森赳

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森 赳
Mori Takeshi.jpg
生誕 1894年4月25日
日本の旗 日本 高知県
死没 1945年8月15日(満51歳没)
日本の旗 日本 東京都麹町区
所属組織 日本陸軍
軍歴 1916 - 1945
最終階級 陸軍中将
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森 赳(もり たけし、1894年4月25日 - 1945年8月15日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

生涯[編集]

経歴[編集]

高知県出身。銀行員・森杪の長男として生れる。広島陸軍地方幼年学校中央幼年学校を経て、1916年5月、陸軍士官学校(28期)を卒業し、同年12月、騎兵少尉に任官し騎兵第13連隊付となる。陸軍騎兵学校で学び、陸士付、陸士教官などを経て、1927年12月、陸軍大学校(39期)を卒業。

騎兵第13連隊中隊長参謀本部付勤務(支那課)、参謀本部員、参謀本部付(支那研究員)、関東軍参謀、騎兵学校教官、陸大教官などを経て、日中戦争第1軍参謀として出征。陸大教官を経て第6軍参謀副長に就任し、1941年8月、陸軍少将に進級し、太平洋戦争を迎えた。

第6軍参謀長、憲兵司令部本部長などを歴任し、第19軍参謀長となりアンボンに進出、ジャワ島の守備などを担当。1945年3月、陸軍中将となった。参謀本部付を経て近衛第1師団長に就任し、宮城警備に従事。

終戦[編集]

1945年8月14日、ポツダム宣言受諾に際し、東部軍管区参謀不破博中佐の訪問を受け、「承詔必謹」の方針を確認する。その後、蓮沼蕃侍従武官長のもとを訪ね、師団長室に戻ってまもなく、東部軍管区司令部に参集を命ぜられ、田中静壱司令官から正式に終戦の大命を伝達される。

8月15日未明、宮城事件が勃発する。このとき近衛師団司令部の師団長室において義弟の白石通教中佐と談話中であったが、井田正孝中佐、椎崎二郎中佐、畑中健二少佐、窪田兼三少佐らに面会を強要される。

井田中佐に決起を迫られたが、クーデターへの参加を拒否したため、畑中少佐から発砲を受け、更に航空士官学校上原重太郎大尉に軍刀で斬りつけられ、殺害されたと、相当期間信じられていたが、その後の角田房子の調査などで、森師団長を軍刀で殺害したのは、窪田少佐であることが確認された。 上原大尉は、上官の強唆もあり、その後自決。

親族[編集]

逸話[編集]

  • 「和尚さん」とあだ名された。
  • 後年、テレビのインタビューに息子が「この事件に関わった方に恨みは無い。」と亡父の写真を前にこたえた。

参考文献[編集]

  • 飯尾憲士『自決 森近衛師団長斬殺事件』(光人社NF文庫、1999年) ISBN 4-7698-2222-7
  • 森下智『近衛師団参謀終戦秘史』平成18年 自費出版
  • 森下智『川口放送所占拠事件秘史』平成20年 自費出版
  • 半藤一利『日本のいちばん長い日』文芸春秋社

関連項目[編集]

外部リンク[編集]