Wikipedia‐ノート:出典を明記する/過去ログ10

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リンク切れに関する規定の改定提案[編集]

こちらでの議論はリンク切れに関する規定の改定提案に分割しました。--Miraburu会話 / 投稿記録 2022年7月2日 (土) 21:51 (UTC)

共著者名の間の・の問題及び共著者名の筆記法について[編集]

いくつかの質問があります。まず、共著者名の間には・を使うよう書かれていますが、これは日本人なら 糸井重里・村上春樹 のように問題はないと思うのですが、外国人だと ジーン・M・トウェンギ・W・キース・キャンベル というように表記されて、どこで区切って読めばいいのか、一見するとわかりません。それでも・を使った方がよいのであればそのように記しますが、私の活動領域では・を使うとジーン・M・トウェンギ・W・キース・キャンベル というような表記が山ほど発生するので、表記上の根本的な欠陥?のような気もしてきました。「、」を使った方が正確に記すことができます。

2点目は、「共著の場合は3名以下の場合は全員書くこと。4名以上の場合は最初の1名を書いて残りは「--ほか」とする」」とありますが、これは3名の場合だと全員書いて、4名以上だと1人分しか書かないということですが、4名以上だと1人分の情報量しかなく、逆に情報量が少なくなってしまいます。そのため4名以上の場合は3名分までは書いて、4名以上の部分は他とし、「田中太郎・田中二郎・田中三郎 他「精神医学的大事典」〜」などと書いた方が良い気がします。私の読む論文では大体2、3名分くらいまでは名前が記してあります。それともそんなにこだわらなくてもよい問題なのでしょうか??

以上、ご意見よろしくお願い申し上げます。--Psychotic Blue会話2014年1月19日 (日) 16:18 (UTC)

この文書は指南書ですから、その辺は厳密な運用はされていないように思います。cite系テンプレートでも役物はまちまちですし。英語論文の投稿規定にならってセミコロン;で区切る人もいるでしょうし、私は日本社会学会の社会学評論スタイルガイドに倣って斜線/を使うこともありますね。社会学評論以外にもSIST02なども参考にできるかもしれません。共著者も、私の場合は文献に辿り着ける可能性を少しでも高めるために、全員を書きますね。省略するとすれば、本文からハーバード方式で参照する時くらい。参考文献セクションの書誌情報本体では全員書きますね。--Akaniji会話2014年1月21日 (火) 20:46 (UTC)
なるほど、ガイドラインではありますが、ある程度の融通はきくのですね。とすれば私の活動領域の場合は、「、」で区切るのもありかもしれません。また、検索性を高めるため多くの執筆者を書くというのも、一つの有用な方法として考えられますね。ルールに沿った上で、不合理に思える部分は適宜工夫してやっていこうと思います。ご解説ありがとうございました。--Psychotic Blue会話) 2014年1月23日 (木) 03:03 (UTC)(微修正--Psychotic Blue会話2014年1月23日 (木) 03:19 (UTC)

記事の出典に当該項目の人物の著書を挙げてはいけない?[編集]

ご質問があります。よろしくお願いします。

元東京農業大学教授である高江洲義英さんの経歴を、ご本人の著書をもとに記したのですが、「自著は出典には不適当」と除去されていました(参考[1])。自著を出典にしてはいけないというガイドラインの記述を探しても見当たらないのですが、そういった指針があるのでしょうか?それともこれは差し戻してもよいのでしょうか?除去することで出典が担保されず、余計に訳が悪くなっているように思うのですが・・・。詳しい方がいらっしゃいましたらご意見お願い致します。--Psychotic Blue会話2014年1月23日 (木) 03:16 (UTC)

私の知る限り、そんなものは無い、というのがお答えと考えます。強いて近いものを探せば、Wikipedia:自分自身の記事をつくらないですが、これとても自分自身の記事を作ってはいけないということではありません
「あなたが個人的に関わっていることがらについて記事を書くときには、あなたは、いつも以上に注意を払い、あるいはそれを控えなければなりません」とある通り、「いつも以上に注意を払い」、「自分自身の記事」に該当するものであっても問題となるような行動や執筆をしないのであれば作ることが出来ます(must notではない - 非推奨と解釈する余地は無いわけではないけれど)。
それともある人物の経歴について、当人自身の著作はダメで、第3者の伝記的記述でなければならないと除去した相手が誤解しているのだとすれば、そのような途方も無い要求は単なるナンセンスでしかありません。自著に問題があると具体的に(それこそまさに出典を挙げて)指摘できるのでもないかぎり、拒否するべき理由はありません。
ですので、結論としては該当箇所を復帰させてまったく問題ありません。--ikedat76会話) 2014年1月23日 (木) 11:09 (UTC)書き忘れ足す。--ikedat76会話2014年1月23日 (木) 12:42 (UTC)
自著は使って頂いて結構です。 ユーザーの中にはおかしな勘違いをしている人がいます。 戻して頂いて結構です。 相手が納得しないようなら方針なり理由を示す要求をして相手が何も示せなかったらそれでおしまいです。--Gyulfox会話2014年1月23日 (木) 11:24 (UTC)
方針上の根拠は、Wikipedia:存命人物の伝記#本人を情報源にする場合Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源:公式サイトを参照ください。--Ks aka 98会話2014年1月23日 (木) 11:28 (UTC)

