Wikipedia‐ノート:出典を明記する/過去ログ12

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

団体著作について[編集]

首題の件ですが、以下について疑問があります。以下の場合はどのように参考文献を明示するべきかご教示(または本文にご記載)いただきたくよろしくお願いいたします。 (1)著者名が団体名義であり、編者も未記載または○○技報編集委員会のような組織名の場合 (2)著者名として国の機関や大学・企業の研究者が「所属組織名+個人名」と記載している場合(企業・業界団体の技術レポートによく見かけます) --Sasara(T/C) 2018年6月4日 (月) 06:15 (UTC)[返信]

返信 基本的には、そのままお示しになればよいのではないでしょうか。たとえば私だったらこんな感じ。

  • 『サラブレッド種牡馬銘鑑』第1巻,日本中央競馬会・刊,1970
  • 一般社団法人日本温泉科学会,「温泉科学」29巻3号(1978年),甘露寺泰雄(財団法人中央温泉研究所),「温泉統計と枯渇現象」
  • 一般的な文献ではたいてい巻末に著者の略歴がありますよね。また「所属組織名」は、ふつうは、その功績が組織に帰属するとかいう場合に示されるんだろうと思います。
  • 出典を明記するの冒頭部には、出典明記の主要な目的が3つ示されています。
  • (3)著作権のため。(著者側の権利保全のため。)
  • (2)さらなる調べ物のため。(参考文献目録として。)
  • (1-a)検証可能性のため。
  • (1-b)中立的な観点のため。
  • 基本的には、いずれの場合にも、情報源である文献が迷いなく特定できるならば、必ずしも詳細に情報を示さずとも、目的は果たせます。きっとたいていは、「所属組織」が示されなくても、情報源を特定できることでしょう。
  • (1-b)については、「中立的な観点」が示されていますが、「中立的かどうか」だけでなく、もう少し幅広い意味での信頼性を計る材料となるでしょう。つまり自己情報源や利害関係の有無だけでなく、その分野の専門家なのか門外漢なのか、文脈に沿った情報なのか余談なのか、とか。
  • いわゆる刊行された文献は、その刊行者が作品の中身の信頼性を保証するわけですが、ウィキペディアの場合にはそれがありません。ウィキペディアでは、読者が自分でその記事の信頼性を推量することになり、情報源の著者の情報はその材料になります。その手助けになるならば、「所属組織」などの情報は有益と思います。これは何も「所属組織」に限った話ではなくて、たとえば素粒子物理学や遺伝子工学についての情報源が19世紀のものだったら怪しいでしょう。
  • 人物によっては、ウィキペディア内に人物記事として掲載されている人もいるでしょうから、そこへリンクすることも読者が信頼度を計る材料になります。
  • これは雑談です。ウィキペデイア内にも記事がないような場合には、文献の著者は単に名前だけを書けばいい、ということになります。でも、たいていはそれだけではその著者が信頼できるかどうかわかりません。巻末の略歴などを参照し、「著者はX大学のM学部の教授」であることを示すとかすると、記事の読者にとっては安心材料になるなあとは思います。(でも私自身も含め、そこまでしている記事はみたことないです。)
  • 世間一般の文献や論文では、参照・引用されることは、引用・参照される側(被引用者)にとってステータスUPになる的なところはあるでしょうけれど、ウィキペディアに情報源として示される、というのは、どんな感じなのでしょうね。これは私にはちょっとわからない。--柒月例祭会話2018年6月4日 (月) 09:25 (UTC)[返信]

返信 ご返信ありがとうございます。原著者の信頼度を測る材料となるという点は確かに重要であると考えます。また、著作者人格権を考慮しますと原著記載の組織名も同様に記載する方が望ましいですね。SISTにも組織名+個人名のパターンがなく途方に暮れておりました。本当にありがとうございました。--Sasara(T/C) 2018年6月4日 (月) 09:56 (UTC)[返信]

外国語論文の論文名についてダブルクォーテーションマークで括っているのに "論文名," と論文名末にコンマを付すべきか[編集]

Wikipedia:出典を明記する#書誌情報の書き方(外国語文献)」を見ると、「論文名はダブルクォーテーションマーク(“ ”)でくくる。」と書いてあり、
Wikipedia:出典を明記する#書誌情報の実例(外国語文献)」では「執筆者名, “論文名,” 雑誌(書)名, 編者名, 巻・号数, 刊行地, 刊行年, 参照ページ.の順で記す。」と書かれています。

しかし、複数の論文名を列挙しているわけでも無いのに論文名末にコンマを付す理由が分かりません。削除して良いのではないかと思ったのですがガイドラインの為、皆様の御意見を伺いたいと思います。

なお、当該記述は2004年10月11日 (月) 17:23 (UTC)利用者:さららゆら氏により記入された物です。

(参考)引用・参考文献の出典の書き方” (PDF). 清泉女子大学. 2019年5月2日閲覧。欧文論文の論文名はダブルクォーテーションマークで括られているが論文名末にコンマは付されていない。

--野良人会話履歴 2019年5月2日 (木) 11:21 (UTC)[返信]

  • それは、通称 Turabian とか Chicago Style とかいわれる書き方の一つなので、間違っているというわけではないと思います。実際のところ、出典の書き方はこの文書に厳密に準拠していなくても問題ないので気にしなくてもいいと思いますよ。気になる又は何か問題が起きているならば、書き方をどれに限定するか議論するより、この文書に書いてるのはあくまでも例であり外部の権威ある推奨書式であれば何でも良い旨を書き足す方が生産的だと思います。--Yapparina会話2019年5月2日 (木) 12:31 (UTC)[返信]

記事末尾に参考文献を記載するの改訂提案[編集]

