マラヤ共産党

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マラヤ共産党(Malayan Communist Party)は、1930年5月英領マラヤで結成された共産主義政党南洋共産党を前身とする。

1925年に結成された南洋共産党は中国共産党の海外部門(傀儡:かいらい)としての性格が色濃く、その基盤も華僑を主としたものであった。マラヤ共産党の結党も、中国共産党からの自立、という意味合いが強い。しかしながら中国共産党の絶大な影響力から逃れることは出来ず、華僑を中心とした組織活動がその後も続くこととなった。1930年4月には、クアラピラ(Kuala Pilah、現ヌグリ・スンビラン州)で「マラヤ人民抗日軍(Malayan People's Anti-Japanese Army)」と呼ばれる抗日部隊を結成している[1]

1948年6月20日、戦争中は抗日軍を利用してきたイギリス政府が、突如「緊急法令」を発布。抗日軍への弾圧を開始する。このためマラヤ共産党は、「マラヤ民族解放軍」の旗を掲げ、イギリスと戦闘を開始[1]。後にマレーシア植民地政府は華人を中国へ強制送還し、共産党を非合法化させる[2]

1950年リー・クワンユーが「イギリスを追い出し独立を達成できるのはマラヤ共産党だけである。」と演説し、1957年から人民行動党と友党になり、反英・抗日運動からシンガポールの独立、リーの首相就任にまで貢献する。しかし、リーはシンガポールの首相になってから西側に与したため、マラヤ共産党は反政府的になり、非合法化された。

1960年にイギリスの「緊急法令」は廃止。反政府活動はマレーシアタイとの国境地帯付近に移るが、1989年12月2日マラヤ共産党は、マレーシア政府ならびにタイ政府と、武装闘争放棄の平和協議を結び活動を停止した[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 陸培春 『観光コースでない マレーシア・シンガポール』 高文研、1997年ISBN 978-4874981924
  2. ^ 戦後のマレーシア連邦成立 NPO アジアンどっとコム

関連項目[編集]