篠木雅博

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
しのき まさひろ

篠木 雅博
生誕 (1950-09-21) 1950年9月21日(73歳)
日本の旗 日本 東京都葛飾区堀切[1]
別名 ししまる こう
獅子丸 好[注 1][2]
出身校 明治大学文学部史学地理学科卒業
テンプレートを表示

篠木 雅博(しのき まさひろ、1950年9月21日 - )は、日本実業家音楽ディレクター株式会社パイプライン顧問[3]東京都出身。

音楽ディレクターとして東芝EMI徳間ジャパンで数々のヒット曲やアーティストを世に出し、2010年から2016年までは徳間ジャパンコミュニケーションズ代表取締役社長を務めた[1][4]

人物[編集]

1973年に渡辺プロダクションに入社、主に「しらけ鳥音頭」「電線音頭」「タコフン音頭」の音頭3部作[注 2] や「架空実況中継 阪神タイガースが優勝した日」[注 3] というカセットテープなどの企画物を手掛けた[1][2][3]渡辺音楽出版を経て1991年に入社した東芝EMIでは、制作ディレクターとして布施明アン・ルイス大塚博堂五木ひろし等を手掛け、石嶺聡子椎名林檎のデビューを仕掛けた[1][2][3][4]。2002年に徳間ジャパンコミュニケーションズに入社後も制作マンとしての手腕を発揮し、リュ・シウォンPerfumeSonar Pocketを躍進に導き、2010年には代表取締役社長に就任する[1][2][3]

経歴[編集]

  • 1973年4月 - 渡辺プロダクション入社。
  • 1991年2月 - 東芝EMI(現ユニバーサルミュージック)入社。
  • 1999年5月 - リワインドレコ-ディングス[注 4]入社。
  • 2002年6月 - 徳間ジャパンコミュニケーションズ入社。
  • 2010年5月 - 徳間ジャパンコミュニケーションズ代表取締役社長就任。一般社団法人 日本レコード協会理事長。
  • 2016年5月 - 徳間ジャパンコミュニケーションズ取締役を退任し、非常勤顧問に就任[5]
  • 2017年5月 - 徳間ジャパンコミュニケーションズ顧問を退任し、株式会社パイプライン顧問に就任[3]

著作[編集]

書籍[編集]

  • 『歌えば何かが変わる―歌謡の昭和史』(篠木雅博・佐藤剛 著/徳間ジャパンコミュニケーションズ「微風」編集部 編、2015年2月、徳間書店
  • 『昭和懐かしの流行歌(はやりうた)―あの名曲、おぼえていますか』(篠木雅博 著、2018年12月、徳間書店)

連載[編集]

  • 夕刊フジ「発掘!流行り歌 徒然草」(2016 - 2017年)
  • 夕刊フジ「昭和歌謡の職人たち 伝説のヒットメーカー列伝」(2018年 - )

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ペンネーム
  2. ^ バラエティ番組みごろ!たべごろ!笑いごろ!」の番組内で歌われていた楽曲。
  3. ^ 阪神が19年ぶりに優勝するという架空の実況中継を録音した作品。
  4. ^ ヒップホップをメインで扱うためにビクターアミューズで設立したレーベル会社[1]

出典[編集]