以前Wikipedia:井戸端/subj/付録節の順序のルールで話題に上がったのですが、Wikipedia:スタイルマニュアル (レイアウト)#付録節との衝突が発生しています。現状、外部リンク等他の節が参考文献よりも後に来ることは珍しくないので、「記事末尾に参考文献を記載する」の節を以下のように改訂することを提案します。

記事末尾に参考文献を記載する
;参考文献記載の注意点
#参考文献記事の一番最後『記事本文の後に(付録節)』に記載する。(以下略)

打ち消しが抹消、『』が置き換えです。井戸端での議論そのままなのですが、参考文献は記載することが必要であって「末尾」が重要ではないので、節名称から末尾を取る。記事の一番最後とは限らないので、本文の後とし、スタイルマニュアルへの誘導を付けるだけです。ご検討をよろしくお願いします。--Open-box会話2019年7月6日 (土) 15:37 (UTC)[返信]

全く関係の無い事象を結びつけないように。こっちはただの取りこぼしのカバーです。--Open-box会話2019年7月7日 (日) 11:36 (UTC)[返信]
  • 賛成 大筋でよいご提案と思います。私なりに考えてみたのですが、「節」という表現が要注意なんだろうと思います。
  • Wikipediaではふつう、「節」というと、等号でマークアップ「==これ==」して作成したものを「節」とか「セクション」と呼んでいます。(例Help:ページの編集#見出し
  • これに対し、「冒頭」という表現があります。冒頭文は等号でマークアップしないので、「節」と表現できない。
  • 本件の場合、「付録」とあるため、「==付録==」という「節(セクション)」のようにも読めちゃいます。(実際には、「付録」という「節」がある記事は少ないように思います。もちろんOpen-boxさんは、「Orderはあくまで一例」なので「付録という節を作れ」というわけではないよ、とお考えですよね。)
  • 話としては、記事の本文にあたる部分(いくつかの「節」からなるかたまり)、注釈や出典情報や参考文献類などの諸情報にあたる部分=「付録」、読者へのサービスで設けられている部分(関連項目や外部リンク)、技術的な必要で設けられている部分(カテゴリなど)、などに大別できます。この「ひとかたまり」を指すのには「節」と表現しないほうがいいんじゃないかなあ、と感じました。
  • 「冒頭」「解説(記事の本文)」「付録」みたいに大別し、各「部」がいくつかの「節」から構成される、みたいなイメージなんだろうなと思います。(一般論としては「部・章・節・項」・・・みたいなカテゴリーで構成するのですが、Wikipediaでは「部」「節」などの語が既に使われちゃってるので、ちょっとややこしいですね。)--柒月例祭会話2019年7月9日 (火) 14:09 (UTC)[返信]
これは単純に「Wikipedia:スタイルマニュアル (レイアウト)#付録節」へのリンクですので「節」と言う語を動かせません。そこにこだわるなら『記事本文の後(Wikipedia:スタイルマニュアル (レイアウト)#付録節を参照)』でしょうか。
現在の構造は、「冒頭定義部(マニュアルでは導入部)」「本文部(マニュアルでは本体節)」「付録部(マニュアルでは付録節、関連項目や外部リンクもまとめてここです)」「機能部(マニュアルではまとめず機能別に列挙、テンプレートもここです)」で、最初だけ「部」ですからマニュアル側で全て部にしちゃうのはありだと思います。その場合は改訂して、他の文書は連動することになるでしょう。
H2=「節」になるのは英語版がSectionってしているのも原因の一つでしょうが、Wikipediaの設計はH1=記事、H2=節、H3=項、H4以下小見出し(目次では反映されます)で、H1=記事、H2=部、H3=章、H4=項、H5=見出し、H6=小見出しになっていないので、便宜的にH1とH2の間に部があるものとして考えることになるのでしょう。章は現在のWikipediaの仕様では難しいですが(中間レベルの省略ができないので、H5を実装するだけだと機能しません)本文部のH2を章として運用するケースは少なからずあります。--Open-box会話2019年7月13日 (土) 01:34 (UTC)[返信]
Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル (レイアウト)にて、この点の調整を合わせて提案しました。--Open-box会話2019年7月13日 (土) 01:52 (UTC)[返信]

リンク切れが付されていて代替リンクが見つかる場合、けっきょくどうすればよいのか[編集]

表題につき、現状の説明では理解が難しいと感じます。Deadlinkタグを使用してリンク切れ表示させる場合に、Wikipedia:出典を明記する#リンク切れの回避と修復に飛んでくるわけですが、実際修復に関係するのは2段落目です。「次の順序で修復方法を試してみてください」とあるので、順にしたがっていくと…1) 状態を確認した上で、2) において代替リンクが見つかったとして…2)に書いてあることで修復作業が完了するのか、それとも3)に進むべきなのか、そもそもそこからして不案内です。2)では「検索する」としか書いておらず、見つかったリンクで置き換えるとも何とも書いてないので(ここでは作業が終わらず)先に進むとして、3)にて「代替配信サイトならリンクを削除」とあります。ここでは2)において利用した「アーカイブサービス」が突如「代替配信サイト」と全く別名で呼ばれているように感じますが、人によってはこれが同じものだと気付かずに戸惑うのではないでしょうか?おそらく、両者は同じものなので、2)で代替リンクが見つかった場合は晴れて「リンクを削除」することができるわけですが、代替リンクで置き換えるという作業には触れていません。まさかせっかく探し当てたリンク先を書き込まない人はいないと思ったのでしょうか、それにしても不案内だと思います。ここでは置換作業を行うことを明記すべきです。同じく、文献の場合の「単純に削除」も言葉足らずでしょう。実際には文献名で置き換える作業のはずです。それで、ここまでで作業が終了した場合にはその先には進まないでよいはずなので、その旨をやはり明記しておくべきです。4)は飛ばして、5)を見ると「検証不可能と見なされるべき」なのはわかりましたが、ではそのあとにどういう作業が必要なのか、やはり説明が欠けています。全体として、手続きのフローが見えずに、用語も統一されていなくて、かなり使いづらい案内だと思います。これだと私家版手続きで済ませてしまう人もいるんじゃないでしょうか。--直蔵会話2020年2月10日 (月) 05:50 (UTC)[返信]

