CSDコロコロ
CSDコロコロ | |||
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原語表記 | Club Social y Deportivo Colo Colo | ||
愛称 |
El Colo El Popular El Cacique Albos Eterno Campeón | ||
クラブカラー | 白 | ||
創設年 | 1925年 | ||
所属リーグ | チリ・フットボールリーグ | ||
所属ディビジョン | プリメーラ・ディビシオン | ||
ホームタウン | サンティアゴ・デ・チレ | ||
ホームスタジアム | エスタディオ・モヌメンタル・ダビド・アレジャーノ | ||
収容人数 | 47,000 | ||
代表者 | ラウール・ラバーン | ||
監督 | エクトル・タピア | ||
公式サイト | 公式サイト | ||
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コロコロ(スペイン語: Club Social y Deportivo Colo Colo)は、チリの首都サンティアゴを本拠地とするサッカークラブチーム。
国内リーグでは通算23回の優勝を誇り、チリのクラブでは唯一コパ・リベルタドーレスを制するなど、チリ屈指の強豪であり最も人気のあるクラブである。[1]
クラブ名のコロコロは、スペインによる侵略に対して最後まで降伏せず戦い続けたマプチェ族の首長「コロコロ」の名前である。
歴史
コロコロは1925年4月19日に創設された。
1991年6月5日にエスダディオ・モヌメンタルでおこなわれた対オリンピア戦で3対0で快勝し、コパ・リベルタドーレスの優勝を決め南米サッカー界の頂点に立った。
1991年の12月8日に国立霞ヶ丘陸上競技場で行われたトヨタカップではユーゴスラビア(当時)のレッドスター・ベオグラードと対戦。初出場同士の戦いであった。コロコロはピサロ、マルティネス、バルティチオットを中心に優勢に試合を進めた。また相手のキャプテン、サビチェビッチが前半終了直前に退場処分になり数的有利な状態になったが、カウンターからの攻撃で3失点を喫し敗北、クラブチーム世界一になることはできなかった。
1980年代から1990年代は圧倒的な強さを誇るも、2000年代に入るとクラブの経営危機などもあり一旦弱体化。しかし、2006年以降はリーグタイトルを獲得し続けており、古豪復活を印象づけている。
ライバル
コロコロの最大のライバルはウニベルシダ・デ・チレである。そして、この対戦はエル・スーペル・クラシコ・デ・フットボール・チレーノ(チリのスーペル・クラシコ)と呼ばれ、チリで最も関心を集め、権威のあるダービー・マッチである。
タイトル
国内タイトル
- リーグ:29回
- 1937(シーズン無敗), 1939, 1941(シーズン無敗), 1944, 1947, 1953, 1956, 1960, 1963, 1970, 1972, 1979, 1981, 1983, 1986, 1989, 1990, 1991, 1993, 1996, 1997後期, 1998, 2002全国, 2006前期, 2006後期, 2007前期, 2007後期, 2008後期, 2009後期
- カップ:14回
- 1933, 1938, 1940, 1945, 1958, 1974, 1981, 1982, 1985, 1988, 1989, 1990, 1994, 1996
国際タイトル
- コパ・リベルタドーレス:1回
- 1991
- 1991
- レコパ・スダメリカーナ:1回
- 1992
成績
2012年までは暦年(1月-12月)を1シーズンとし、暦年前半にアペルトゥーラ、暦年後半にクラウスーラを行なっていた。2013-14シーズンからはシーズン開始時期を半年ずらし、7月-翌年6月を1シーズンとし、暦年後半にアペルトゥーラ、暦年前半にクラウスーラを行なっている。移行期間となった2013年は半年を1シーズンとし、トランシシオン(移行)という名称のシーズンを行なった。
シーズン | ディビジョン | レギュラーシーズン | プレーオフ | 備考 | ||||||||
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順位 | 試合数 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 勝ち点 | |||||
2007 | アペルトゥーラ | プリメーラ | 1位 | 20 | 14 | 5 | 1 | 47 | 16 | 47 | なし | |
クラウスーラ | グループ1位 | 20 | 11 | 6 | 3 | 40 | 21 | 39 | 優勝 | |||
