虞美人

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虞美人(ぐびじん、? - 紀元前202年?)は、末から楚漢戦争期にかけての女性。

生涯[編集]

項羽(項籍)の愛人(中国語で妻や恋人を意味する)。正確な名前ははっきりしておらず、「有美人姓虞氏」(『漢書』巻31陳勝項籍傳第1[1])とも「有美人名虞」(『史記』巻7項羽本紀 第7[2])ともいわれ、「美人」も後宮での役職名(zh:中國古代後宮制度#秦朝参照)であるともその容姿を表現したものであるともいわれる。小説やテレビドラマでは項羽の妻として描かれ、虞を姓とし「虞姫」と紹介されているものが多い。

項羽との馴れ初めについては『史記』にも『漢書』にも一切記載されておらず、垓下の戦いで初めて「有美人姓虞氏 常幸從[1]」、「有美人名虞 常幸從 駿馬名騅 常騎之[2]」(劉邦率いる軍に敗れた傷心の項羽の傍にはいつも虞美人がおり、項羽は片時も彼女を放すことがなかった)と紹介されている。

劉邦軍により垓下に追い詰められ、四面楚歌の状態になって自らの破滅を悟った(思い込んだ)項羽は彼女に、

力拔山兮氣蓋世 (力は山を抜き、気は世を覆う)
時不利兮騅不逝 (時利あらずして騅逝かず)
騅不逝兮可奈何 (騅逝かざるを如何せん)
虞兮虞兮奈若何 (虞や虞や汝を如何せん)

垓下歌[3]垓下の歌)『史記』巻7項羽本紀 第7[2] 司馬遷、『漢書』巻31陳勝項籍傳第1[1] 班固

と歌い、垓下から脱出する。

『史記』および『漢書』ではその後の虞美人について一切記述されていないが、小説では項羽の足手まといにならぬために虞美人は自殺している。また、虞美人の自殺云々についても、女性の貞節が口うるさく言われるようになった北宋時代からそのような話が出てくるようになったといわれる。

自殺した虞美人の伝説はヒナゲシに「虞美人草」という異名がつく由来となった。

虞美人を描いたフィクション[編集]

虞美人(『晩笑堂竹荘画伝』)

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  1. ^ a b c Wikisource reference 司馬遷. 漢書/卷031. - ウィキソース. 
  2. ^ a b c Wikisource reference 司馬遷. 史記/卷007. - ウィキソース. 
  3. ^ Wikisource reference 項羽. 垓下歌. - ウィキソース.