提案 言うだけでは何なので、以下改良案を示しておきます。

切れたリンクは、修復・置換を試みてください。今日の時点でURLがリンク切れだからとして即座に出典を削除しないでください。 記事に必要な信頼できる情報源がリンク切れであった場合は、次の順序で修復方法を試してみてください。

  1. 状態を確認する - まず、一時的にアクセスできないのではなく、リンクが切れている状態であることを確認してください。サイトがメンテナンス中ではないことを確認してください。一時的なアクセス不能ではなく、リンクが切れていることが確認できたら次に進みます。一時的なアクセス不能の場合は時間を置いて再度状態を確認してください。
  2. アーカイブサービスを検索して代替リンクを探す - 複数のアーカイブサービスの中で利用できるものを選びます。
注 - 多くのアーカイブでは、保管データが公開されるのに最大18ヶ月の遅れがあります。そのため編集者はアーカイブされていないと判断するのに、リンク切れとしてタグが打たれたあと最大24ヶ月待つべきです。信頼できる出典がリンク切れして代替リンクが見つからない場合、通常は{{リンク切れ}}のタグを打ってください。そうすれば編集者はどの期間リンク切れであったか判断できます。
  1. アーカイブサービスで代替リンクが見つかったら、リンクを削除して代替リンクで置き換える - もしその文献が印刷物でも出版されていれば(学術誌・新聞・雑誌・書籍など)、URLはなくても構いませんので削除した上で置き換えることができます。置き換え作業が終わったら修復手続きは完了です。以下の手続きに進む必要はありません。代替リンクが見つからない場合は次に進みます。
  2. 代替文献を探す - 参照箇所や文献タイトルに基づいて同じ文献がアーカイブサービス以外のウェブで公開されていないかを検索します。オリジナルの文献を出版したサイトや人物に再公開してもらうようコンタクトを取ったり、他の編集者に文献のありかを尋ねたりするのも一つの案です。本質的に同じことを述べている他の文献を探すこともできます。ここでオリジナルの文献や内容的に代替可能な文献が見つかった場合は、それらの情報に置き換えて修復手続きは完了です。以下の手続きに進む必要はありません。
  3. 復旧する見込みのないウェブのみの情報源を削除 - その文献がオフラインで存在せず、かつアーカイブにも(最大24ヶ月待っても)存在せず、かつ文献の別コピーも入手できない場合、リンク切れの出典は削除し、その文献に基づいた記載は検証不可能と見なされるべきです。(検証不可能が確定するならば削除となるのでしょうが、なおもノートで議論すべきかどうか不明なのでこの例では踏み込まず。詳しい方加筆願います。)

なお、リンク切れを防ぐために、一部の文献は恒久的識別子を提供しています。 一部の論文記事はデジタルオブジェクト識別子 (digital object identifier, DOI) を、また一部のオンライン新聞記事・ブログ・Wikipediaはpermalinkを備えています。

これでもすこしおかしな感じがします。というのも、2)で代替リンクが見つからない場合は、リンク切れタグを打ちつつ、4)に進んで代替文献を探すわけで、そうすると、4)で見つかった場合は、打ったばかりのリンク切れタグをすぐさま除去する編集になるからです。なので、リンク切れタグを打つタイミングは4)まで進んでからにした方が良いのではないかと。--直蔵会話2020年2月10日 (月) 06:48 (UTC)[返信]

コメント2)で代替リンクが見つかった場合は晴れて「リンクを削除」することができる』についてはよろしくないのではないかと思います。Aという本文記述に対し外部出典Bへのリンクが付されていてこれがリンク切れしていた際にその時点で閲覧可能な別の外部出典Cを付して出典Bを削除してしまった後で、出典Cがリンク切れになる場合がありうるからです。その際に出典Bのアーカイブがどこかのアーカイブサイトに存在し、出典Cのアーカイブがアーカイブサイトにない場合、あるいはリンク切れ出典Bを出典Cに置き換える際に出典Cのアーカイブを作成する作業は行っていたが、出典Cのアーカイブを保存したサイトが出典Bのアーカイブを保持したサイトより先に閉鎖されて閲覧不可になってしまった場合、リンク切れ出典Bを閲覧可能出典Cへ置き換える編集は結果として将来の検証可能性を低下させる事になります。リンク切れ出典を削除するのはその出典に基づいた本文記述を削除する場合に限った方が良いと思います。この例であれば、リンク切れした出典Bへのリンクは掲載したままで、出典Cへのリンクを追加(「<ref>出典B</ref>」を「<ref>出典B{{リンク切れ|date=yyyy年mm月}}</ref><ref>出典C</ref>」に)すれば良いという事です。--野良人会話履歴 2020年2月10日 (月) 08:09 (UTC)[返信]
コメント リンク切れした出典へのリンクを掲載したままアーカイブサイトへのリンクを追加する場合、{{Cite web}}(や、その他の出典テンプレート)のarchiveurl、deadlinkdateを活用するとよいと思います。「yyyy年mm月dd日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ」のような形で表示されます。
ところで、リンク切れにはサイトやページの消滅のほかに、ウェブサイトの移転やサイト内のページ移転というケースもあり、探せばオリジナルの内容がそのまま見つかる場合もあります。もちろん、偽サイトなどには注意する必要はありますが……。(2)のアーカイブサービスを探す前、またはアーカイブされた内容を探し出して同一性が検証できるようになった以降に、「移転先を探してみる」という手順があると良いかも知れません。--Kanohara会話2020年2月10日 (月) 12:57 (UTC)[返信]
なるほど。これまで「修復・置換」や「即座に出典を削除しない」という言葉に引っ張られていて、リンク切れで別のURLを探し当てた場合はリンク切れした方は削除した上で見つかったURLにて置換するものとばかり思っていました。とくに[ ]で囲っただけの外部リンクの場合は置き換えてしまっていました。{{Cite web}}の場合はarchiveurlを知っていたので、追記する形で対処はしていましたが。こうした点も踏まえて、もうすこし具体的な案内文があると望ましいと思います。--直蔵会話2020年2月22日 (土) 06:12 (UTC)[返信]