皆様詳しい解説ありがとうござました。自分で記事を書くのは推奨されないというのは知っていたのですが、出典はその方のものを使ってもよいのですね。該当箇所を復帰してよいと聞いて安心しました。おかしいと思う編集には方針や理由をお聞きして、理由がないものは修正していこうと思います。お示し頂いたリンクも参考になりました。この度はわざわざありがとうございました。--Psychotic Blue会話2014年1月24日 (金) 06:53 (UTC)

  • 削除を行った者です。言葉が足りず申し訳ありませんでした。自著からの出典を削除した際に、かわりに典拠レコードを補完しました。典拠レコードは、その本が手元になくとも関連する書籍(自著)から生年他の情報を第三者が拾いだした傍証です。よって Psychotic Blue さんを信用していないわけではなく、第三者が閲覧した事実を、典拠レコードを追加することで、より客観的に示しました。典拠レコードを参照することで検証可能性が高まります。また、自著が出典として不適当ということについては、言葉足らずでしたが、JapaneseA さんにより一次資料テンプレートが追加されたことで目的は果たされたと考えています。--HODA会話2014年1月24日 (金) 17:38 (UTC)

利用者:Psychotic Blueさんが提示された差分を見る限り「典拠レコードを補完」したことが特定の記述に対応する出典を除去したことの「かわり」にはなっていません。

典拠レコードとは、例えばNIIの資料などを見ると、図書館資料の目録情報(書誌、著者名典拠など)のうち、著者名典拠の統一および一元管理を実現することにより、同一著者の著作の集約と検索性向上を目的とするものです。ざっくり言えば、ある著作者が実在すること、そしてその著作者の著作の一元的な情報管理をもたらすものではありますが、特定の人物の経歴・履歴に関する特定の情報の裏づけという意味での出典の代替となりえるものではありません。NDLとVIAFの典拠レコードが付加されたことは望ましいことではありますが、利用者:Psychotic Blueさんがつけた出典の代替には全くなっていません。

繰り返し申し上げますが、典拠レコードの付与は望ましいことですが、典拠レコードとは何かについて正確に理解することなく「~のかわりになる」のようにお考えになることは、典拠レコードについて不正確な理解であるだけでなく、善意で情報量を低減させることにもつながりかねません。

蛇足承知で申し上げますが、善意であることは全ての結果を妥当なものにするわけではありません。誤りを認められるのであれば、それは率直になさるべきでしょう。--ikedat76会話2014年1月24日 (金) 18:15 (UTC)

書き忘れ。念のためご注意申し上げますが、どちらの典拠レコードにせよ、高江洲さんという方の経歴に関する情報は全く含まれていません。--ikedat76会話2014年1月24日 (金) 18:22 (UTC)

HODAさんのコメントを拝見しましたが、おっしゃっていることを要約しますと、「典拠レコードは除去した出典のかわりとして機能しており、一時資料テンプレートの張付けによって所期の目標は達成された」とお考えのようですが、私にはこれは根本的な誤りのように見えます。ikedat76さんのおっしゃるように、典拠レコードに経歴は全く記されておらず代替できていませんし、そもそも除去する必要はない筈です。少なくともこの場のコメントを読む限りでは、ご自身の編集の誤りが理解できていないように思うのですが。--Psychotic Blue会話2014年1月28日 (火) 06:09 (UTC)

これ以上はWikipedia‐ノート:出典を明記するに関係する話ではなく、利用者:HODAさんに関係する話となるでしょう。続きが必要であれば、利用者会話ページとしましょう。--ikedat76会話2014年1月28日 (火) 11:22 (UTC)

コメント 伝記記事などで本人の著書を出典とする場合、中立的な観点に注意しつつ、自費出版物や自身のサイトである場合はWP:SELFSOURCEに従うようにし、第三者による客観的な評価も併記するよう注意する、といったあたりでしょうか。人物の記事の出典が本人の著書や公式ウェブサイトのみに頼っている場合は特筆性の問題が生じますが、これについても「本人による情報だけでなく第三者による情報も追加せよ。それがない場合は記事自体の存続を検討し直せ」という趣旨であって、「自著は出典には不適当だから記事から取り除け」と解釈するのは誤った解釈でしょう。取り除かずに追加すれば良いのです。--Kanohara会話2014年1月28日 (火) 12:41 (UTC)

コメント 間違いを認め、以後気をつけます。--HODA会話2014年1月28日 (火) 23:31 (UTC)

文章の小改訂提案[編集]

こちらでの議論はWikipedia‐ノート:出典を明記する/文章の小改訂提案に分割しました。--Miraburu会話 / 投稿記録 2022年7月2日 (土) 22:17 (UTC)

