第五一号型駆潜艇

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第五一号型駆潜艇
第53号
艦級概観
艦種 駆潜艇のち駆潜特務艇
艦名
前級
次級
性能諸元( )は第五三号駆潜艇
排水量 基準:170t
全長 45.0m
水線長 44.5m
全幅 4.8m
吃水 1.70m (1.73m)
機関 マン式ディーゼル機関(艦本式タービン) 2基2軸 3,000hp
燃料 重油 7t(20t)
速力 23kt
航続距離 14ktで800海里
乗員 41名
兵装 毘式四十粍機銃1基
爆雷18発
投射機2基 投下軌条1基
同型艇 2隻(準同型1隻)

第五一号型駆潜艇は、大日本帝国海軍が使用した駆潜艇の艇級。


概要[編集]

1933年度マル1計画第一号型駆潜艇に続き、マル2計画で第3号型駆潜艇と共に計画された。イギリスのソーニクロフト社に、速力20kt、航続距離14ktで500海浬、爆雷18発で設計を発注したが、艦政本部は採用せず、その案を参考にして設計された。機関は、小型高速ディーゼル機関としてドイツのマン社からを輸入したもの使用したが、量産には不適当なものだった。
第五三号駆潜艇は、マン社のディーゼル機関が量産に不適当なことと比較のため、艦本式タービンを搭載した。このホ号艦本式は、缶の圧力が45kg/cm3、400℃とのちの島風型駆逐艦以上の高温高圧だった。また、巡航タービンを無くして巡航時は高圧タービンの排気で低圧タービンを駆動する複雑な構造だった。船体の凌波性の不良と機関の不調から、速力が23ktと第一号型駆潜艇よりも遅くなってしまった。
1940年駆潜艇が特務艇より分離独立した際に駆潜特務艇に変更され、1943年艇番号を200番加算、1944年には雑役船に再変更された。

艦歴[編集]

第五一号駆潜艇[編集]

艤装員長
石西寿彦 大尉:1937年7月1日[1] -

第五二号駆潜艇[編集]

第五三号駆潜艇[編集]


脚注[編集]

  1. ^ 『官報』第3148号、昭和12年7月2日。

関連項目[編集]