ジョナタン・ジャクソン・ジ・リマ・ヘイス

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ジョナタン・レイス
名前
本名 ジョナタン・ジャクソン・デ・リマ・ヘイス
愛称 ヘイス
ラテン文字 Jonathan Jackson De Lima Reis
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1989-06-06) 1989年6月6日(34歳)
出身地 ミナスジェライス州の旗 ミナスジェライス州コンタジェン
身長 182cm[1]
体重 78kg[1]
選手情報
在籍チーム コンサドーレ札幌
ポジション FW
背番号 11
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
当項目参照
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ジョナタン・ジャクソン・デ・リマ・ヘイスポルトガル語: Jonathan Jackson De Lima Reis1989年6月6日 - )は、ブラジル出身のサッカー選手。ポジションはFW。英語読みでジョナサン・レイス(英語: Jonathan Reis )、オランダ語読みでヨナタン(ジョナタン)・ライス。ポルトガル語読みではヘイス。

経歴

PSV (第1期)

2005年からアトレチコ・ミネイロのユースチームに所属。2006年9月にアヤックス・アムステルダムでのトライアルの後、10月にPSVでのトライアルに合格し、12月にPSVが獲得を発表。2007年の夏にPSVアイントホーフェンと5年契約を結んだ。2007年5月にPSV A1でテルボルフ・トーナメントに参加。3-2で勝利したアルゼンチンボカ・ジュニアーズとの決勝でレイスは2得点を決めている。2007年のオッテン・カップでもレイスはベストFWに選ばれた。

2007-2008シーズンにレイスはAセレクションに昇格するも、出場時間が少なすぎると セフ・フェルホーセン監督と衝突した。3月にボルシア・ドルトムントのユース・トーナメント参加を拒否し、5千ユーロの罰金を科されている。その後レイスは足を骨折し、リーグ戦を最後まで欠場。足にプラスチックが挟み込まれたが、レイスが自分でそれを予定よりも早く取り除いてしまったため、クラブのメディカル・スタッフはその後の治療を断った[2]。2008-2009シーズンの初めにレイスは同じ足を折り、プレシーズンを不参加[3]

2008-2009シーズンのレイスはフープ・ステフェンス監督と衝突。バカンスからの合流が遅れ、足のプラスチックを自ら取り除いて再び怪我をするなど許されない行為の後に2009年1月にシーズン末までトゥピFCへレンタルされた。

2009-2010シーズンの初めにレイスは売却される見込みだったが、プレシーズンにフレット・ルッテン監督によって与えられたチャンスをつかんでクラブに留まることができた。ACスパルタ・プラハ相手のUEFAヨーロッパリーグ戦でダニー・クーフェルマンスとの交代で途中出場。80分位にPSVが同点(1-1)に追いつくゴールを決め、ロスタイムには再び同点ゴール(2-2)を決めた。レイスはヨーロッパリーグのFCコペンハーゲン戦でも72分にこの試合唯一のゴールで決定的な仕事をした。リーグ戦での初ゴールはその3日後、NECナイメヘンとのアウェイゲーム(0-4勝利)で0-2とするゴールを決めた。KNVBカップでの初ゴールは再びその3日後。ボレーで0-2のゴールを決めた。正式にはまだユース選手扱いだったレイスは2009年11月26日に正式にAセレクション昇格が決定。

2010年1月24日にレイスは禁止薬物の使用と、更生のための支援を拒否したことでクラブから解雇される[4]。以前から生活態度の問題やホームシックもあり、2009年まで戦力外だった。今季はチャンスを与えられ、ようやく素質が開花し始めていた。しかし冬休みにブラジルへ帰国すると再び生活が乱れ始め、チームのキャンプには5日遅刻して到着。コンディション不良と疲労感もありアイントホーフェンに送還され、ここでのチェックで薬物使用が見つかった。薬物の使用が認められたレイスに対し、チームは専門家の治療を受けることを勧めたが、レイスがそれを拒んだことで解雇に至った。

PSV (第2期)

