陳平 (マレーシア)
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ストレイツ・タイムズに掲載された陳平の指名手配記事
陳平(チン・ペン、Chén Píng, 1924年 - )はマラヤ共産党書記長、本名王文華 (ONG Boon Hua) である。中国において、策謀家として著名な人物「陳平」の名を借りた。マラヤの陳平と呼ばれるアジア現代史の怪人の一人。
経済的には平均的なマラヤの客家に生まれた陳平は、1940年にマラヤ共産党入党後、抗日武装闘争に参加[1]。1947年にマラヤ共産党書記長に就任し、1948年6月より抗英武装闘争を指揮。1955年の自治政府との和平会談が決裂となったことで、マレー・タイ国境に潜伏。これ以降、長く表舞台より姿を消すこととなる。1968年の中国共産党、ベトナム共産党の武装闘争重視路線転向により、マラヤ共産党も活動を活発化させるが、1980年代にはマレーシア政府とマラヤ共産党両者の関係は、話し合いの段階へ移る。1989年12月の和平協定により、「最後のコミュニスト」陳平の闘争は終焉を迎えた。
現在は亡命先のタイにおいて、故郷への帰還を願っているが、マレーシア国内では陳平による武力闘争を記憶している者や傷つけられた者も多く、反対勢力の関係から、難しいとされる。2009年、タイ政府が旧マラヤ共産党員と同様に陳平の入国も認めるべきと斡旋をした際にも、マレーシア政府と世論は国民感情から拒否すると撥ねつけた[2]。政治のリアリズムとダイナミズムを血肉としているリー・クアンユーは、陳平を高く評価する発言をしている。
この風雲児の生涯を綴った自伝 "my side of history"(2003年)がある。