著名な卒業生など[編集]

学校に関する記事において、割と多く見られる項目に「著名な卒業生」などというものがあります。そのほとんどが、単に人名と活躍分野をあげた上で該当人物への記事に内部リンクを貼って終わりとしていて、そういったリンクが列挙してあるだけのものです。たとえば極端な例として、オックスフォード大学の人物一覧ケンブリッジ大学の人物一覧(ついでに米国だとハーバード大学の人物一覧など)は教員・出身者だけを独立して集めた記事ですが、一切の出典がありません。これは、ウィキペディアの方針である「ウィキペディアは三次資料です。ウィキペディア自身の記事を出典として引用することは、自己参照となるため、できません」や「ウィキペディアの記事は、ウィキペディア内で三次資料として使うことは許されません」に明確に反するのではないかと思うのですが?こうした記事を見つけた場合は出典を要求した上で、コメントアウトや除去など対処をしても構わないでしょうか?

教育機関別人名一覧からたどっていったら、プロジェクト:大学/人物一覧記事についてにたどり着いたので、そこでの議論を読んでみましたが、なぜか出典の必要性についてはまるで触れられていません。一覧記事なので原則を緩めようという暗黙の合意形成があったのでしょうか?一覧記事は特別扱いにするにしても、個別の記事においてもやはり同様に出典を示さないままで列記されている例をよく見かける(ほんの一例としてイェール・ロー・スクール#著名な卒業生ハーバード・ロー・スクール#著名な修了生(日本人)など)ので、出典明記の原則を守ってもらうように呼びかけが必要だと思うのですが、いかがでしょうか。--直蔵会話2020年2月22日 (土) 07:02 (UTC)[返信]

親出典・子出典の質問[編集]

ちょっと質問ですが、

  1. Aの文献に「〇〇は××である」と表記がある。
  2. Bの文献にも「〇〇は××である」と表記があり、かつBの文献には「Aを出典とする」との表記がある。

さてこの場合、Wikipediaの本文に記載するのはどういう形式が正解なのでしょうか。

  1. 「「〇〇は××である」(出典A文献)」とだけする。
  2. 「「〇〇は××である」(出典A文献・出典B文献)」とする。
  3. 「「〇〇は××である」(出典A文献・出典B文献(出典はA文献))」とする。

ぱっと思いつくのは以上ですが、どうでしょうか。なおAもBも出典の権威的には問題ないものです。--ムーチョマッチョマン会話2020年4月19日 (日) 11:09 (UTC)[返信]

コメント これは案外悩ましいと思います。記述の性格によるんじゃないでしょうか。諸説ある事柄・人によって見解が分かれるような事柄を書く文脈と、そうでない場合とか。
たとえば「評価」(執筆者の感想)みたいな記述の場合には、A氏「〇〇は××である」[A] とするより、B氏「A氏は『〇〇は××である』と述べた」[B]とするほうが、ベターであるケースが多いように思います。
Aがデータベースや新聞等である場合なんかも、Bを経由するほうがいいでしょう。その情報が注目に値することをB氏の言及が担保することになるので。--柒月例祭会話2020年4月19日 (日) 13:39 (UTC)[返信]
もう一つ追加の質問。
  • 「△△は□□である」とB文献にあり、かつ「出典はC文献」とあった場合で、かつC文献が入手が困難で執筆者自身がその内容を確認できない場合。
「△△は□□である」(出典C文献)と書くのはありでしょうか。--ムーチョマッチョマン会話2020年4月19日 (日) 11:16 (UTC)[返信]
コメントこれは「なし」と思います。出典をBとしたうえで、状況に応じて、注釈などをつかって「Bは、Cを根拠としている」みたいな書き方をするとよいのでは。--柒月例祭会話2020年4月19日 (日) 13:39 (UTC)[返信]
ご回答ありがとうございます。ある程度臨機応変に進めていくべきということですね。今後、そのように進めていきます。--ムーチョマッチョマン会話2020年4月23日 (木) 12:20 (UTC)[返信]

出典のページ指定の妥当な範囲について[編集]

ノート:仮面ライダーディケイド (キャラクター)で、出典のページ指定の範囲について議論があったのですが、いまひとつ不完全燃焼のまま立ち消えとなりました。そこで記事の主題とは直接関係のない、普遍的な論点に絞ったうえで、この場を借りてより多くの方のご意見を伺いたいと思います。

パターンA パターンB
出典記載例 仮面俳優列伝 2014, pp. 5-22, 「第1章 Mr.平成ライダー&Mr.レッドの軌跡 01 高岩成二」(東映ヒーローMAX vol.27・28掲載) 仮面俳優列伝 2014, p.16
ページ指定範囲 記述が帰属するセクション全体 記述が帰属するページをピンポイントで
支持者の見解 セクション単位の指定は「そのセクション全体を読んで要約した」ことを意味し、執筆の過程を正しく反映している
ピンポイント指定は「その箇所しか読んでない」ことになるため不適切
セクション全体の提示では、検証の際に「はずれのページ」を延々と読まされることになる
記事執筆者の要約の過程の再現よりも、閲覧者や検証者の手間を省くことを優先すべき