冒頭部[編集]

こちらでの議論はWikipedia‐ノート:出典を明記する/文章の小改訂提案に分割しました。--Miraburu会話 / 投稿記録 2022年7月2日 (土) 22:17 (UTC)

現地案内板について[編集]

こちらでの議論はWikipedia‐ノート:出典を明記する/文章の小改訂提案に分割しました。--Miraburu会話 / 投稿記録 2022年7月2日 (土) 22:17 (UTC)

全角空白について[編集]

「書誌情報の書き方(和書)」節の「項目間の区切り」項にある『かぎ括弧の前後では読点を用いず、全角空白( )を用いる』を『かぎ括弧の前後では読点、全角空白を用いない』とすることを提案します。

以下私にわかる範囲での簡単な経緯です。

  • 「Wikipedia:出典を明記する」の変更内容
    • 2005年6月12日 『かぎ括弧の前後では読点を用いず、全角空白( )を用いる』が追記される。
    • 2007年5月2日 上記の根拠として『この方式は河野による。澤田、中村はかぎかっこの前後を空けていない。』が脚注に追記される。
    • 2007年12月26日 Wikipedia‐ノート:出典を明記する/過去ログ3#かぎかっこの前後のスペースは全角?半角?が提起される。本文も『半角空白を用いる』に変更される。ただし、『この方式は河野による』はそのまま変更されない。
    • 2008年2月15日 脚注との不一致を理由に『全角空白を用いる』に変更される。

Wikipedia:表記ガイド#使用可能な文字では、『ブラウザによっては全角の場合に適切に割り付けが行われない』ことを理由として『和字間隔(いわゆる全角空白)“ ”(IDEOGRAPHIC SPACE U+3000) はウィキペディアの記事本文・記事名・カテゴリのソートキーでは使用しないでください』としています。出典だけを考えれば、ブラウザによって適切な割り付けが行われないことは必ずしも問題にはなりませんが、ウィキペディアとして、やむを得ない事情がある場合を除いて『和字間隔(いわゆる全角空白)』を使うことは避けるべきでしょう。

一方で「Wikipedia:出典を明記する」で『全角空白を使う』は、河野の文献に従っただけであり、澤田、中村に従えば『全角空白を使わない』ことになるわけで、回避できる内容です。従って表記ガイドにより、こちらの記述を変更すべきと考えます。

なお、『全角空白を使わない』場合の表示は、本文中の参考文献での河野、澤田の文献の表示となります。中村のものが『全角空白を使う』場合の表示になっています。--アルビレオ会話2014年2月19日 (水) 23:47 (UTC)

