由良比女神社

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由良比女神社
由良比女神社 拝殿
拝殿
所在地 島根県隠岐郡西ノ島町浦郷922
位置 北緯36度05分31.02秒
東経132度59分16.94秒
主祭神 由良比女命
社格 式内社(名神大)、隠岐国一宮、村社
創建 不明
本殿の様式 春日造変態
例祭 7月 最終 土・日曜日
主な神事 神帰祭 (11月29日
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由良比女神社(ゆらひめじんじゃ)は、島根県隠岐郡西ノ島町にある神社である。式内社名神大社)、隠岐国一宮で、旧社格村社

目次


[編集] 祭神

現在は、社名から「由良比女命」を祭神としている。

延喜式神名帳』には「元名 和多須神」とあり、そこから祭神は海童神あるいは須世理比売命とも言われる。『袖中抄』、『土佐日記』には「ちぶり神」とある。

また、島前には由良比女命とイカに関する言い伝えがある。それによれば、その昔、由良比女命が芋桶に乗って海を渡っているとき、海に浸した由良比女命の手をイカが引っ張った(噛み付いたと言う説もある)ことから、そのお詫びとして毎年イカが社前の浜に押し寄せるようになったのだと言う。

[編集] 歴史

創建の由緒は不明である。六国史の初見は『続日本後紀承和9年(842年)9月14日条の「隠岐国智夫郡 由良比売命神(中略)官社に預かる」という記述である。隠岐島は大陸交通の要所であり、島内のほかの神社とともに朝廷からの尊崇を受け、延喜式神名帳では名神大社に列している。中世以降、江戸時代中期までは衰微していた。安永2年(1773年)、島前13村の庄屋が集まって例大祭が復興された。近世以降、隠岐国一宮を称するようになった。

明治5年(1872年)に村社に列した。それまで小さな社殿しかなかったが、明治22年(1889年)以降、社殿・境内地の整備が行われた。

[編集] 施設・遺構など

由良の浜 いか寄せの浜

海上鳥居(画像右下)が立つ社前の由良の浜には、毎年10月から翌年2月にかけてイカが押し寄せ、別名「いか寄せの浜」と呼ばれている。知夫村に伝わる伝承では、由良比女神社は元は知夫村の烏賊浜にあったが、由良比女神社が現在地の由良に移されてからは、イカの群は烏賊浜に来なくなり由良に集まるようになったという。
海上鳥居の奥に見える赤い屋根は、隠岐で盛んな古典相撲の土俵。そのさらに奥、林の中に陽光を反射する拝殿の屋根が見える。
鳥居 一の鳥居

県道315号の脇に立つ一の鳥居。奥に見えるのが随身門。更にその奥、随身門の陰に二の鳥居がある。
随身門 随身門

参道を挟んだ左右に左大臣・右大臣像が安置されている。
本殿 本殿

明治22年(1889年)の建立で二間社春日造変態・向拝唐破風。社頭の案内板によれば、以前は大社造変態と称していたが、春日造に近いので、現在は春日造変態とされているのだと言う。また出雲では、この様な様式を明神造と呼んでいるのだと言う。
境内社 境内社

拝殿の西側に鎮座する。左が出雲大社、中央が恵比寿宮、右が龍蛇社。
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