AとB、どちらがページ指定の範囲として妥当だと思われますか?--禁樹なずな会話2020年5月4日 (月) 06:20 (UTC)[返信]

  • コメント 検証可能性優先の立場からパターンBを推します。パターンAだと{{脚注の不足}}が貼られる可能性があるので、ページ番号を特定可能なときはページ番号まで私は書いています。ただピンポイント指定が不適切な案件もあると思いますのでパターンAは全面的に不可、ということではないと思います。--Licsak会話2020年5月4日 (月) 06:45 (UTC)[返信]
  • コメント 一般論としてしまうと、ケースバイケースで、情報源と記述のマッチングによりけりと思います。
  • 「○○は10kgだ」のような端的な事実の場合にはBのほうが適しているでしょう。
  • 「○○は□としては比較的軽く、そのため△であると主張するものもいる」みたいに、ある程度ボリュームのある・文脈のある情報を要約するような場合にはAのほうが適しているでしょう。
  • 特に「章」の名前を併記し、それがどのような文脈での情報なのかを明らかにすることは有用でしょう。たとえば「Mr.レッドが高い評価を得た」と書いた場合に、情報源が「第3章 平成ライダーにおけるMr.レッドの評価」なのか「第4節 弊社ガス事業の廃止」なのかでは、専門的・中心的な文脈から出た情報なのかどうかを推定するヒントになるでしょう。
  • 端的な事実の情報源としてAを採用の場合には、確かに「はずれのページを延々と読まされる」という面はありますね。また、「その要約は正しい要約になっているのか」を問われることもあるでしょう。
  • かといって常にBを採用してしまうと「○は□という見解とp6、○は△という見解はp8、昔からありp10、有名だp12。」みたいになって、これを鬱陶しいと感じる方もいるでしょう。じゃあどのぐらいのページ数ならばセクション単位の指定でいいかといっても、1ページの文字数や情報量しだいですね。
  • 主題について専門的・中心的に掘り下げた情報源(=理想的な情報源)を用いれば用いるほど、B方式で示すのは難しくなるところはあるでしょう。悩ましいですね。最終的には個別に判断というよりないのでは。--柒月例祭会話2020年5月4日 (月) 08:43 (UTC)[返信]
  • コメント ノート:仮面ライダーディケイド (キャラクター)で私の見解は述べたけれども、「普遍的な論点に絞る」のであれば、なおのこと、ケースバイケースという話しにしかならないと思います。それは当該の項目で私やMid9t Luv氏、あるいはここで㭍月例祭氏が述べられていることですべてかと思います。すなわち、ウィキペディアで要求されているのは「検証可能性」であってピンポイントのページではない点、要約の観点、版によってページ番号が変わる観点、ページ番号が付されない電子書籍の観点です。
    ここでLicsak氏より{{脚注の不足}}が貼られる点も懸念されていますが、それは無理解による誤用や悪用の場合を非難するべきであるものだと思います。--EULE会話2020年5月5日 (火) 14:59 (UTC)[返信]
  • コメント 先日、ケースBの出典表記をたどってがっかりした例を目にしました(差分:国鉄キハ181系気動車)。言及そのものを示すにはセクション全体よりもピンポイントのページ表示のほうが優れているわけですが、国鉄キハ181系気動車の記事中、出典として期待される主張(冷却系において)『キハ90以来の新系列気動車は客観的に見て決定的な失敗作であったと断じられている』はそれなりの分量があるはずで、原文を掘り起こして注釈をたどれば『拙書の○○ページを参照。』などと書いてあったのに力が抜けたものです。だからといって出典に書籍をまるまる使うことも良い出典の出し方ではなく、書籍や論文の中の妥当な範囲で出典を示さなければならないのはもちろんのことで、ケースAのようにセクション全体が必要であるならば、それはそれで良いと思います。駄目なのは『キハ90以来の新系列気動車は客観的に見て決定的な失敗作であったと断じられている』というある著者の主張を挙げるのに論文まるまる一本を出典として用いる出し方で、これでは掲出者はちゃんと出典を読んだのかどうか疑念をもたせてしまいます。--Licsak会話2020年5月5日 (火) 16:23 (UTC)[返信]
  • チェック コメント依頼より1か月が経過したため、本件をクローズいたします。ご意見を寄せてくださった方々、ありがとうございました。個々の事例について、この場での議論が何らかの一助になればよいのですが。--禁樹なずな会話2020年6月7日 (日) 02:19 (UTC)[返信]

出版社のリンクについて[編集]

こちらでの議論はWikipedia‐ノート:出典を明記する/出版社のリンクについてにサブページ化しました。--Miraburu会話 / 投稿記録 2022年7月3日 (日) 10:00 (UTC)[返信]

複数の出典間に情報量の差異があった場合[編集]

仮に、記事執筆の出典に用いるのにふさわしい資料として、以下の2つがあったとします。

  • 資料A「第1モデルを改造したものが、第2モデルである」
  • 資料B「第1モデルを精悍なイメージで改造したものが、第2モデルである」

これらを用いて下のような記事ができました(あくまで例えなので、文章の丸写しとかは考えないでください)。

第1モデルを精悍なイメージで改造したものが、第2モデルである[資料A][資料B]

でもこれは、適切な出典の示し方でしょうか? 検証を試みて資料Aを手に取っても、「改造された」ことはわかりますが「イメージ」までは載っておりません。

資料Bがあれば出典としては充分だし、むしろ資料Aは無いほうがよいのでは。そう考えて、出典として付されている資料Aを除去したら、別の利用者の方からクレームが来ました。「可能であれば複数の資料に基づいて執筆すべき」と主張するその人の言いたいこともわかるのですが、複数の資料を用いて執筆することと、複数の資料を出典として提示することは、別の話だと思います……。

