黒河内森林鉄道

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黒河内森林鉄道(くろごうちしんりんてつどう)は、かつて長野県伊那市長谷地域(旧・上伊那郡美和村長谷村)で運行されていた、林野庁長野営林局伊那営林署(現・中部森林管理局南信森林管理署)の森林鉄道

路線データ[編集]

路線図[1]
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0.0 蟹坂
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3.8 尾勝
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5.5 戸台
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10.5 小黒川
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11.9 東谷
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作業軌道

現在の伊那市長谷黒河内の黒川から東へ、三峰川支流・黒川(小黒川)に沿って上流へと路線が伸ばされた[2]軌間762mm [1](2フィート6インチ)。以下特記なき場合、『近代化遺産 国有林森林鉄道全データ 中部編』による[2]

  • 種別:森林鉄道2級
  • 総延長:11,896 m
  • 営林局・営林署名:長野営林局・伊那営林署
  • 経営区名:黒河内
  • 系統名:三峰川
  • 位置:長野県上伊那郡美和村(→長谷村伊那市
  • 利用区域面積:7,669 ha
  • 勾配:平均 39 、最急 60 ‰
  • 最小半径:20 m
  • 幅員:2.2 m

経由地一覧[編集]

  • 蟹坂 - 尾勝 - 戸台 - 小黒川 - 東谷 - (作業軌道7,904m)[1]

車両[編集]

  • 機関車:3台[1]
    • 蟹坂に1台、小黒川に2台配備[1]
  • 木材運搬車:約80台[1]

その他、浦森林鉄道#車両も参照。

歴史[編集]

  • 1939年昭和14年) - 帝室林野局伊那出張所戸台伐木所が開設され、蟹坂より森林鉄道の敷設を開始[3]
  • 1941年(昭和16年) - 東谷、西谷の合流地点まで敷設完了[4]
  • 1943年(昭和18年) - 小黒川伐木所を開設[4]
  • 1956年(昭和31年) - 廃止。森林鉄道を撤去し、車道を新設。自動車による運材へと切り替えられた[5]

沿線[編集]

仙流荘バス停
戸台谷インクライン
1942年(昭和17年)の山火事を受け、被害木の搬出のため戸台に木馬用インクラインが設けられた。岩石が露出する急峻な斜面であったため、長さ500m、高低差250m、傾斜30のインクラインを建設、1943年(昭和18年)に完成した。路線から谷底までの深さは最大53mで、これを12段もの木製の支柱によって支持していた。「東洋一のインクラ」、「戸台の花」などと呼ばれ、木馬がこれを駆け下りる光景はジェットコースターの比ではなかったという。そんな巨大なインクラインも、搬出事業終了を目前に控えた1944年(昭和19年)7月、支柱への落石により倒壊した[4][6]
蟹坂土場
伐木の中継地点として、1941年12月に竣工。面積1.93ha、年間取扱量約3万5,000(約1万m3)。森林鉄道の廃止後、1973年(昭和48年)に長谷村へと売却され、村営保養センター「仙流荘」として開館した[7]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 西村富夫「森林鉄道の想い出」
  2. ^ a b 『近代化遺産 国有林森林鉄道全データ 中部編』103、107、262ページ。
  3. ^ 『長谷村誌 2 自然編・現代社会編』399ページ。
  4. ^ a b c 『長谷村誌 2 自然編・現代社会編』402ページ。
  5. ^ 『長谷村誌 2 自然編・現代社会編』403ページ。
  6. ^ 『近代化遺産 国有林森林鉄道全データ 中部編』16 - 17、214ページ。
  7. ^ 『近代化遺産 国有林森林鉄道全データ 中部編』214ページ。

参考文献[編集]

  • 西村富夫「森林鉄道の想い出」『伊那路』第22巻第10号、上伊那郷土研究会、1978年、5 (377) - 12 (384)。 
  • 長谷村誌刊行委員会編 編『長谷村誌 2 自然編・現代社会編』長谷村誌刊行委員会、1994年。 
  • 矢部三雄『近代化遺産 国有林森林鉄道全データ 中部編』信濃毎日新聞社、2015年。ISBN 9784784072705 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]