カーネルシンボリ
カーネルシンボリ | |
---|---|
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1971年2月22日 |
死没 | 1991年11月14日 |
父 | パーソロン |
母 | ローズライラック |
母の父 | ジモーヌ |
生国 | 日本(千葉県成田市) |
生産者 | シンボリ牧場 |
馬主 | 和田共弘 |
調教師 |
野平省三(中山) →野平富久(中山) →黒坂洋基(中山) |
競走成績 | |
生涯成績 | 18戦8勝 |
獲得賞金 | 1億1923万8400円 |
カーネルシンボリは、日本の競走馬、種牡馬。1974年クラシック世代。同期はキタノカチドキ・コーネルランサーなど。
戦績
[編集]北海道でデビューし北海道3歳ステークス優勝。京成杯3歳ステークスまで無傷の5連勝を遂げる。大本命で臨んだ朝日杯3歳ステークスはミホランザンの6着となったが、明け4歳になって東京4歳ステークスと弥生賞を連勝。弥生賞では鋭い脚で抜け出しバンブトンオール、コーネルランサーを差し切り、朝日杯で敗れたミホランザンにも勝利している。8戦7勝というほぼ完璧な成績で、クラシックでは関東勢の総大将と見られていたが、直前に骨折して三冠全てを棒に振った。
復帰後は脚光を浴びる事も少なかったが、死んだ父・野平省三調教師の厩舎を継ぐ事になった野平祐二騎手の引退レース・1975年春の目黒記念を優勝している。だが結果的にこれが最後の勝利となってしまった。
成長力の有る競走馬で、夏の札幌ダート1000メートルの新馬戦から2500メートルの目黒記念まで勝利し距離の融通性を示した。1975年秋の天皇賞ではフジノパーシアの2着に来た事もあった。しかし度重なる故障で大成を阻まれ、6歳以降はわずか3戦しかできなかった。
引退後
[編集]脚元が最後まで良くならず、骨折後は格段の実績は残せないまま引退・種牡馬入りした。1978年に種牡馬入りしてからスイートブレスト(クイーンステークス)・シノンシンボリ(中山大障害(秋))と言った、重賞勝ち馬を輩出している。その他の産駒にスイートミトゥーナの母であり、セイウンスカイの曾祖母であるアンジュレスイートがいる。
晩年は熊本・古閑清一牧場で細々と自己生産の肌馬に種付けを行っていたが、自身と並ぶような産駒は最後まで誕生することはなかった。1991年11月14日、老衰の為に死亡している。
血統表
[編集]カーネルシンボリの血統(パーソロン系(トウルビヨン系) / Pharos・Fairway 4×5・5=12.50%、Blandford 5×5・5=9.38%、Tourbillon 5×5=6.25%(父内)) | (血統表の出典) | |||
父 *パーソロン Partholon 1960 鹿毛 |
父の父 Milesian1953 鹿毛 |
My Babu | Djebel | |
Perfume | ||||
Oatflake | Coup de Lyon | |||
Avena | ||||
父の母 Paleo1953 鹿毛 |
Pharis | Pharos | ||
Carissima | ||||
Calonice | Abjer | |||
Coronis | ||||
母 *ローズライラック Rose Lilac 1964 青毛 |
Zimone 1953 鹿毛 |
Persian Gulf | Bahram | |
Double Life | ||||
Lady Mary Rose | Nearco | |||
Rosemain | ||||
母の母 Lilac Belle1953 黒鹿毛 |
Petition | Fair Trial | ||
Art Paper | ||||
Belle Travers | Mr.Jinks | |||
Futurity F-No.9-c |
1歳上の半姉スイートライラックの曾孫にインターマイウェイ(大阪杯)がいる。