さて、このような場合、資料Aと資料Bを併置するのと、資料Bのみを付するのとでは、どちらが適切な出典の付け方だと思われますか?--禁樹なずな会話2021年1月1日 (金) 09:32 (UTC)[返信]

  • コメント こういう場合、私は原則的に、資料Bだけに書いてある部分がはっきり分離できるように文章を書き直して、それぞれ該当部分に出典をつけています。こういう風に
精悍なイメージで[資料B]第1モデルを改造したものが、第2モデルである[資料A][資料B]
しかし、容易に予想できるように、文章が長くなったり資料が多くなったりすると、この方法はなかなかうまくやるのが困難になります。たとえば、私が執筆した早川のビランジュ環境節など、同じような内容だけどそれぞれ少しずつ異なる資料をまとめて、ある資料のみに見られる記述については、その資料だけを出典とできるように説明の順番を変えたりしていろいろ苦労しました。新たな資料が見付かると、また文章を組替えたりもしています。
そこまでやってられない、というのであれば、私なら資料Bだけにします。もしくは、どうしても必要な説明でないのなら「精悍なイメージ」を除いて、AとBの両方を出典とします。--Loasa会話2021年1月1日 (金) 10:02 (UTC)[返信]
  • コメント いろいろなやり方があり、文脈にもよると思います。私だったこうするかも。
第1モデルを改造したものが第2モデルである[資料A][資料B]。第2モデルは精悍さを求めたものともされる[資料B]
「第1モデルを改造して第2モデルになった」ことはAとBの共通見解。「精悍なイメージで」はBの見解。複数の情報源が口を揃えて述べていることは、その情報は重要かつ定説であると推定される。1つの情報源しかないものは、複数の情報がある事柄に比べると、重要さが低いか、あるいはマイナーな意見かもしれない、と推定される。そこらへんを区別したい。
あとはもっと全体の文脈や情報源しだい。この例では、「精悍なイメージ」というのが、情報源Bを書いた人物の個人的な感想なのか、たとえば改造を行った本人が自ら「精悍なイメージでいくことにしまーす」と書き残しているとかの事実があるのかとか、そこらへんがわからないのでなんとも言いようがありませんが、そこらへんが情報源や他の情報源から読み取れるかどうか。それ次第では次のようにもできる。情報源の出どころ(著者)とかにもよる。
第1モデルを改造したものが第2モデルである[資料A][資料B]。X美術大学の教授B(美術史学)は、第2モデルは精悍さを求めたものだとしている[資料B]
第1モデルを改造したものが第2モデルである[資料A][資料B]。B氏によれば、製作者は第2モデルは精悍さを目指したと伝えているという[資料B]
第1モデルを改造したものが第2モデルである[資料A][資料B]<注>B氏は、第2モデルを「精悍なイメージ」と評した[資料B]<注おわり>。
私の個人的な経験則になってしまいますが、こういう場合には更に別の情報源Cを探しにいき、そこにどう書かれているかを参考にする、というのが、決め手になることがあります。つまりB見解が通説なのか異説なのか。またA情報源とB情報源のあいだに関係があるか(Aが参考文献にBをあげているとか)とか。そこらへんの状況と、あとはもう執筆者自身がどこまで調べ、どこまで書けば納得いくかどうか、自分のなかでの選択という感じ。--柒月例祭会話2021年1月1日 (金) 11:24 (UTC)[返信]
コメント 㭍月例祭さんにおおむね同意します。わたし自身は、複数の資料の内容を(情報の合成にならない範囲で)要約して、文末にすべての出典を載せるというかたちにしてしまうことが多いですが……Loasaさん式のやりかたがいいのかなあと、迷うこともあります)[追記]。附け加えるとすれば、存命人物に関する記事や論争を呼びがちな記事、芸術分野に関する記事、その分野における評価がおおむね確定していることが複数の資料から確認できる事柄についての記事、といった記事の性格にもよると思います。あとは、読者がすぐに確認できる出典か否か(ウェブ上にあるかなど)というのも判断材料になりうるかもしれません。[追記]--Jutha DDA会話2021年1月1日 (金) 11:44 (UTC)[返信]
コメント 既に他の方々が述べているとおり、ケースによっていろいろなやり方があると思いますが、せっかく付けられた出典を除去するというのは、出典の示す内容や信頼性、中立性等の全ての面において後から付けた出典の方が明らかに優位な場合に限るべきではないかと思っています。そうでない場合は出典の示す内容が重なっていたとしても併記でよいかと。よくない例ですが、過去には公式プレスリリースの出典が付けられていた内容について、第三者出典の方が望ましいとして、新聞報道等の出典に差し替える(プレスリリースの出典を除去してしまう)編集を行う利用者がいたことがあり、問題視されたことがありました。--Takisaw会話2021年1月1日 (金) 12:23 (UTC)[返信]
コメント Takisawさんのコメントを読んでいて思ったのですが、たんに a)「出典表記としての正確性」や b)「本文の読みやすさ」という観点だけでなく、c)「後続の編集者へのわかりやすさ」、d)「読者がさらに調べるさいに必要な情報の提供」といった観点からも考える必要がありそうですね。
コメント c について、文章の流れが悪いから修正したいけど、どれがどの箇所の出典かわかりにくくて脚註の処理に困る、ということはたびたびあります。ウェブ上の無料記事の場合は比較的簡単に確認できますが、書籍などの場合はそうもいきませんし。他のかたがやられているのは見たことがありませんが、わたしはなにの出典かわかりにくそうな場合に「42の方法」<ref name="foo" /><!-- 邦題の出典 -->などとコメントを附ける場合もあります。--Jutha DDA会話2021年1月1日 (金) 12:48 (UTC)[返信]