2008 | アペルトゥーラ | プリメーラ | グループ1位 | 19 | 7 | 6 | 6 | 35 | 29 | 27 | 決勝敗退 | |
クラウスーラ | グループ2位 | 18 | 10 | 3 | 5 | 32 | 19 | 33 | 優勝 | |||
2009 | アペルトゥーラ | プリメーラ | 13位 | 17 | 5 | 4 | 8 | 28 | 28 | 19 | 出場せず | |
クラウスーラ | 4位 | 17 | 8 | 4 | 5 | 28 | 19 | 28 | 優勝 | |||
2010 | 通年[2] | プリメーラ | 2位 | 34 | 22 | 5 | 7 | 67 | 34 | 71 | なし | |
2011 | アペルトゥーラ | プリメーラ | 8位 | 17 | 7 | 3 | 7 | 28 | 26 | 24 | 準々決勝敗退 | |
クラウスーラ | 3位 | 17 | 9 | 3 | 5 | 27 | 28 | 30 | 準決勝敗退 | |||
2012 | アペルトゥーラ | プリメーラ | 6位 | 17 | 7 | 5 | 5 | 22 | 21 | 26 | 準決勝敗退 | |
クラウスーラ | 1位 | 17 | 9 | 6 | 2 | 32 | 14 | 33 | 準決勝敗退 | |||
2013 | トランシシオン | プリメーラ | 10位 | 17 | 6 | 3 | 8 | 26 | 27 | 21 | なし | |
2013-2014 | アペルトゥーラ | プリメーラ | 8位 | 17 | 7 | 3 | 7 | 22 | 23 | 24 | なし | |
クラウスーラ | なし |
現所属メンバー
- 2015年1月15日時点
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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- 監督
歴代監督
- ロベルト・エルナンデス 2001
- ハイメ・ピサーロ 2002-2003
- リカルド・ダブロウスキ 2004
- マルセロ・エスピナ 2005
- リカルド・ダブロウスキ 2005
- クラウディオ・ボルギ 2006-2008
- フェルナンド・アステンゴ 2008
- マルセロ・バルティッチオット 2008-2009
- グアルベルト・ハラ 2009
- ウーゴ・トカッリ 2009-2010
- ディエゴ・カーニャ 2010-2011
- イボ・バサイ 2011-2012
- オマル・ラブルナ 2012-2013
- エクトル・タピア 2013-
歴代所属選手
GK
- ミサエル・エスクティ 1946-1964
- マルセロ・ラミレス 1984-1989, 1991-2001
- ダニエル・モロン 1989-1995
- クラウディオ・ブラーボ 2002-2006
DF
- ウンベルト・クルス 1963-1971
- リサルド・ガリード 1975-1976, 1980-1992
- エリアス・フィゲロア 1982
- パブロ・コントレラス 1996-1999
- アルトゥーロ・ビダル 2005-2007
- ダニエル・サナブリア 2005
- セルソ・アジャラ 2006
MF
- フランシスコ・バルデス 1961-69, 1971, 1978-81
- ラウル・オルメーニョ 1976-1991
- ハイメ・ピサーロ 1982-1993, 1994
- パンチョ 1992-1998
- マルコ・エチェベリ 1994
- フランク・ロボス 1998-1999, 2006
- ゴンサロ・フィエロ 2002-2008, 2012-
- マティアス・フェルナンデス 2004-2006
- ホルヘ・バルディビア 2005-2006
FW
- ギジェルモ・スビアブレ 1927-1934
- エンリケ・ソレル 1934-1945
- ジョージ・ロブレド 1953-1958
- レオネル・サンチェス 1970
- マルセロ・バルティッチオット 1988-1992, 1996-2002
- クラウディオ・ボルギ 1992
- エクトル・タピア 1994-1998, 2001, 2005
- エルナン・ロドリゴ・ロペス 2000
- イバン・サモラーノ 2002-2003
- アレクシス・サンチェス 2006-2007
- ウンベルト・スアソ 2006-2007
- ルーカス・バリオス 2008-2009
脚注
- ^ http://www.lanacion.cl/prontus_noticias_v2/site/artic/20090130/pags/20090130201049.html
- ^ 2月27日にチリ地震が発生し、日程の消化に支障が出たため、2001年以来となる通年制が採用された。