スピン角運動量
スピン角運動量(スピンかくうんどうりょう、英: spin angular momentum)は、素粒子(電子やクォークなど)、複合粒子(素粒子から構成されるハドロンや原子核や原子など)が持つ量子力学的な自由度の 1 つである。単にスピンと呼ばれることもある。
粒子が回転運動をするとき、全角運動量は軌道角運動量とスピン角運動量が寄与する。粒子の運動量と位置によって与えられる軌道角運動量に対し、スピン角運動量は量子力学的な粒子が本来持っている角運動量である。スピンは粒子の「自転」のようなものだと考えることができる。しかし、量子力学的粒子は通常は大きさが無い質点として扱うが、そこには通常の意味では自転のような運動を考えることはできない。
そのため、量子力学では粒子が持つ「内部自由度(固有角運動量、内部角運動量とも呼ぶ)」としてスピンを基本変数に付け加える。
一方、基本変数として「場とその時間微分または共役運動量」を用いる量子論である「場の量子論」では電子は粒子ではなく「電子場」として記述されるが、電子場は電磁場の「偏光」(電磁場の向きが右回りに回転するか左回りに回転するか)に似た属性を持つ。これがスピンであり、場の自転のようなものなので、角運動量を伴う。その角運動量ベクトルで、スピンの向きと大きさを表す。
歴史
ナトリウムのスペクトルを観測する実験で、磁場においたD線が 2 本に分裂することが発見され(ゼーマン効果)、これは電子がいまだ知られていない 2 値の量子自由度があるためと考え、1925年にウーレンベックとゴーズミットは、電子は原子核の周りを公転する軌道角運動量の他に、電子が質点ではなく大きさを持ち、かつ電子自身が自転しているのではないか、という仮説をたてた[1][2]。この仮定では、その自転の角運動量の大きさがであるとし、自転の回転方向が異なるため、公転に伴う角運動量との相互作用でエネルギー準位が 2 つに分裂したと考えると実験の結果をうまく説明できた。そしてこの自由度を電子のスピン角運動量と呼んだ。
ただし、実際にこの仮定通りスピン角運動量が電子の自転に由来していると考えると、電子が大きさを持ち、かつ光速を超える速度で自転していなければならないことになり、これは特殊相対論と矛盾してしまう。そのため、1925年にラルフ・クローニッヒ によって提案されたものの、パウリによって否定されていた。パウリは、自転そのものを考えなければならない古典的な描像を捨て、一般の角運動量 の固有値として半整数の価が許されることに注目し、この半整数の固有値をスピン角運動量とした[3]。
その後発展した標準模型においても、電子は大きさ 0 の質点として扱っても実験的に高い精度で矛盾がなく、電子に内部構造があるか(スピン角運動量などの内部自由度に起源があるか)はわかっていない。
スピン角運動量演算子
スピン角運動量は、3 つのエルミート演算子 sx, sy, sz で表される物理量である。これらの演算子の間には、軌道角運動量と同様の交換関係が成り立つ。
ここで、 であり、h はプランク定数である。ただし軌道角運動量と異なり、空間座標とその共役運動量との外積として表される必要はなく、したがってその大きさは を単位として整数値のみでなく半整数値をもとりうる。
スピン角運動量の大きさの二乗を
- s2 = sx2 + sy2 + sz2
と定義すると、これは各成分 sx, sy, sz のいずれとも交換する。一方各成分同士は交換しないので、s2 と各成分 sx, sy, sz のうちいずれか一つとを同時に対角化できる。多くの場合同時対角化する成分を sz とする。s2 の固有値は 、sz の固有値は (ms = - s, - (s - 1), ..., s - 1, s) となる。ms をスピン磁気量子数という。s は、0 以上の整数または半整数の値をとる。素粒子の場合、s は素粒子の種類ごとに定まった値をもつ。
スピン 1/2
固有値と固有状態
s = 1/2 の場合を考える。このとき、s2 の固有値は であり、sz の固有値は の 2 つが存在することとなる。従って対応する固有状態も 2 つであり、それぞれ上向きスピン、下向きスピンと言うことが多い。
ヒルベルト空間として2次元複素内積空間を考えると、スピン角運動量の各成分 (sx, sy, sz) はパウリ行列 (σ = (σx, σy, σz)) を使って以下のように表される。
以上は、sz に関して対角となるようにしてある。
それぞれの行列は固有値 を持ち、それぞれの規格化された固有ベクトルは、
その他の状態
角度θに対し、 という線形結合であらわされる状態を考えると、この状態でのszの期待値は、
となり、はz方向のスピンがx軸に向かってθだけ傾いた状態といえる。[4]
スピンと統計性
s が半整数の値をもつような粒子はフェルミ粒子であり、s が整数値をとる粒子はボース粒子であることが知られている。s の値と統計性の間のこのような関係は、相対論的な場の量子論によって説明できる。
脚注
- ^ G.E. Uhlenbeck, S. Goudsmit (1925). “Ersetzung der Hypothese vom unmechanischen Zwang durch eine Forderung bezüglich des inneren Verhaltens jedes einzelnen Elektrons”. Naturwissenschaften 13 (47): 953-954. doi:10.1007/BF01558878.
- ^ G.E. Uhlenbeck, S. Goudsmit (1926). “Spinning Electrons and the Structure of Spectra”. Nature 117: 264-265. doi:10.1038/117264a0.
- ^ 砂川重信『量子力学』岩波書店、1991年。ISBN 4000061399。
- ^ 小形正男『量子力学』裳華房、2007年。ISBN 9784785322298。
関連項目
外部リンク
- スピン、一般化角運動量、角運動量合成 (PDF) (日本語)
- 第19章 スピン 第14章 軌道角運動量 第20章 角運動量の合成 (PDF) (日本語)
- 第9回講義資料 (PDF) (日本語) パウリのスピン行列の導出
- 第2章 スピン (その1) 第2章 スピン (その2) (PDF) (日本語) スピノル表記・パウリのスピン行列の導出
- 3.3 回転対称性 (PDF) (日本語) スピンと対称操作