サラット・フォンセカ
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サラット・フォンセカ | |
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සරත් ෆොන්සේකා சரத் பொன்சேகா | |
Fonseka at a press conference | |
スリランカ国会議員 ガンパハ選挙区選出 | |
任期 2020年8月20日 – 現職 | |
得票差 | 110,555 |
統一人民戦線議長 | |
就任 2021年1月25日 | |
前任者 | 初代 |
スリランカ国会議員 全国区選出 | |
任期 2016年2月9日 – 2020年3月3日 | |
前任者 | M・K・A・D・S・グナワルダナ |
野生生物・持続可能な発展担当大臣 | |
任期 2018年5月1日 – 2018年10月26日 | |
大統領 | マイトリーパーラ・シリセーナ |
首相 | ラニル・ウィクラマシンハ |
前任者 | ラヴィンドラ・サマラウィーラ |
地域開発大臣 | |
任期 2016年2月25日 – 2018年10月26日 | |
大統領 | マイトリーパーラ・シリセーナ |
首相 | ラニル・ウィクラマシンハ |
前任者 | 初代 |
スリランカ国会議員 コロンボ選挙区選出 | |
任期 2010年4月22日 – 2010年10月7日 | |
後任者 | ジャヤンタ・カタゴダ |
得票差 | 98,456 |
国防次官 | |
任期 2009年7月15日 – 2009年11月30日 | |
前任者 | ドナルド・ペレーラ |
後任者 | ローシャン・ゴーナティラカ |
陸軍司令官 | |
任期 2005年11月6日 – 2009年7月15日 | |
前任者 | シャンタ・コッタゴダ |
後任者 | ジャガット・ジャヤスリヤ |
個人情報 | |
生誕 | Gardihewa Sarath Chandralal Fonseka 1950年12月18日(73歳) セイロン南部州アンバランゴダ |
政党 | (新民主戦線→)
(民主国民連合→) (民主党→) (統一国民党→) 統一人民戦線 |
配偶者 | アノーマ |
子供 | アパルナ、アプサラ |
職業 | 政治家 軍人 |
兵役経験 | |
所属国 | スリランカ |
所属組織 | スリランカ陸軍 |
軍歴 | 1970–2009 |
最終階級 | 陸軍元帥 |
部隊 | シンハ連隊 |
指揮 | 陸軍司令官 国防次官 |
戦闘 | スリランカ内戦, 人民解放戦線武装蜂起 |
受賞 |
サラット・フォンセカ(英語: Gardihewa Sarath Chandralal Fonseka, シンハラ語: ගර්දිහේවා සරත් චන්ද්රලාල් ෆොන්සේකා, タミル語: சரத் பொன்சேகா, 1950年12月18日 - )は、スリランカの軍人、政治家。スリランカ陸軍第8代司令官としてタミル・イーラム解放のトラ(LTTE)との戦いを指揮し、26年にわたる内戦を終結させた。内戦後は国防次官を務め[1]、退官後の2010年には大統領選に出馬したが、当時現職だったマヒンダ・ラージャパクサに敗れた。
大統領選後には議会選挙に出馬して国会議員となるが、その直後に政治犯として収監され議席を失った[2][3][4]。2015年の大統領選挙ではマイトリーパーラ・シリセーナを支持し、彼の当選後には恩赦を受けて釈放され軍時代の勲章なども回復した。その後さらに同年3月には、スリランカ陸軍史上初の陸軍元帥となった[5][6][7]。
2016年の総選挙では全国区で出馬し当選。地方開発大臣や野生動物・持続可能な開発担当大臣を歴任したが、2018年10月26日に起きた憲政危機をきっかけに失脚した。
生い立ち
1950年12月18日、スリランカ南西部のアンバランゴダで生まれる。彼の父ピーターは校長、母ピヤワティも教師だった。地元で教育を受けたのちにコロンボにある仏教系男子校アナンダ・カレッジへ入学。1969年に卒業した。在学時は水泳と水球が得意で、学校ではキャプテンを務めた。
軍歴
カレッジを卒業したフォンセカは、1970年2月に士官候補生として陸軍へ入隊し、基本訓練を受けた。訓練後は少尉として第1大隊へ配属され、翌年6月に発生した人民解放戦線(JVP)の武装蜂起にも対応した[8]。