賛成 異議ありません。--Kinno Angel会話2014年2月20日 (木) 10:18 (UTC)
賛成 同じく。--ikedat76会話2014年2月20日 (木) 10:56 (UTC)
賛成 別項で全角空白の件を相談提起した者です。変更に賛成します。--Garakmiu2会話2014年2月20日 (木) 13:10 (UTC)
質問があります。
  • その1 「全角空白を用いない」ということは、具体的には「半角空白を用いる」ということでしょうか。
  • その2 たまたま澤田昭夫『論文の書き方』の第8章「下書きから清書へ -注と文献表、総点検とできあがり-」だけを流し読みしてみましたが、「(全角)空白を用いない」と書かれている部分はありませんでした(読み逃しているだけかもしれませんが)。どこかに書かれているのでしょうか。
その2については、この澤田文献の注釈部分に使われている二重かぎ括弧は、かぎ括弧のすぐ上の文字と隙間があります。この隙間はわざと空けているのではなく、かぎ括弧が活字一文字相当の真ん中あたりにあるためのようです(いわゆる等幅フォント相当の表示)。たまたま私がWikipediaを閲覧している環境(Firefox、規定のフォントはMSPゴシック)ではかぎ括弧の前後が詰まって表示されるため、著者や出版社の情報が前後にあるとごちゃごちゃして見づらく可読性が悪く感じます。
河野文献、中村文献にはあたれていませんのでどのように記述されているのか分かりませんが、中村文献に「半角空白を用いる(または用いてもよい)」と書かれているのであれば、今回の問題提起に対してはテンプレートを元の状態に戻せばいいだけと思いますし、そうでなければ残る選択肢としては「全角・半角ともかぎ括弧の前後に空白は入れない」となるのではないでしょうか。私としては、可読性悪化を押さえるために空白を入れた方がよいとは考えますが、半角空白を入れるということであれば、澤田文献(ないしは河野文献も?)半角空白を用いてもよいとなっていない限り、参考文献として採りあげるべきではないことになってしまいます。上述のようにWikipediaの閲覧用フォントによって可読性が変化します。縦書きと横書き、ブラウザ上と誌面やpdfでも異なるところでありますし、挙げられている文献による表記方式で問題ないのであればいいのですが、そうでなければ必ずしも準拠する必要は無く、柔軟に対応してガイドライン化すればよいのではないかと思います。
私の解釈が間違っているのかもしれませんが、少なくとも項目間の区切りの第2項に対して「鉤括弧の前後には空白を入れない」という方針であれば反対します。--みそがい会話2014年2月23日 (日) 12:02 (UTC)
まず質問への回答
その1 文字通り「全角空白を用いない」であり、「半角空白を用いる」ではありません。今回の目的はWikipedia:表記ガイドとの矛盾を解消することです。
その2 書かれていないようです。(見落としでしたらすみません)
以降はコメントに関してです。
みそがいさんのコメントでも触れられていますが、ウィキペディアはWebコンテンツで、表示されるフォントも人によって違っています。私としても、活字を前提とした参考文献に完全に合わせる必要はないと思います。実際に今回、本文を確認したところ、従来からかぎ括弧の前後は空白無、半角空白、全角空白が混在していました。今回私が意図しているのは、あくまで表記ガイドとの矛盾を解消するため、「全角空白を用いる」という記述を除去することです。「空白を入れない」か、「半角空白を入れる」かについては、必要であれば別途議論するレベルの話でしょう。その話を今回すると議論が長引いてガイドとの矛盾状態が続いたままになるので、今回は切り離しておきたいと思います。--アルビレオ会話2014年2月27日 (木) 00:01 (UTC)
回答とコメントありがとうございました。しかし、申し訳ありませんがまだ私の理解が足りないようです。「全角空白を用いない」ということには反対ではありません。しかし、実際に書誌情報の書き方(和書)に反映させる場合には、その記述が(当面かもしれませんが)ガイドラインとなるわけです。当該文章を削除すると「かぎ括弧の前後には全角空白・半角空白とも入れない」という方法しか残りません。アルビレオさんが意図している案がそうなのであれば、やはり可読性の点から私は反対です。ただし「(全角ではなく)半角空白を用いる」ということが許容される記述であれば表記ガイドとの齟齬もありませんし賛成です。くどいようで申し訳ないのですが、一度アルビレオさんの案を記載していただけないでしょうか。お手数をおかけしますがよろしくお願いします。--みそがい会話2014年2月28日 (金) 11:06 (UTC)
本セクションの先頭に書いたとおり、『かぎ括弧の前後では読点、全角空白を用いない』です。今回それ以上の規定をするつもりはありません。--アルビレオ会話2014年2月28日 (金) 11:17 (UTC)
お手数をおかけしました。冒頭に記載されておりました。誠に申し訳ありませんでした。
しかしながら、やはりアルビレオさんのご提案では賛成できません。代わりに下記の文言とすることを提案します。
  • 『かぎ括弧の前後では読点を用いず、半角空白( )を用いる』
以下に理由を記します。
  1. Wikipedia:表記ガイドに反しない。
  2. 現在の「書誌情報の書き方(和書)」では、かぎ括弧の前後に空白を入れることが基本であること。(私は両論併記(空白を入れても入れなくてもよい)だという先入観を持っていましたが、実際は、脚注文献(空白を入れない)は参考情報であってガイドラインとしての規定効力を有していないと思います。もし空白を入れない方法も許容されるのであれば、本文中に記載すべきです。)
  3. 「全角空白( )を用いない」という表現は、裏を返せば「全角空白( )以外を用いてもよい」ととられるおそれがある。(アルビレオさんや私は既に議論しておりますからこの部分の実際の記事での対処方法については分かります。しかし、ご提案の文章に置き換えると、初めて「書誌情報の書き方(和書)」を見た方にとっては何を意味しているのか(何を使えばいいのか指定されていないので曖昧さがあり)分かりにくい)
  4. 半角空白を用いることで可読性の悪化を少しでも押さえることができる。(プロポーショナルフォントのかぎ括弧への対処)
  5. テンプレートを用いて全角空白になっている記事に関しては、テンプレートを以前の状態(半角空白)に戻せばよい。
  6. 「項目間の区切り」第3項には、半角空白についての記述がある。(「…半角空白を入れずにつなげて書く。」)
といったことが挙げられます。いずれにせよ、「書誌情報の書き方(和書)」を参照される方にとって、表記ガイドに反せず、記載方法の曖昧さを排除することはガイドラインとして重要なことだと思います。アルビレオさんは矛盾を早急に修正すべきという立場であることは重々理解しております。上記の理由から半角空白を用いることにすれば、それですっきりとすると考えますが、いかがでしょうか。既にアルビレオさんの提案に賛成されている方からも御意見をいただければと思います。--みそがい会話2014年3月1日 (土) 15:17 (UTC)
コメント 空白を空けていないものについてはどうお考えでしょうか? 本文の参考資料からしてかぎ括弧の前後に空白を入れないものがあります。これまで「全角空白をいれる」になっていたにも関わらず空白無になっていたのだから、今後もガイドが「半角空白をいれる」に改訂されてもそのままで良いと言えなくもないですが、混乱は避けられないでしょう。
『かぎ括弧の前後では半角空白( )を用いる。ただし既存の空白無の記述に半角空白を入れる必要は無い。』とするのも一案です。--アルビレオ会話2014年3月1日 (土) 21:44 (UTC)
空白無しで記載されている記事についての対応については私もどうしようかと考えたのですが、私としては「空白無し」についてはガイドラインとしては記載しないということでいいかと思います。既存の空白無し記述に対してそれを追認する記載をすることは、本議題が正式にガイドラインとして効力を持つ場合の期日と個別記事の編集時期の突き合わせを管理することに困難が予想されますし、そういう既存記事に対してさらに書誌情報を追加する場合にも不整合を生じる可能性があります。消極的ではありますが、各編集者による個別対応に任せるほかないと思います。(現実問題として、全角空白についてだけでなく、書誌情報の記載そのものがガイドラインに則っていないものも多数ありますし)
なお、本文の参考文献節にある書誌情報については2009年5月[2]で全角空白が削除されたのですが理由については分かりません。(参考文献節は2004年10月[3]で追加。その時点で全角空白が用いられている。) 仮に、参考文献が「空白無し」方式だから、参考文献節で本文中に指定されている記載基準外の記載をした、ということであれば適当ではなかった思います。(他にも同様の変更があったのかもしれませんが履歴を追い切れていません) (なお、空白無し方式が適当でないという私の考えは、先にあげた2の理由によります) また、「書誌情報の実例(和書)」にある例も全角空白の直打ちですから修正する必要がありますね。
いずれにしても各方式が混在している現状では、全角空白の修正だけでも後を引くことが予想されます。これを機に、単純な一つのガイドラインとすることが望ましいと思います。--みそがい会話2014年3月2日 (日) 04:34 (UTC)
こちらでの議論が止まってしまっているようですが、Template:Cite bookの修正はできれば進めたいのですがいかがでしょうか。--Garakmiu2会話2014年5月18日 (日) 13:04 (UTC)
コメント たとえば「新版 古今和歌集 現代語訳付き」を「新版『古今和歌集』現代語訳付き」とする場合がありうると思いますが(書名に含める場合、#刊行年月日で示されているように別記する場合もあると思いますが、ケースバイケースの部分もあり、すべての分野で一意に定めることは難しいかと思います)、現在のTemplate:Cite bookが対応しているかどうかは別として、こういった場合は巻数と同様、空白は入れないことを明記したほうがいいのではないでしょうか。具体的な記述は「巻数、または副題に準じるが書名に含めない名称」でどうでしょうか。
あと、ついでで恐縮ですが、#書名#書名_2で「ダッシュ」として示されているのがハイフンマイナスなのが気になります。 --KAWASAKI Hiroyuki会話2014年5月18日 (日) 14:11 (UTC)