終了 依頼開始より2週間が経過しましたので、当コメント依頼は閉じようと思います。ご意見を寄せてくださった方々、ありがとうございました。

総括するならば「漫然と出典を増やしたり減らしたりするのではなく、情報の帰属先がわかるように工夫して書こう」といったところになるでしょうか。--禁樹なずな会話2021年1月15日 (金) 12:50 (UTC)[返信]

出典における日時の記載について[編集]

提案 出典の閲覧日や発行・発信日、アーカイブの取得の日時(archivedate)が、日本標準時(JST)と協定世界時(UTC)の兼ね合いからか、それぞれバラバラになっていることが判明いたしました。例えば、同じ記事内にある出典でも、ある出典は日本標準時(JST)で記載、その他の出典は協定世界時(UTC)で記載と統一性がありません(特にWebサイトにおける日本時間午前0時から午前9時にかけてarchiveされたものを載せた場合に多く、archiveされたのはUTCでは前の日扱いであるが、JTCは次の日なので編集した方もJTCで記載したり、UTCで記載したりと統一されていない)。これを機会に今後、出典を載せる場合は協定世界時(UTC)で統一したく思うのですが、皆さんのご意見を頂戴したく思います。併せて、Wikipedia:出典を明記するのページにて、この内容を記載したく思います。文を載せるにあたって同意を得たいと思います。--Tokyo-Good会話2021年2月25日 (木) 13:58 (UTC)[返信]

反対 ほかにもいくつか理由はありますが、とくに英語圏の出典を用いる場合、イギリス・アメリカなど複数のタイムゾーンのいずれを元に換算すべきか定かでない場合も多いため、混乱を招くと思われます。--Jutha DDA会話2021年2月25日 (木) 14:20 (UTC)[返信]
コメント ちょっと質問何だけど、統一するメリットって何なのですか?統一しないと、不都合なことってありますか?僕自身は、特に統一しなくても、人それぞれの裁量に任せていいのではないかと思いますが?こういうのはまずまとまらないのが相場なのではないかと。--210.138.179.129 2021年2月26日 (金) 14:37 (UTC)[返信]
コメント 普通に出典に記載されている日付のコピペで良いと思いますし、日本語の出典のアーカイブの日付の問題は午前9時以降にアーカイブされたものか、出典をWikipediaに付記する時に自分でアーカイブすれば良いと思います。あと、気になったのですが、日本標準時の略語はJTCではなくJSTで、JTCはカード会社になります。--182.167.73.181 2021年2月26日 (金) 15:28 (UTC)[返信]
コメント 混乱を招くようなので、閲覧日・発信発行日に関してはそれぞれの出典元の国の時間に記載を合わせるのはいかがでしょうか?特に日本国内の問題ですと、午前0時から午前9時までの間にアーカイブを取得し、そのアーカイブを載せ、アーカイブの日付と記載している日時(archivedate)があってないものがたくさんあります。後からみると日付が1日分配信日より早くなっているので、混乱が起きかねない気がします。--Tokyo-Good会話2021年2月27日 (土) 15:25 (UTC)[返信]
返信 たとえばアメリカなんかだと大西洋標準時東部標準時中部標準時山岳部標準時太平洋標準時アラスカ標準時ハワイ・アリューシャン標準時と州によって7つも標準時があり、発行元がアメリカ・イギリス・オーストラリアなどのいずれか判別がつかないような場合も考えられます。たとえば、(実際にはWP:RSではないですが)英語版ウィキペディアを出典として用いる場合、いずれに合わせても中立性の観点から問題が生じると思うのですが、いかがでしょうか(実際には国際機関のサイトなどでこのような問題が生じる可能性がありそうです)。--Jutha DDA会話2021年2月27日 (土) 15:59 (UTC)[返信]
コメント すくなくともサイトごとにどのタイム・ゾーンなのかは決まっているだろうから、それに合わせればいいという考え方もありえますが、各サイトごとにどの標準時化調べる手間を考えると、デメリットのほうが大きく上回るように思われます。--Jutha DDA会話2021年2月27日 (土) 16:04 (UTC)[返信]
コメント 色々出典の日時を1つに統一してしまうと様々な問題が出てくることが分かりました。ただし、アーカイブを取得した際は出来るだけ、後で見た人が混乱を招かないように対策(配信日から出来るだけ前の日〈1日前〉のものを載せないなど)をした上でアーカイブをページに載せるようにするとのことで…今回はこの辺で議論を収束させたいと思います。--Tokyo-Good会話2021年2月27日 (土) 16:45 (UTC)[返信]
  • コメント UTCとかJSTとか明記されてなくて困るという話ならわかるのですが、明記されているならそれで特定できるのだからいいんじゃないでしょうかね。統一されているとキモチイイ、程度の問題で。--柒月例祭会話2021年2月28日 (日) 02:35 (UTC)[返信]

出典に該当するか[編集]

ブリタニカ百科事典などの他の辞典を出典にしても良いのでしょうか? Koyasanfish会話2021年6月8日 (火) 14:08 (UTC)[返信]

返信 『ブリタニカ百科事典』などの三次資料はWP:RSを満たす資料とみなされますが、他の二次資料などと組み合わせて用いることが好ましいです。詳細はWikipedia:信頼できる情報源#情報源の三次資料についての説明をご参照ください。--Jutha DDA会話2021年6月8日 (火) 14:18 (UTC)[返信]

教えてくださりありがとうございます。 Koyasanfish会話2021年6月9日 (水) 08:01 (UTC)[返信]

「出典の示し方」節について[編集]

こちらでの議論はWikipedia‐ノート:出典を明記する/「出典の示し方」節の改訂提案(2021年)にサブページ化しました。--Miraburu会話 / 投稿記録 2022年7月3日 (日) 10:19 (UTC)[返信]

