長興寺 (前橋市)
長興寺 | |
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所在地 | 群馬県前橋市茂木町 |
位置 | 北緯36度24分47.8秒 東経139度09分19.4秒 / 北緯36.413278度 東経139.155389度座標: 北緯36度24分47.8秒 東経139度09分19.4秒 / 北緯36.413278度 東経139.155389度 |
山号 | 有鷲山 |
院号 | 能仁院[1] |
宗旨 | 禅宗 |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 釈迦如来 、薬師如来 |
創建年 | 慶長年間 |
開山 | 天室伊尭 |
開基 | 稲垣長茂 |
正式名 | 有鷲山能仁院長興寺 |
法人番号 | 7070005000263 |
長興寺(ちょうこうじ)は、群馬県前橋市茂木町にある曹洞宗の寺院である。愛知県豊川町の妙厳寺(豊川稲荷)の末寺にあたる。また、長興寺も大胡町堀越(前橋市)の永龍寺や伊勢崎市の天増寺などの末寺を持つ)。なお、大胡藩主牧野家が越後長岡藩に転封された際、当寺の僧の天室恵鏡が同行して長岡城下(現在の新潟県長岡市)に普嶽山長興寺を建てている[2]。
稲垣長茂(鳥羽藩主家稲垣家初代当主)[3]が、伊勢崎藩在封期の慶長年中に、妙厳寺9世である天室伊尭を開山に迎えて、稲垣家菩提寺として開基したと伝承される[4]。
当寺の墳墓等[編集]
境内には牧野家老臣であった稲垣長茂の父の重宗(法名道善)の墓や同じく牧野家老臣で後に徳川家直参となった山本成行(帯刀左衛門尉)夫妻の墓(現在は供養塔)がある(山本成行は越後長岡藩家老の山本帯刀家の祖である)[5]。
また、同寺墓地には大河内二右衛門(前橋藩酒井家家臣・大胡城代)夫妻の墓、同じく前橋藩酒井家家臣の村上重清一族の墓、その他にも同藩大胡在勤の武士であった成瀬・依田・増尾・林野・赤堀・横山など各家の墳墓がある[6]。
このほか、川越藩士・赤羽三蔵宗忠が主命を帯びてこの地に至るが、客死したためにこの寺に葬られ、宗忠の遺言に感じ入った当時の大胡村の住民が寺の西南300メートルほどの地点に建碑している[7]。
脚注[編集]
- ^ 「能仁」は「釋迦(如來)」の漢訳。
- ^ 参考文献の1、14頁。
- ^ 長茂は牧野康成の老臣で徳川家康の直参旗本に抜擢され、慶長6年(1601年)には大名(伊勢崎藩主1万石)に列した→参考文献の2、390頁。
- ^ 参考文献の1、1頁。
- ^ 参考文献の1、6頁・22頁。
- ^ 参考文献の1、23-24頁。
- ^ 遺言「…(前略)…されど吾旅に死すとも後世旅に病む者に力を与うべし」によるという、その碑文は、「赤羽三蔵宗忠、生国武州仲辻村人、為予禮徳仁義師也、于時宝永二酉正月二十四日夜於病死、従是当北林葬長興寺仁」(赤羽三蔵宗忠、生国は武州仲辻村の人、予(かね)て礼徳・仁義の師なり、時に宝永2年(1705年)酉、正月二十四日夜病死するに於いて、是より当北林の長興寺に葬る)→参考文献の1、25頁。