 km²
人口
 - 総計
 - 人口密度
2011-01-01
160,677 [1]
40.8 人/km²
コムーネ52  50音順一覧
主なコムーネドルガーリオリエーナオロゼーイシニスコーラマコメール
略記号NU
ISO 3166-2:ITIT-NU
CAP08010-08040, 08042-08049, 08100
市外局番070, 079, 0484, 0782, 0784, 0785
ISTATコード091
県知事ロベルト・デリウ
(Roberto Deriu)
県公式ウェブサイト[1]

ヌーオロ県(ヌーオロけん、イタリア語: Provincia di Nuoro)は、イタリア共和国サルデーニャ自治州に属するの一つ。県都はヌーオロ(ヌオロ)。

2016年9月現在、サルデーニャ州では県級行政区画統廃合のプロセスが進められており、地方自治上は過渡期にある。2016年、ヌーオロ県は旧オリアストラ県を編入した。

名称

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標準イタリア語以外の言語では以下の名称を持つ。

地理

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位置・広がり

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サルデーニャ島の中央部から北東方向に延びる形状を持つ県である。県の北東部では東にティレニア海に面する。

県都ヌーオロは県中央部の内陸に位置する都市である。トルトリから西北西へ約52km、オルビアから南南西へ約69km、オリアストラから北西へ約78km、サッサリから南東へ約79km、州都カリャリから北へ約123kmの距離にある。

隣接する県は以下の通り。

地勢

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オリアストラ県との境界にあるジェンナルゲントゥ山 (Gennargentu(1,834m)は、サルデーニャ島の最高峰である。

主要な都市

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2001年に行われた居住地区(Località abitata)別人口統計[2]によれば、人口5000人以上の都市・集落は以下の通り。( )内は所属自治体名を示すが、都市・集落名と同一の場合は省いた。

歴史

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ヌーオロ地域における人類の定住は紀元前3千年紀にさかのぼり、Domus de Janasと呼ばれる墳墓の跡が残されている。

30以上のヌラーゲ遺跡があることから、ヌーオロ地域はヌラーゲ文化(サルデーニャに紀元前1500年頃から紀元前250年頃まで栄えた文化)の中心地であったと考えられている。たとえば、ヌーオロ郊外のタンカ・マンナ(Tanca Manna)には、800戸ほどからなる集落遺跡が見つかっている。

ヌーオロ地域には、カラリス(カリャリ)とウルビア(オルビア)を結ぶローマ街道が通過していた。ローマ人による支配の痕跡は、サルデーニャ語の中にさまざまに残されており、今日もヌーオロで話されている。サルデーニャ語ヌーオロ方言 (Logudorese dialectは、ロマンス諸語の中でも最も保守的な言語と見なされている。

西ローマ帝国の崩壊後、サルデーニャははじめヴァンダル人の、次いで東ローマ帝国の支配下に入った。ローマ教皇グレゴリウス1世(在位: 590年 - 604年)の書簡によれば、サルデーニャ島の内陸部では、ローマ化・キリスト教化された文化と異教徒の文化が共存していたという。東ローマ帝国の支配力が弱体化すると、サルデーニャ島ではジュディカーティたちが登場した。

行政区画としてのヌーオロ県は、1927年に発足した。2001年7月12日州法第9条によって、サルデーニャ自治州の県の再編が行われた。これに際して、ヌーオロ県のコムーネが以下の県に移動した。

行政区画

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ヌーオロ県には、55のコムーネが属する。主要なコムーネ(上位10位)は下表の通り。左端の数字はISTATコードを示す。人口は2011年1月1日現在[1]

コード 自治体名 人口
091051 ヌーオロ 36,347
091085 シニスコーラ 11,687
091044 マコメール 10,672
091017 ドルガーリ 8,544
091055 オリエーナ 7,418
091063 オロゼーイ 6,904
091062 オルゴーゾロ 4,418
091024 フォンニ 4,104
091009 ビッティ 3,074
091061 オラーニ 3,044

文化・観光

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ジェンナルゲントゥ国立公園 (Gennargentu National Parkがある。

人物

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著名な出身者

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脚注

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外部リンク

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