ガイドライン改訂の提案[編集]

こちらでの議論はWikipedia‐ノート:出典を明記する/「出典の示し方」節の改訂提案(2021年)にサブページ化しました。--Miraburu会話 / 投稿記録 2022年7月3日 (日) 10:19 (UTC)[返信]

動画配信サイトやSNSは正式な出典として見なされるのか[編集]

Wikipediaでは、情報源が動画配信サイトやSNSのみなどの記事がありますが、基本的にケースEとして削除されています。そのため、YouTubeアニメなどの分野の記事は非常に乏しくなっています。よって10人以上が認めた場合もしくは管理者が認めた場合は動画配信サイトやSNSなどの出典も利用可能というルールを提案します。--ABCDEKLM会話2021年11月29日 (月) 01:30 (UTC)[返信]

  • どなたかの許可の有無に拘わらず、出典として使う事自体は使用法のルールに則った範囲内であれば禁止されていません。ただしどんな種類のものであっても、出典さえあれば削除される事はないのか、と言われれば、そうしたわけではない、という事です。--Miraburu会話 / 投稿記録 2021年11月29日 (月) 05:05 (UTC)[返信]
  • コメント ケースEの削除の話と、出典(検証可能性)の話と、情報の無差別な収集による除去の話が、ごっちゃになっているような印象を受けます。
  • ケースE(特筆性)は、基本的には、「無関係の第三者」による有意な言及を求めます。なので、自己言及の動画やSNSは特筆性の根拠としては認められません。しばしば、ユーチューバーの記事などで、出典や外部リンクとして「そのユーチューバーの動画・SNS」へのリンクしか無いということがあり、これはケースE(特筆性の問題)や即時削除全般4(宣伝目的)として削除されることがあります。
  • 一方、芸能人などの記事では、SNSや動画配信内で言及があった些細な情報が過剰に収集される傾向があり、それらは「たとえ出典があっても」ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありませんWikipedia:過剰な内容の整理などに基づいて除去されることがあります。
  • Wikipedia:信頼できる情報源Wikipedia:検証可能性#通常は信頼できないとされる情報源からも、注意が必要です。ごく基本的なこととして、情報源の信頼性は「高度な査読を経て世に出た情報」が信頼性が高いとされています。あくまで一般論ですが、SNSなどは「高度な査読」を期待し難いでしょう。
  • 一般的な方向性としては、動画配信やSNSでしか確認できないような情報は、信頼性も低いし、「わざわざ掲載するほどのことではない」ということでしょう。--柒月例祭会話2021年11月29日 (月) 09:31 (UTC)[返信]

返信 ご返信ありがとうございます。確かに、「わざわざ掲載するほどのことではない」かも知れません。ありがとうございました。--ABCDEKLM会話2021年11月30日 (火) 08:51 (UTC)[返信]

この節は次の利用者の依頼で過去ログ化されました: ABCDEKLM会話2021年11月30日 (火) 08:57 (UTC)[返信]

出典と本文で情報が異なるとき[編集]

一部の記事で,出典に記載されている情報と本文に差異がありました。この場合,どうすべきですか。 Taira Sakurai会話2022年2月28日 (月) 06:48 (UTC)[返信]

コメント 一概には言えませんが、(1)情報源がネットの場合には書き換わった可能性を考慮する、(2)情報源が新聞の場合には地区などにより内容が異なる可能性を考慮する、(3)文献の場合には版・刷により内容が変わっている可能性を考慮する、(4)加筆した人に連絡して確認や修正を依頼する、(5)自分で修正する、あたりが選択肢になりますね。いちおう(1)-(3)あたりの可能性を考慮しつつ、「情報源側が書き換わった」可能性がなさそうならば自分で修正すればいいでしょう。
ノートなどを利用してその経緯を書き残しておくとベターです。--柒月例祭会話2022年2月28日 (月) 07:08 (UTC)[返信]

文案変更の提案[編集]

「出典の示し方」の見出し冒頭における2つの方式に関する説明ですが、この説明に関しては2つの方式の推奨度合いの差が不鮮明であり、個別参照の必要性と一括参照のデメリットの説明が不足しているように感じます。そのため当該の説明における内容に関して、改めて前回の改訂に合わせる形で以下の通り変更を行う事を提案します。

改訂前 一般的に、出典の示し方には、本文内に出典の情報を記載する方法と、ページ末尾に記事全体に関する参考文献として箇条書きで列挙する方法があります。ウィキペディア内では、前者を個別参照方式(Inline Citation)、後者を一括参照方式(General Reference)と呼んでいます。本文内の挿入は正確性に優れ、末尾での列挙は参考文献の通覧に便利です。多くの人が編集するウィキペディアでは、本文内に典拠情報を記載する方式が推奨されています。
改訂後 一般的に出典を明記する場合には、本文内の記述に沿って対応する元となった出典の情報を、一つずつ掲載していきます。この方式はウィキペディア内では「個別参照方式(Inline Citation)」と呼ばれる事もあります。多くの人が編集するウィキペディアでは、どの記述がどの出典によるものなのかを示す事によって、検証可能性を担保し、正確性を高めて誤情報が拡散されるリスクを軽減する事ができます。

また2022年以前の方式として、本文内で使用した出典を箇条書きなどの形式で、記事全体に関する参考文献として箇条書きで列挙する方法も存在します。こちらの方式は、ウィキペディア内では「一括参照方式(General Reference)」と呼ばれる事もありますが、この方法は後述するように、検証可能性の担保に適さない方式であるため、現在では改めて適切ではない方式である事が確認されています。

--Miraburu会話 / 投稿記録 2022年3月19日 (土) 08:08 (UTC)[返信]