立町 (石巻市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 宮城県 > 石巻市 > 立町 (石巻市)
立町
石巻市子どもセンター
立町の位置(宮城県内)
立町
立町
北緯38度25分57秒 東経141度18分23秒 / 北緯38.43250度 東経141.30639度 / 38.43250; 141.30639
日本の旗 日本
都道府県 宮城県旗 宮城県
市町村 石巻市の旗 石巻市
地域 石巻地域
地区 石巻本庁
設置 1966年昭和41年)
人口
2020年(令和2年)12月8日現在)[1]
 • 合計 294人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
986-0824[2]
市外局番 0225[3]
ナンバープレート 宮城

立町(たちまち)は、宮城県石巻市にある町名。1丁目と2丁目が設置されている。郵便番号は986-0824[2]

概要[編集]

住所としては1966年昭和41年)に成立し、それ以前は石巻字立町、新田町、裏町・鋳銭場の各一部であった[4]

石巻市の南に位置しており、市内でも有数の繁華街である[4]

歴史[編集]

立町の歴史は古く町ができたのは「1818年」と言われています。ここではその成り立ちから振り返っていきます。

石巻の歴史は川村孫兵衛(1575年-1648年)が北上川の治水工事を経て大きく変化していきます。治水以前の仙台平野北部は北上川を中心に江合川(えあいがわ)や迫川(はさまがわ)が、たびたび洪水を引き起こし米作りに適さない土地でした。孫兵衛はそうした氾濫する川の治水を行い米作りを可能にしただけではなく、各川を合流させた事により、遠くは上流の盛岡から石巻まで舟運のルートを作り出すことに成功しました。16世紀半ばには石巻は各地から米が集まる集積地になり、そこから千石船が運搬を担い米が江戸に運ばれる重要な荷役地として発達していきます。当時の様子を松尾芭蕉(1644年-1694年)は「奥の細道」で「数百の廻舟入り江につどひ、人家地をあらそひてかまどの煙立ちつづけたり」と表現しています。

このように石巻の発展は川湊として川側から発展が始まります。当時の地名で「本町、中町、裏町、横町」といった町場が形成され、街の発展と共にやがて街は東西南北に拡大していき、その過程で立町が登場します。

文献によれば立町という町名が誕生したのは「1818年」とされています。元は「畑中」という地名の場所から別れて誕生しました。名称の由来は定かではありませんが、すでに「横町」があった関係から対比する形で「立町」になったとも推察されています。当初は旧石巻商工会議所ビルから居酒屋「備長扇屋」までの約150mを範囲として成立します。更に立町は発展を遂げ1888年には西に約500メートルの区画に延伸されました。つい50年ほど前までは今の地名でいう「穀町三丁目」までが立町とされていました[5] — 立町大通り商店街振興組合より

世帯数と人口[編集]

2020年令和2年)8月31日時点の世帯数と同年12月8日現在人口は以下の通りである[1]

町丁 世帯数 人口
立町 146世帯 294人

小・中学校の学区[編集]

市立の公立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]

番地 小学校 中学校
全域 石巻市立石巻小学校 石巻市立石巻中学校

交通[編集]

鉄道[編集]

町内に鉄道駅はないが、最寄り駅は石巻駅である[4]

バス[編集]

道路[編集]

施設[編集]

関連項目[編集]

  • 立町:曖昧さ回避のページ

脚注[編集]

  1. ^ a b 人口・世帯数(最新版)”. 石巻市. 2020年9月15日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2020年9月15日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2020年9月15日閲覧。
  4. ^ a b c d 角川日本地名大辞典 4宮城県』平成3年9月1日角川書店発行。
  5. ^ 立町商店街について– About – – 石巻まんなか通り「立町商店街」公式サイト”. 2020年9月15日閲覧。
  6. ^ 石巻市立小学校及び石巻市立中学校の通学区域に関する規則”. 石巻市. 2020年9月15日閲覧。