1973年に中尉、1976年には大尉に昇進し、同時期にはコマンド部隊の訓練なども受けた。その後1980年に少佐に昇進したフォンセカは、翌年以降数年間をスリランカ陸軍士官学校の教官として過ごした[8]。
第一次イーラム戦争
1987年にバングラデシュの参謀学校を卒業したフォンセカは、スリランカ陸軍第4軽歩兵隊の指揮官に任命された。当時は第一次イーラム戦争の終盤であり、フォンセカ自身もジャフナ半島攻略作戦に参加した[9][10][11]。戦後は中佐に昇進し、1989年には第1大隊長を任された。
同時期には人民解放戦線(JVP)による2回目の武装蜂起も発生しており、これに対してもガンパハ県の軍事コーディネーターとして参加した[8]。この作戦で彼はJVP指導者のプレマクマール・グナラトナムを捕らえ、評判を上げた[12]。
第二次イーラム戦争
1991年には大佐に昇進し、バラベガヤ作戦では第3旅団長として活躍した。エレファント・パスの戦いでは、フォンセカ率いる部隊が包囲されながらも圧倒的な劣勢を持ち堪え、LTTEの撃退に成功した[13]。その後はアンベプッサにあるシンハ連隊の中央司令官に任命され、陸軍本部作戦部にて働いた。
1993年にジャフナ要塞がLTTEに占領されると、フォンセカは部隊を率いて奪還作戦を行なった。この作戦でフォンセカは足に銃弾を受け負傷するが、奪還作戦は成功し数百名の兵士が救出された。同年末には准将に昇格し、陸軍本部に配属された[8]。
第三次イーラム戦争
1995年にはLTTEからジャフナを奪還したリヴィレッサ作戦での役割を評価され、広く知られるようになった。またその後のジャヤシクルイ作戦でも重要な役割を果たした[14]。
1998年には少将に昇格し、第22師団司令官兼陸軍本部参謀を務めた[8]。
2000年にエレファント・パスが再び陥落するとフォンセカはジャフナ防衛本部へと赴き、ジャフナ半島防衛作戦を指揮した[13][15][16]。その後ワンニ防衛本部司令を務めたのち、2002年から2003年にかけて再びジャフナ防衛本部司令を務めた。またこの時期に新しい歩兵訓練プログラムを開発した[17][18][19]。
その後イギリスの王立国防学院で学び、その後はスリランカの参謀学校で校長を務めた[8]。2003年にはスリランカ陸軍予備軍の司令官に任命され、その翌年には陸軍参謀総長となった。そして2005年、大統領マヒンダ・ラージャパクサから陸軍総司令官を任命され、中将に昇進した[17]。
暗殺未遂事件
2006年4月25日、フォンセカの乗った車両がLTTEの自爆テロに遭い、重傷を負った。実行犯はアノジャ・クーゲンチララサという妊婦で、軍病院で一般向けに行われていた産科診療を受けた後でフォンセカの車両を襲撃した[20][21][22] 。フォンセカとその副官が重傷を負い、護衛を含む9名が死亡したがフォンセカ自身は一命を取り留めた[23]。これは襲撃場所が軍病院の正面で、救急車で数分以内にスリランカ国立病院へ搬送することができたからである。また事故直後もフォンセカには意識があり、将校や医師と話すこともできた。その後緊急手術を受け、一時は意識不明となり人工呼吸器を装着したが、事件から5日後の4月30日には意識を取り戻した[24]。その後陸軍本部に併設された軍病院へ移送され、さらにシンガポールで高度な治療を受けた[25]。その後彼が大臣となった2016年には、大統領のマイトリーパーラ・シリセーナに対して自身の暗殺に関わった人物の恩赦に向けた措置を取るよう要請した[26]。
第四次イーラム戦争
治療を終えたフォンセカは同年7月から軍務に復帰した[25][27]。彼は30年に及ぶ内戦を終結させた戦略の立案者と評されている[4][28][29][30][31]。
彼は従来の方針を変更してLTTEの巧妙な戦術・戦略に合わせた戦い方を考案し、圧倒的な数的優位を利用してLTTEに圧力をかけ続けた。また、陸上戦を支援するために海軍・空軍を全面的に展開することを主張し、他の軍司令官の支持を得ることに成功した[28][32]。
フォンセカは陸軍部隊を小さな集団に分け、高度な訓練を受けた士気の高い兵士を育成し、LTTE支配地域へ送り込んで幹部を暗殺させた[15][30]。また彼は陸軍を防衛重視からから攻撃重視の軍隊へと変貌させた。経験豊富な指揮官は、積極的な軍事指導とともに歩兵の訓練・気風の変更[17][18][19]、北方の防備など、戦闘前の準備で軍事戦略を変えていったのである[5][6][16][33]。また積極的に前線の兵士を激励し、軍内にあった保守的な姿勢を転換した[28][18]。また2007年には機械化歩兵連隊を創設も行なっている[34][35][36]。
