津堂城山古墳
| 津堂城山古墳 | |
|---|---|
上空から見た城山古墳。古墳周囲の住宅の並び方で外側周濠の存在がわかる。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を元に作成。 |
|
| 位置 | 北緯34度34分54秒 東経135度35分37秒 |
| 所在地 | 大阪府藤井寺市津堂 |
| 形状 | 前方後円墳 |
| 規模 | 全長208m、高さ16.9m |
| 築造年代 | 4世紀後半 |
| 埋葬施設 | 竪穴式石室 石棺 |
| 出土品 | 埴輪、銅鏡、玉類、鉄鏃等 |
| 史跡指定 | 1958年(昭和33年)国指定 |
| 特記事項 | 藤井寺陵墓参考地(宮内庁) |
津堂城山古墳(つどうしろやまこふん)とは、大阪府藤井寺市にある前方後円墳。古市古墳群に属し、4世紀後半ごろに築造されたと推定されている。城山古墳と呼ばれているが、他地域の同名の古墳と区別するため、地名を冠して呼称する。国の史跡。
目次 |
[編集] 概要
前方部は南東を向き、二重の周濠が墳丘を囲んでいる。外側の周濠は宅地や田畑となっているが、これを含めると古墳の全長は400m以上になる。
これまでの発掘調査などから築造は4世紀後半とみられ、古市古墳群の中でも初期の古墳であり、誉田山古墳よりも先行する。室町時代には古墳の地形を利用して小山城が築かれたため、墳丘の一部が掘削されている。明治初期の天皇陵の治定作業では陵墓とされなかったが、1912年に、神社に建立する石碑の材料とするため、後円部の墳丘から石板を発掘したことがきっかけで竪穴式石室と長持形の巨大な石棺が発見され、鏡や鏃などの副葬品が多数出土した。そのため、後に「藤井寺陵墓参考地」に治定された。
1980年に大阪府教育委員会が、1983年には藤井寺市教育委員会が発掘調査を実施。造り出しや二重の周濠(中堤幅30m、外濠25m)、石葺の外側堤(幅20m)の存在が確認された。また、周濠内の前方部左右近くの島状遺構(方墳形の祭壇)からは3体の水鳥形埴輪が出土。このほかにも衝立型や家形・盾形・衣蓋形、靫型の埴輪、円筒型など多彩な形象埴輪が発見された。
これらのことから、大和から河内へと古墳築造が移った初期の大王の陵墓ではないかと考えられている。
1958年1月21日に国の史跡に指定。2001年1月29日には、個々の古墳の指定を統合した古市古墳群全体として史跡に指定されている。
[編集] 規模
- 墳丘長208m
- 前方部 - 幅117m、高さ12.7m
- 後円部 - 径128m、高さ16.9m
[編集] 主な出土品
- 水鳥形埴輪 3点(国の重要文化財)
- 4世紀ごろ。藤井寺市が所有。アイセルシュラホールで展示。
- 鰭付円筒埴輪
- 4世紀ごろ。大阪府教育委員会が所有。大阪府立近つ飛鳥博物館で展示。
- さしば形埴輪
- 4世紀ごろ。大阪府教育委員会が所有。大阪府立近つ飛鳥博物館で展示。
[編集] 施設など
周濠を通って墳丘へと至る道筋はいくつかあり、自由に立ち入ることができるため、古くから子供の遊び場や近隣の人々の憩いの場となっている。ただし、後円部墳丘の頂上部は金網で囲まれ、宮内庁が陵墓参考地として管理しているため立ち入ることができない。
- 史跡城山古墳ガイダンス棟「まほらしろやま」
- 後円部北にある展示施設。入館無料。
- 津堂八幡神社
- 後円部の北側中腹にある。当社にある石碑は、後円部から掘り出した石板で竪穴式石室の一部(天井部分)とされる。
- 津堂草花園
- 1998年4月に古墳北側の集合部分に完成。約4,000m²。
[編集] 交通アクセス
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 藤井寺市>歴史遺産>ライブラリー古市古墳群
- 国指定文化財データベース