D.B.クーパー事件
D.B.クーパー事件 | |
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FBIが公表した被疑者の似顔絵 | |
場所 | アメリカ合衆国 ノースウエスト航空11便 |
日付 |
1971年11月24日 午後4時35分 – 午後8時11分ごろ (UTC -8) |
概要 | アメリカ合衆国で発生した、身代金を要求したハイジャック事件 |
武器 | ダイナマイト |
損害 | 現金200,000ドル |
犯人 | 不明(自称「ダン・クーパー」) |
動機 | 身代金の奪取 |
D.B.クーパー事件(ディービークーパーじけん)とは、アメリカ合衆国で発生した、身代金を要求したハイジャック事件である。単独犯による事件であり、パラシュート降下による逃亡という大胆さなどから、アメリカ国内においてもっとも有名な未解決事件の一つとされる。
犯人は、身代金を受け取った後、飛行中のボーイング727の後部にあるエアステアを開けさせ、現金200,000ドル(2012年現在の貨幣価値にして約1億円)を持ってパラシュートで脱出した。検挙されず、また犯人の身元も不明な未解決の事件である。後に身代金の一部がコロンビア川で発見され、実際には犯人は死亡したともいわれているが、死体は発見されていない。
「D.B.クーパー」はFBIの手配の際、手違いで広められた犯人の名前であるが、犯人による自称「ダン・クーパー」もまた偽名であることは確実である。
概要
アメリカの感謝祭前日であった1971年11月24日に、経由地のオレゴン州ポートランドからノースウエスト航空11便(ボーイング727-100型、ワシントンD.C.発シアトル行き、機体記号N467US)には、乗員6名と乗客36名が搭乗していたが、その1人が「ダン・クーパー」の偽名で搭乗していた犯人であった。
午後4時35分(現地時間)に離陸後、犯人は機内サービスの際に客室乗務員の女性に代金と一緒にメモを渡した。その乗務員は、当初、自宅の電話番号のメモだと思ったが、犯人は「爆弾を持っている」と告げたため確認すると、爆弾を所持していることと身代金20万ドルとパラシュート4つを要求する脅迫状であった。また隣に座るように要求した。
そのため客室乗務員が操縦席に連絡したが、パイロットは疑わしいと思い犯人の隣に座り本当に爆弾を持っているかを尋ねると、犯人は持っているブリーフケースを開け、そこには赤い管と導火線(ダイナマイト)が見えた。そのためパイロットは管制官にハイジャックされたと告げ、それに対し当局はハイジャック犯に従うように指示した。犯人であるD.B.クーパーはハイジャック犯としては、紳士的であったと言われている。
午後5時45分にシアトル・タコマ国際空港に緊急着陸後、身代金とパラシュートと引換えに犯人は乗客全員と客室乗務員2名を解放した。午後7時45分にシアトルを離陸し、犯人は機長に対しネバダ州リノに向かえと要求し、高度1万フィート(約3000m)に維持したうえでランディングギア(車輪)を出しフラップの角度を15度下げて飛行するように指示した。こうすることにより、空気抵抗が生じ、時速は320キロまで落ちていた事が判明している。
犯人は午後8時11分ごろに、ボーイング727の後部にあったエアステア(昇降用階段)を空中で開き、パラシュートで現金と共に脱出した。その様子は追跡していた空軍のF-106戦闘機2機は視界がきかなかったため確認できなかったが、犯人はポートランドの北30マイル(約50km)にあるアリエルの郊外に降りたと思われていた。その後当局は18日間捜索したが彼の行き先に関する手かがりはつかめなかった。
ほとんど指紋を残さないなど、完璧なまでの完全犯罪にD.B.クーパー人気は社会現象になり、事件のあった日はダン・クーパー・デイとして記念日的扱いを受けた。FBIに悪戯で「俺がD.B.クーパーだ」と名乗りだす者が続出したり、ホームパーティーにスーツを着用、札束を身につけたクーパーの仮装で登場した者も現れたほどであった。