自身での治療の後、レイスは2010年夏に再びPSVでの契約のチャンスを得ると、プレシーズンでのパフォーマンスの結果、1年契約+2014年までの延長オプション付きでサインした[5]

2010年9月19日早朝にレイスは飲酒運転で警察に逮捕される。呼吸によるアルコール検査の結果は許容値の3倍近い620 ug/lだった。これにより運転免許を剥奪され、書類送検された。2010年12月19日にレイスはローダJCとの試合で膝の複雑骨折と前十字靱帯、後十字靭帯、中央靭帯断裂の断裂という重傷を負う。長いリハビリが続き、2010-2011シーズンはもうプレーできなかった。

PSVはレイスとの契約を2014年まで3年間延長するか、2011年5月1日までに決断が必要だったが、あまりにリスクが大きいと判断し、1年契約に留めようとした。しかし本人との交渉が難航したことで結局2011年7月1日に契約が終了した[6]。2011年7月からレイスはプロ契約無しの無所属でリハビリを継続。2011年10月24日にアイントホーフェンに戻ってPSVのメディカル・パートナーであるトップサポートで1週間治療のために滞在した。その際にPSVのフレット・ルッテン監督と話し合いを持ち、レイス本人が復帰の希望を示したことで2011年11月にPSVがシーズン末までの契約を提示。しかし結局レイスはこれを受けなかった。

フィテッセ

2011年12月4日にレイスはフィテッセと2011-2012シーズン末までの契約(延長オプション付き)でサイン[7]。自身のフィジオセラピスト、エドゥアルド・サントスの指導のもと、パペンダルでリハビリを再開し、2011年12月8日から新しいチームメイトとのトレーニングに参加できるようになった[8]

2012年1月22日にレイスはフィテッセでエールディヴィジ復帰を果たし、NECナイメヘン戦でスタメン出場。2012年6月27日にレイスはフィテッセと新たに4年契約を結んだ。2013年9月17日にレイスは「自身をチームの外側に置いている」とピーター・ボス監督によってリザーブチームへの追放処分を受けた。2013年11月26日にレイスの契約が12月1日付で解除されることが発表された[9]

ブラジル復帰

レイスは家族のいるブラジルに戻り、2014年初めにECバイーアと契約したが、わずか10日間で契約解除[10]。その後トンベンセFCカンポリナと、ブラジルミナスジェライス州の小クラブでプレーした。2015年初めにはブルマジーニョの名前でコパ・イタティアイアに出場[11]。2015年1月と2月にカザフスタンFCイルティシュ・パヴロダルチュニジアエスペランス・スポルティーブ・ドゥ・チュニスでトライアルを受けたが契約は得られなかった[12]

トルコ・日本

2015年7月29日にレイスはトルコのTFF1.リグボルスポルと契約。1年契約でさらに1年の延長オプション付き[13]

2016年1月5日、コンサドーレ札幌へ完全移籍により加入した[1]。登録名はヘイス。

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
オランダ リーグ戦 リーグ杯KNVBカップ 期間通算
2007-08 PSV エールディヴィジ 3 0
2008-09 0 0
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2009 トゥピ セリエD 22 1
オランダ リーグ戦 リーグ杯KNVBカップ 期間通算
2009-10 PSV エールディヴィジ 12 3
2010-11 11 8
2011-12 フィテッセ 9 0
2012-13 29 7
2013-14 4 1
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2014 バイーア セリエA
トルコ リーグ戦 トルコ杯オープン杯 期間通算
2015 ボルスポル TFF1.リグ
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2016 札幌 11 J2 -
通算 オランダ エールディヴィジ
ブラジル セリエA
ブラジル セリエD
トルコ 1.リグ
日本 J2 -
総通算