彼はLTTEの攻撃への対応に追われていた陸軍を変革し、3年で戦争を終結させる計画を立案した[37]。その主眼は領土の回復だけでなく敵軍の掃討に当てられていた[19][38]。彼は主要幹線道路沿いで行われていた作戦を削減すると同時に戦線を拡大し、敵戦力の分散を図った。そして4人編成の小隊を大量に投入し、自軍兵力と民間人の犠牲を少なくしつつ隠密作戦[28][18][39]と多方面作戦を展開した[19][40]。また東部戦線の終結前に北部の攻略を開始することで、停戦交渉が行えないようにした[41][42][43][44][45]。
また孫子の兵法に則って敵軍の戦力が集中した場所は避け、また軍内の年功序列も廃して現場経験の多い指揮官を登用した[17][40]。またLTTEの艦船・指揮官の排除に海軍・空軍が必要であることを証明した陸軍情報部も再構築した[28][40]。また軍内部の評価制度も一新して汚職や賄賂の排除に取り組んだ。また銃などの装備品の在庫管理制度も改革し、軍事予算の効率化にも取り組んだ[28][40][46]。これらの業績が評価され、2009年1月にはインドの国家安全保障補佐官が選ぶ最優秀軍事指揮官に選ばれた[2][15][28]。
戦争終結
2009年5月18日、スリランカ軍はLTTEを完全に制圧し、26年に及ぶ内戦を終結させた。フォンセカはその中心的存在として陸軍を指揮し、この業績によって国内から英雄として評価されるようになった。そしてその後すぐに国内初の陸軍元帥(名誉職)に昇進した。そして同年7月には大統領直属の国防次官となり、大統領の防衛戦略を補佐した。
退官
翌年1月に行われる大統領選挙に出馬するため、同年11月12日に防衛大臣ゴーターバヤ・ラージャパクサを通じて辞任届けを大統領に提出した。彼は月末まで仕事を続けるよう留任されたが結局16日に辞任し、後任には空軍司令官のロシャン・ゴーナティラカが就任した。
政治家としての経歴
事前の報道
戦争が終結する前からフォンセカが政界入りするかどうか議論がなされていたが[47]、戦争が終結した直後の2009年8月ごろには既にフォンセカが政界入りするとの報道が出始めていた[48]。
脚注
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- ^ a b Wijayadasa, Somar (2010年9月19日). “Prosecuting and persecuting the war hero – General Fonseka”. Sunday Times 2021年1月5日閲覧。
- ^ “Sarath Fonseka becomes Lanka’s first field marshal”. The Times of India. 2015年3月29日閲覧。
- ^ a b Irshad, Qadijah (2015年3月22日). “Fonseka to become first Sri Lankan Field Marshal”. Khaleej Times 2022年1月5日閲覧。
- ^ a b “Gen. GSC Fonseka elevated to the rank of 'Field Marshal'”. Ministry of Defence. 2015年3月29日閲覧。[リンク切れ]
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- ^ “General Fonseka launches political campaign”. Lanka News Papers. 2009年8月17日閲覧。[リンク切れ]
公職 | ||
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先代 創設 |
地域開発大臣 初代:2016年 - 2018年 |
次代 S・B・ノーウィン |
先代 ラヴィンドラ・サマラウィーラ |
野生生物・持続可能な発展担当大臣 2018年 - 2018年 |
次代 ワサンタ・セーナーナーヤカ |
党職 | ||
先代 創設 |
統一人民戦線議長 初代:2020年 - |
次代 (現職) |