その後の犯人の行方
犯人がどうなったかについて諸説ある。
- 逃亡説
- 1972年には、「パラシュートによって、ハイジャックした旅客機から逃走しようとした事件(模倣犯)」が3件発生した。最終的にはいずれも検挙され、「ダン・クーパー」だけが逃げ切ったと思われていた。
- 捜査当局が「ダニエル・B・クーパー」を被疑者として拘束したため、「D.B.クーパー」が被疑者であるかの誤解を報道機関に与え、世間一般に後者の名が広まった。
- 死亡説
- 1980年2月13日、ワシントン州バンクーバー郊外のコロンビア川のそばで、ピクニックに来ていた家族によって、身代金の一部5800ドル(20ドル紙幣の束であったという)が発見された。
- そのため、「犯人はコロンビア川に落ちて溺死した」、もしくは「冬の夜の寒さで凍死した」などと言われた。
- 彼が使用したパラシュート2つのうち、1つは地上訓練用の空中では展開しないダミーであったため、「パラシュートが開かずに墜落死した」という説もあった。
- 逃亡して死んだ説
- 2011年8月2日付の「ロサンゼルス・タイムズ」など複数の海外メディアによると、FBIの特別捜査官が「約10年前に老衰で死亡した男性の正体がD.B.クーパーである」という証言を入手。現在、死亡した男性の指紋、DNAと、事件当時機内に残された指紋、遺留物に付着したDNAの鑑定が行われている。この結果、同一人物であると判明した場合、犯人は犯行後に約30年間逃げ延びた後、逮捕されずに死んだことになる。[1]
- その他
- 1991年に出版された書籍『D. B. Cooper: The Real McCoy』では、「1972年に同様の事件を起こした元軍人の男性(リチャード・マッコイ)が犯人ではないか」という説が主張された。マッコイは勲章も受けたベトナム帰還兵で、当時はユタ州兵にヘリコプター操縦士として勤務しており、また熱心なスカイダイバーとしても知られていた。このようにD.B.クーパーの犯人像に重なったばかりか、人相も酷似していた。マッコイは身代金を奪取してパラシュートで降下したが間もなくして逮捕され、後に脱獄するものの潜伏先を突き止めたFBIとの銃撃戦の末に射殺された。
- 2000年、ある女性が、1995年に死んだ夫につき「夫が死ぬ間際に、『ダン・クーパー』であったと告白した」とする記事が「U.S. News and World Report」に掲載された。同記事は「夫の筆跡と、犯人メモの筆跡がよく似ていること」などを根拠にする。
この事件を扱った映画やドラマ
- プリズン・ブレイク
- ドラマ『プリズン・ブレイク』シーズン1 の登場人物である「チャールズ・ウェストモアランドが、実はD.B.クーパーである」と、他の囚人から噂される描写がある。チャールズは犯行後、着地の際に足を負傷して、金を土に埋めた後、自動車の運転で人をはねて逮捕されている。
- NUMBERS
- ドラマ『NUMB3RS』のシーズン6、10話には処分の為に輸送される古札を狙った連邦準備銀行強盗団を制圧した際、D.B.クーパーが盗んだとされる紙幣が紛れていた話が有る。D.B.クーパーが複数犯で、主犯格は仲間に殺されていて残った1人も多発性骨髄腫で余命4カ月、ほとんどの金は主犯格が虐殺したベトナム・ヌバク村の復興に送られたことになっている。
- 映画「ハイジャック・コネクション/クーパーの大仕事」
- 1981年の映画『ハイジャック・コネクション/クーパーの大仕事』(原題:The Pursuit of D. B. Cooper)では、冒頭でD.B.クーパー事件を元にしたハイジャック事件が描かれる。物語のほとんどは保険調査員(クーパーの軍隊時代の元上官)がクーパーを追跡するフィクション。
脚注
- ^ 伝説の乗っ取り犯は叔父=女性が米テレビに証言 - 2011年8月4日 時事ドットコム
外部リンク
- Crime Library - D.B.クーパーの物語(英語)
- Aviation Safety Networkの事件概要(英語)