ドメイン乗っ取り用テンプレート作成に関する議論のお知らせ[編集]

プロジェクト‐ノート:外部リンク/リンク切れ#ドメイン乗っ取り用テンプレート作成提案で、リンク先のドメインが乗っ取られ別のページになっている場合に使用するテンプレートについての議論を行っています。{{リンク切れ}}に似た外観で、元のURLのリンクを切ってテキストとして表示するテンプレートです。同ノートのリンク切れではなく、ドメイン乗っ取りなどから誤リンクとなっているケースの扱いもご覧ください。議論への参加をお願いいたします。--せちせち会話2014年3月2日 (日) 03:24 (UTC)

この節は次の利用者の依頼で過去ログ化されました: せちせち会話2016年6月26日 (日) 03:42 (UTC)

ウェブサイトを出典とする場合の改正提案[編集]

解決済み提案者として反対意見に同意し、取り下げることに致します。--Tanabatasanshiro会話2014年6月16日 (月) 01:29 (UTC)

「ウェブサイトを出典とする場合」

;(提案)

URLと半角スペースの後のリンク名は、手作業の打ち込みなどではなくHTML要素のtitleウェブブラウザのソースから確認可)そのままで記述します。

また、脚注注釈出典)、参考文献外部リンクにも「表記ガイド」的にかかわってくると思います。加えて、この場合の問題点としては、半角の[]が含まれていると、表示がおかしくなってしまう点が課題として挙げられると思います。