エピソード

  • ブラジル人らしくテクニックに優れ、フットボール能力の高いストライカーであることを示すエピソードとして、2010年夏のプレシーズンにユース選手だったレイスがトップチームの練習に加わった際、「イブラヒム・アフェライダンコ・ラゾビッチも『監督、彼は良いよ』とずっと言っていた。みんな彼とプレーしたがった」とルッテンは振り返っている[14]
  • フィテッセで衝突したペーター・ボスについてレイスはブラジル帰国後に「彼は自分をジョゼ・モウリーニョだと思っていた。常に不機嫌で決して冗談を言わない、傲慢な人間だ。彼の写真を見ても1枚も笑顔は見つけられない。彼とは上手くやれなかったし、彼は僕を理解しなかった」と語っている[16]
  • ほとんどの監督と問題があった中でフレット・ルッテンとは堅い信頼関係で結ばれており、PSV復帰ではなくフィテッセを選んだ後もルッテンの誕生日にお祝いメッセージを送る[17]などPSV、フィテッセ両時期を通して良好な関係を築いていた。これはルッテンの社会的な父親的イメージを象徴するエピソードの一つであり、レイスもルッテンのことを「僕にとって父親のような人。言葉の壁があるのが残念だけど、彼はほとんど言葉無しに一目で僕のことを理解してくれる」と語っている[18]
  • 度重なる過去の過ちについてレイスはブラジル帰国後に「ピッチの外で何度も愚かな行為をしたけど、フィテッセではなかった。ナイトライフもほとんどやらなかった。もうこりごりだし、おじいちゃんのように家にいたい。何よりも息子のカイケが大事なんだ。息子の手本でありたい」と語っている[19]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i "マセード選手 ヘイス選手 加入のお知らせ" (Press release). コンサドーレ札幌. 5 January 2016.
  2. ^ http://www.ed.nl/sport/voetbal/psv/deel-2-valckx-vertrek-reker-is-toch-ook-een-optie-1.2367377
  3. ^ https://www.psv.nl/psv/nieuws/artikel/voet-van-jonathan-reis-opnieuw-in-het-gips-gezet.htm
  4. ^ http://www.voetbalprimeur.nl/nieuws/158128/psv-zet-reis-per-direct-op-straat
  5. ^ http://www.psv.nl/psv/nieuws/artikel/Nieuw-contract-voor-Jonathan-Reis-bij-PSV.htm
  6. ^ http://www.vi.nl/nieuws/Impasse-tussen-spits-Reis-en-PSV-blijft-bestaan.htm
  7. ^ http://www.vitesse.nl/nl/nieuws/detail/1988/vitesse-contracteert-jonathan-reis
  8. ^ http://www.vitesse.org/archief/archief_vitesse/uit_de_media/jonathan_reis_hervat_revalidatie_op_papendal_.html
  9. ^ http://www.soccernews.nl/news/219557/Vitesse_en_Reis_be%C3%ABindigen_per_direct_samenwerking
  10. ^ http://www.bahianoticias.com.br/esportes/bahia/9595-apos-dez-dias-jonathan-reis-deixa-o-bahia.html
  11. ^ http://www.ad.nl/ad/nl/1017/Buitenlands-voetbal/article/detail/3830360/2015/01/15/Jonathan-Reis-is-pas-25-jaar-en-helemaal-terug-bij-af.dhtml
  12. ^ http://www.ed.nl/sport/voetbal/psv/jonathan-reis-probeert-het-in-kazachstan-1.4733393
  13. ^ http://www.boluspor.org.tr/haberdetay.asp?id=2826
  14. ^ http://www.goal.com/nl/news/213/eredivisie/2013/11/27/4436269/rutten-afellay-wilde-graag-met-reis-spelen
  15. ^ “まさかの10失点! フェイエノールトがPSVに大敗”. GOAL.com. (2010年10月24日). http://www.goal.com/jp/match/psv-vs-%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%88/941493/report 2016年1月5日閲覧。 
  16. ^ http://heldenonline.nl/columns/entry/reis-bosz-dacht-dat-hij-mourinho-was
  17. ^ http://www.ad.nl/ad/nl/1433/PSV/article/detail/3072207/2011/12/10/Jonathan-Reis-stuurt-Rutten-sms-jes.dhtml
  18. ^ http://www.vitesseinside.nl/rutten-is-als-een-vader-voor-me/
  19. ^ http://heldenonline.nl/columns/entry/reis-bosz-dacht-dat-hij-mourinho-was

関連項目

外部リンク