UNIVA・Oakホールディングス

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Oakキャピタル株式会社
Oak Capital Corporation
種類 株式会社
機関設計 監査役会設置会社[1]
市場情報
東証スタンダード 3113
1949年5月16日上場
略称 Oak
本社所在地 日本の旗 日本
107-0052
東京都港区赤坂8-10-24 住友不動産赤坂ビル6F
設立 1918年(大正7年)3月1日
業種 証券、商品先物取引業
法人番号 3010401054921 ウィキデータを編集
事業内容 投資事業
代表者 稲葉秀二(代表取締役社長)
資本金 35億56百万円
(2015年3月31日現在)
発行済株式総数 4870万1千株
(2015年3月31日現在)
売上高 83億15百万円(2015年3月期)
純利益 18億9百万円(2015年3月期)
純資産 69億32百万円
(2015年3月31日現在)
総資産 75億79百万円
(2015年3月31日現在)
従業員数 21人(2015年3月31日現在)
決算期 3月31日
主要株主 竹井博康 3.56%
山崎光博 3.05%
協和青果 2.16%
松井証券 1.98%
星川輝 1.59%
(2018年9月30日現在[2]
関係する人物 竹井博友
外部リンク https://www.oakcapital.jp/
特記事項:創業は1868年(慶應4年)
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Oakキャピタル株式会社は、東京都港区に本社をおく投資会社東京証券取引所スタンダード市場上場。

会社概説

旧社名は平田紡績1986年(昭和61年)、平田紡績が所有する天ヶ須賀地区の工場用地の不動産に対する投資目的で、地産グループ総帥竹井博友が同社を買収。その後、1990年代にヒラボウ製網が実施していた福島やアフリカなどでの漁網製造事業から食品産業や地産グループの不動産建設事業を主流するとする会社に事業内容を転換した。グローバル経済に必要な投資銀行として2000年代には投資会社に生まれ変わった。中小企業への新株予約権投資及び企業の再建支援事業、日本国内の企業育成を目的とする投資事業に2001年(平成13年)にビジネスモデルを転換した。会長兼CEOを務める竹井博康は竹井博友の次男である。

事業内容

インベストメントバンキング事業(第1事業)

  • 中小型上場株投資
  • 事業プロジェクト投資
  • IT事業プロデュース投資
  • M&Aアドバイザー
  • IPO投資

アドバイザリー事業(第2事業)

  • 事業アドバイザリー
  • M&Aアドバイザリー
  • 財務アドバイザリー

ブランド事業(第3事業)

リスクマネジメント事業(第4事業)

  • 生保代理店業務
  • リスクマネジメントサービス

産業資材事業(第5事業)

株主優待で支給されていたOakキャピタルの商品

投資実績

沿革

  • 2001年(平成13年)3月に、資本金76億849万円に増資して、投資事業に進出する。
  • 2001年(平成13年)7月に、投資事業部(現在の投資事業本部)を開設する。
  • 2001年(平成13年)10月に、ビーエスエル(BSL)株式会社に社名を変更する。
  • 2002年(平成14年)7月に、国内初の全株主に対する新株予約権の無償割当実施を発表する。
  • 2002年(平成14年)8月に、 BSLインシュアランス株式会社を損保4社と共同で設立する。
  • 2003年(平成15年)6月に、竹井博康が代表取締役CEOに就任する。
  • 2004年(平成16年)3月に、 全株主に対する第2回新株予約権の無償割当実施を発表する。
  • 2004年(平成16年)3月に、期末配当が1株当たり2円となる。
  • 2005年(平成17年)3月に、全株主に対する第3回株主割当ストックオプション無償割当実施を発表した。
  • 2005年(平成17年)3月に、期末配当が1株当たり2円となる。
  • 2005年(平成17年)12月に、クリストフル社(フランスの投資会社)と資本提携・業務提携で基本合意をする。
  • 2006年(平成18年)3月に、資本金が79億64百万円となる。
  • 2006年(平成18年)3月に、期末配当が1株あたり4円(当別配当2円)となる。
  • 2006年(平成18年)5月に、クリストフル社(フランスの投資会社)と資本提携・業務提携を締結する。
  • 2006年(平成18年)5月に、河田潤が代表取締役CEOに就任する。
  • 2006年(平成18年)5月に、竹井博康が代表取締役会長に就任する。
  • 2006年(平成18年)7月に、クリストフルジャパン株式会社に出資をする。
  • 2006年(平成18年)10月に、Oakキャピタル株式会社に社名を変更する。
  • 2006年(平成18年)12月に、Oakキャピタルの第1号ファンドを設立する。
  • 2007年(平成19年)5月に、河田潤が代表取締役社長に就任する。( - 2008年3月)
  • 2008年(平成20年)3月に、代表取締役を1名体制になる。社長職を廃止する。
  • 2008年(平成20年)3月に、竹井博康代表取締役会長がCEOを兼務する。
  • 2008年(平成20年)4月に、中期経営計画を策定する。
  • 2010年(平成22年)2月に、新しい中期経営計画を策定する。

商号変遷の歴史

- 商号 期間 備考
1 旭製網株式会社 1918年(大正7年)2月 - 1918年(大正7年)11月
2 平田製網株式会社 1918年(大正7年)11月 - 1938年(昭和13年)6月
3 平田紡績株式会社 1938年(昭和13年)6月 - 1943年(昭和18年)4月
4 平田漁網製造株式会社 1943年(昭和18年)4月 - 1950年(昭和25年)3月
5 平田紡績株式会社 1950年(昭和25年)4月 - 1987年(昭和62年)1月 1943年以来7年ぶりに同商号の再登記
6 ヒラボウ株式会社 1987年(昭和62年)2月 - 2001年(平成13年)9月
7 ビーエスエル株式会社 2001年(平成13年)10月1日 - 2006年(平成18年)9月30日
8 Oakキャピタル株式会社 2006年(平成18年)10月1日 -

証券取引

  • 東京証券取引所1部>1949年(昭和24年)5月16日 - 1966年(昭和41年)9月30日(東京証券取引所2部に指定替え)
  • 大阪証券取引所1部>1949年(昭和24年)6月21日 - 1966年(昭和41年)9月30日(大阪証券取引所2部に指定替え)
  • <東京証券取引所2部>1966年(昭和41年)10月1日 - 2022年(令和4年)4月3日
  • <東京証券取引所スタンダード市場>2022年(令和4年)4月4日 - 現在
  • <大阪証券取引所2部>1966年(昭和41年)10月1日 - 2009年(平成21年)5月8日(上場廃止申請)
  • 名古屋証券取引所2部>1966年(昭和41年)10月1日 - 2009年(平成21年)5月8日(上場廃止申請)[3]

脚注

  1. ^ 会社情報 - Oakキャピタル株式会社
  2. ^ 四半期報告書(第158期第2四半期)
  3. ^ http://www4.atwiki.jp/sysd/pages/280.html

外部サイト