反対 反対です。全角文字であれ半角文字であれ同じ文字を指しており、変換によって意味内容が失われたり変わったりするようなことはなく、また独自研究が介在する余地もありません。書籍の書名や、ウェブサイト上の出典から引用された引用文は表記ガイドに沿って直すのに、ウェブサイトのタイトルだけ特別視するというのもおかしな話で、「Wikipedia:表記ガイド」が掲げる「ウィキペディア全体の表記の一貫性」という理念に反しています。それに、HTMLソースからのコピーアンドペーストは、PC用ブラウザでは容易であっても、スマートフォン/タブレット用ブラウザでは困難ですので、編集可能な環境を狭めてしまうことにも繋がりかねません。メリットが示されておらずデメリットしかないルールには賛成できません。--Kanohara会話2014年6月15日 (日) 05:12 (UTC)
情報 追記です。現在の「Wikipedia:出典を明記する#ウェブサイトの例」では、リンク先ではHTMLのタイトルに全角英数字が用いられているところを、記述例では半角英数に修正しています。そもそも出典のタイトルも、HTMLソースに記述されたtitle内のタイトル「村上春樹「映画『A2』をめぐって」」ではなく、記事内からimgタグを使って画像表示されている表題「共生を求める人々、求めない人々-映画『A2』をめぐって」が用いられています。ですので現状のルールでは、「ウェブサイトを出典とする場合も、リンク名は、当ガイドラインや表記ガイドに従った表記へと修正する」のが暗黙となっていると考えます。--Kanohara会話2014年6月15日 (日) 05:55 (UTC)
なるほど。ですがHTML要素のtitleはタイトルバーとほぼ同義でもありますから、たとえ携帯端末だとしても「お気に入りに登録」や「ブックマークする」などの操作でもリンク名は確認可能だと思うので、コピペもできると思います。
一方、当方は全角を半角にしてしまうと、リンク切れ時の検索や復元に支障をきたすことの方が問題だと考えていたので、Kanohara氏のような認識が一般的(暗黙の了解)と考えあまり影響が無いととらえてよろしいのでしょうか。村上春樹のものはWikipedia:出典を明記する#書誌情報の実例(和書)での「ウェブサイトの例」ですが、これはなぜWikipedia:出典を明記する#ウェブサイトを出典とする場合と別の節扱いになっていて、さらに後者の手書き(かぎかっこ+媒体名+年月日)の構成になっていないコマンド方式(?)で示しているのでしょう?おそらくは「リンク切れしたオリジナルに対するインターネットアーカイブを用いた場合の表記ガイド」なのでしょうが、なのでしょう。どちらかの書式で節に統一しては駄目なのでしょうか。--Tanabatasanshiro会話) 2014年6月15日 (日) 06:35 (UTC)村上春樹の例は、出典テンプレートを用いていると分かり自己解決しました。--Tanabatasanshiro会話2014年6月15日 (日) 06:59 (UTC)
返信 Tanabatasanshiroさんは「全角を半角にしてしまうと、リンク切れ時の検索や復元に支障をきたすことの方が問題」とのことですが、そのような問題は発生しません。Googleの検索結果で「"【e-tax】国税電子申告・納税システム(イータックス)"」と「"【e‐Tax】国税電子申告・納税システム(イータックス)"」の違いを確認してみてください--Kanohara会話2014年6月15日 (日) 07:19 (UTC)
  • 反対 ソースを、で理解できる利用者ばかりではない、むしろ何をどうすればいいかわかって実行できるほうが少数でしょう。編集、出典明記の障壁となるようなルールはできるだけ作らない。--Ks aka 98会話2014年6月15日 (日) 06:55 (UTC)
コメント ウィキペディアのような電子テキストで全角文字と半角文字をどう区別するか、いろいろな方法がありえますが、全角と半角を区別せず、一定のルールに従って統一するのが一般的だと思います(ご興味があれば全角と半角Unicodeの等価性などもご参照ください)。ウィキペディア日本語版でも基本的にはこの方法で、丸括弧などは見やすくするために全角と半角を区別しているわけです。(もっとも、投稿者がこういった問題を意識しないといけないのは本来おかしなことで、<pre> などの指定がないかぎり、全角文字も半角文字も投稿時に自動的に変換されるのが理想だと思います)
リンク先の名称についても、<title> が存在しない、適切に指定されていない(<h1>、単にサイズが大きな文字、あるいは画像などでしかページの名称が示されていないとか、マークアップを含むなど)、{{Cite web}} の work や publisher に相当する部分が <title> に含まれている、といったケースがあり、杓子定規に <title> だけをリンク先の名称とするのは望ましくないと思います。
ウェブサイトの構成変更などがあった場合に生の <title> が分からないと移動先を見つけにくい、という意図は理解しますが、<title> も変更されることがあるので、識別子としても絶対的ではないと思います。 --KAWASAKI Hiroyuki会話2014年6月15日 (日) 10:05 (UTC)、空白のみ一部追加:2014年6月15日 (日) 10:21 (UTC)
たしかに「【e-tax】(略)」で検索しても、わざと【E-TAX】に変えてみても、検索の結果には相違ないですね。KAWASAKI Hiroyuki氏の「titleも変更されることがある」というのも、当方がよく編集する記事においても過日に2回目を経験したばかりですので、仰る通り絶対ではないですね。
だいたい煮詰まってきた感じですが、書誌情報の実例(和書)での「ウェブサイトの例」と、「ウェブサイトを出典とする場合」で、“出典テンプレート使用”の例と、“「」で囲んでの手書き”の例という、2つの例が存在している現状についてはどうですか?節なり解説なりでまとめた方が分かりやすい(参考にしやすい)と思うのですが……。--Tanabatasanshiro会話2014年6月15日 (日) 12:32 (UTC)
コメント 出典テンプレート{{Cite web}}は、2006年3月に英語版ウィキペディアから導入されたテンプレートなので、外国語文献の慣習に基づく「Wikipedia:出典を明記する#書誌情報の書き方(外国語文献)」に準じた書き方で表示されます。{{Cite book|和書}}{{Cite journal|和書}}のように、パラメーターによって日本語文献用の表示に切り替える機能を持った出典テンプレートもありますが、多くの出典テンプレートは{{Cite web}}と同様に英語版から導入され外国語文献に準じた表記で表示されるようになっています(「Category:出典テンプレート」を参照)。いずれにせよ、出典テンプレートを使用するのも、テンプレートを使わず鉤括弧で囲うのも、「[[Wikipedia:出典を明記する#書誌情報の書き方(和書)」で認められている書き方なので、問題ないかと思います。--Kanohara会話2014年6月15日 (日) 14:46 (UTC)
反対 Cite web(手書き不可)式一種類への統一には反対します。初心者やスマホユーザーのための配慮として、簡便に表記できる方法も並列で容認するようにしたほうがむしろ良い。簡便な表記を雑草取りでCite web式に変換することは構わないと思いますけど。出典表記をメリットのある億劫な方法に完全に統一した結果、出典表記を諦められるほうが悪い。またこれを守れ、これを守れとうるさく付きまとって、ユーザーが去るほうがもっと悪いでしょう。--Gyulfox会話2014年6月15日 (日) 21:22 (UTC)

作曲家の情報源として、コンサートのプログラムを使用してもよいのか[編集]

プログラムは作曲年・作曲動機・楽曲分析等が書かれることが多いです。特に、曲の解説を作曲者本人が記したものは最も信頼性が高いのではないかと考えます。プログラムに書かれた内容を、作曲家の情報源・出典として使用してよいのか教えてください。--以上の署名のないコメントは、Jagarikojagajaga会話投稿記録)さんが 2014年12月1日 (月) 02:28 (UTC) に投稿したものです(36.2.117.161による付記)。

コメント 異論はあるでしょうが、あまりお勧めできません。最大の理由は他の人が該当資料にアクセスできないと思われる点です。Wikipedia:検証可能性に示されているように、ウィキペディアの記事の出典は広く信頼されている発行元からすでに公開されているものでなければなりません。その理由は閲覧者層や他の編集者が検証できるようにするためです。その問題がクリアできれば、例えばコンサートが開催された都市の図書館にプログラムが収納されていて、そこで閲覧できるようであればこの問題は無くなります。その場合でも本人が書いたものはWikipedia:存命人物の伝記#本人を情報源にする場合にあるように記事の出典としては注意が必要です。--アルビレオ会話2014年12月1日 (月) 06:22 (UTC)
コメント 映画のパンフレット(プログラム)であれば、信頼できる発行元から発行され、全国の映画館で一定期間販売され、その後も中古品などを入手できる可能性があるので、個人的には使うことに若干の抵抗感を感じつつも、これは出典に使ってもOKだろうと判断しています。ただコンサートのプログラムとなると、入手は容易ではなく、また事情が違ってくると思います。私もアルビレオさんのルール解釈に賛同します。--Kanohara会話2014年12月1日 (月) 11:12 (UTC)

アルビレオさん、kanoharaさん、ありがとうございます。作曲者本人が存命でない場合、存命中に記したプログラムは情報源にしてもよいのでしょうか。また、販売されているCDにのっている曲解説はいかがでしょうか。jagarikojagajagaより2014年12月1日10時24分--以上の署名のないコメントは、Jagarikojagajaga会話投稿記録)さんが 2014年12月1日 (月) 22:24 (UTC) に投稿したものです(せちせち会話)による付記)。

コメント 販売されているCDにのっている曲解説はそのCDが一般発売されているものならば基本的にOKでしょう。ともかく第三者が検証が可能でなければなりません。例えば国会図書館や東京近代美術館フィルムセンターなど納められているものなら検証は可能です。その作曲家記事を読んだ第三者がそのプログラムをなんとかして見ることができなければダメでしょう(ただし、国会図書館にはあるが鹿児島県人は東京まで行けない。といった苦情は無視できます。ただし俺の家にプログラムがあるから俺の家まで来いというのはダメです。遠くても誰でも見ることができる公共の機関に所蔵されていなければ検証は不可能です)。それと本人がそう言ってたというのは内容次第ですね。本人談は往々にして都合の悪いことでは嘘を言うものです。あるいは政治家に多いですが○○県でよいことは自分のおかげみたいなことを言う人も居ますし--ぱたごん会話2014年12月1日 (月) 13:36 (UTC)

電子書籍の場合に、「何ページ」かがわからない[編集]

(ひょっとすると私が機能を使いこなしていないだけなのかもしれませんが)、いわゆる紙の本のように「何ページ」というようなものがありません。それなりに長大な(紙の出版だと数百ページクラスの)ものの場合、どうしたらいいでしょう。ものによっては「第○章」ぐらいは示せそうですが・・・。--柒月例祭会話2014年12月26日 (金) 05:23 (UTC)

サービスによるのかもしれませんが、紙面に直接表示されていなくてもしおり機能やジャンプ機能でページ番号が出てきませんか?私の手持ちのKindleやSony Readerではそのような形でページ番号を確認できます。目次ページなども含めてカウントされるので、紙媒体とはずれていると思いますが。--Claw of Slime (talk) 2014年12月26日 (金) 06:03 (UTC)
ありがとうございます。実は私もKindleでして、ページ番号的な数字は確かに表示されます。ただ、おっしゃるように、紙媒体とはズレていそうですし、あの数字がひょっとしたら画面の縦横を変えたりして表示方法を変更したら、ページ番号(?)的なものもまた変わっていっちゃうのかなあと思っていました。
ひとまず、電子書籍であることと、あの数字を書いておけばよさそうでしょうか?
私が気がついていないだけかもしれませんが、電子書籍を出典として明示しているような例をあまりみたことがなかったもので・・・。--柒月例祭会話
まず(本題とは明らかに違いますが)、科学ニュースがみるみるわかる最新キーワード800 過去5年間の記事をベースに未来予想をプラス (サイエンス・アイ新書) Kindle版のように、紙書籍をスキャンして提供している電子書籍については、電子書籍である事をあえて書かないで紙版と同様のページ表記で良いと思います(念のために、電子書籍版を見たからと言って気を遣わせない目的が大きいです)。また、電子書籍版しかなくてもページ内に紙同様のページ数が振ってあるのであれば、そのページで良いと思います(少し違いますが、図書館要覧でも実際に振ってあるページ数とPDFのページ数が相違していたりします。ただ、最近紙書籍版も実在する事がわかりましたので、ページが振ってあればそれに準じた方がわかりやすいと思います)。
本題の、電子書籍版しか無くて、かつページの概念がないような書籍について。Kindleのある書籍で複数端末(タブレット複数・スマートフォン1)でテストしてみたのですが、例えば「位置No.636/1966」で全て同じページが表示されました。ただ、純粋な電子書籍端末(持っていない)ではテストしていませんし、別のサービスであれば別の表記かも知れません。
電子書籍版に特化した書籍であれば「サービス名」「位置情報(サービスに合わせた形で)」を明記すれば大丈夫だと思いますが、どうでしょう(複数のサービスでテストしてみないと分からない部分も多いと思います)。--Taisyo会話2014年12月26日 (金) 12:18 (UTC)
Koboの純粋な電子書籍版をタブレットで見たのですが、位置情報が出てこないようです。そんな時は「章の名前」を書くしか無いのかも知れません。もっとも主要サービス毎に、位置情報が標準設定では表示されない場合に表示させる方法(ある場合)などは解説ページを作っても良いのかも知れません。--Taisyo会話2014年12月27日 (土) 01:11 (UTC)
  • 電子書籍はいじったことが無いのでわからないのですが、該当ページのノンブルのようなものを表示する機能があるなら、それで表示される数字なり記号なりを使えばよいと思います。少なくとも該当端末で指定すれば該当画面が表示されるような数字なり記号なりを書いておけば間違いないでしょう。
ところで、そのような出典を使う場合は、媒体として「電子書籍」などという総称的な単語ではなく、たとえば"Kindle"とか"CD-ROMブック"のように具体的なハードウェアもしくはアプリケーション、またはファイル形式などを指示する必要があります。その理由はWikipedia:利用案内#出典として、電子辞書・電子版は使えるかのコメントとして書いたことと重複しますが、まさしくこの質問の例のように、同じコンテンツでもハードウェアによって内容が異なる(この場合はノンブルなのでコンテンツ自体の内容とは違いますが)のでどの媒体で見たのか明記しておかないと結局のところ検証可能性を満たさないからです。電子書籍といわず、紙の本でまったく同じ内容であったとしても例えばハードカバー版と文庫版では当然ノンブルは違います。だから書籍でも、せめてハードカバーか文庫・新書版かの違いくらいは書いておく必要があります。電子書籍の場合も同じように考えれば、「媒体」と「その媒体で該当個所を一意的に指定・表示できるような記号」をセットにして提示することの必要性あるいは必然性はご理解いただけると思います。
ちなみに、citationテンプレートを利用する場合、媒体を指定するフィールドがないので、とりあえずeditionフィールドを使って "edition=Kindle版"などと書いておくのがよいのでは無いでしょうか。
なお、電子書籍の書誌情報の書き方としては科学技術情報流通技術基準 参照文献の書き方(補遺) 電子文献参照の書き方が参考になると思います。 --Loasa会話2014年12月26日 (金) 12:57 (UTC)
恐ろしく亀レスですが、利用者:Taisyo/Wikipedia:電子書籍を出典に使用した場合の記述方法に関するガイドラインを作成し、Wikipedia:井戸端/subj/電子書籍を出典に使用する場合のガイドライン整備についてで意見募集を開始しました。--Taisyo会話2015年5月21日 (木) 10:31 (UTC)