梅錦寅之介

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梅錦 寅之介
基礎情報
四股名 梅錦 寅之介 → 梅錦 寅之助 → 寿々木
本名 鈴木 寅之助
生年月日 1926年5月20日
没年月日 (1977-04-22) 1977年4月22日(50歳没)
出身 青森県北津軽郡梅沢村(現在の鶴田町
身長 171cm
体重 86kg
BMI 29.41
所属部屋 高嶋部屋
得意技 左四つ、突き、押し
成績
現在の番付 引退
最高位前頭20枚目
生涯戦歴 92勝84敗59休(22場所)
幕内戦歴 9勝15敗(2場所)
優勝 序ノ口優勝1回
データ
初土俵 1942年1月場所
入幕 1948年10月場所
引退 1951年9月場所
備考
2019年7月26日現在

梅錦 寅之介(うめにしき とらのすけ、1926年5月20日 - 1977年4月22日)は、青森県北津軽郡梅沢村(現役当時、現・同郡鶴田町)出身で高嶋部屋に所属した大相撲力士。本名は鈴木 寅之助(すずき とらのすけ)。最高位は東前頭20枚目(1948年10月場所)。現役時代の体格は171cm、86kg。得意手は左四つ、突き、押し。

来歴[編集]

1942年に上京し、同郷の元前頭4枚目・八甲山が率いる高嶋部屋に入門。同年1月場所で初土俵を踏み、同年5月、故郷の地名(北津軽郡梅沢村)に因んだ「梅錦」の四股名序ノ口に付いた。

以来、順調に出世し、1947年6月場所で新十両に昇進。この地位でも好成績を挙げ続け、翌年10月場所で新入幕を果たした。

体重90kgに満たない小兵であったが、左四つからの鋭い突き押しを得意とした。しかし幕内では苦戦し、1度も勝ち越せないまま、僅か2場所で十両に逆戻り。

1950年以降は病気に悩まされて休場する事が増え、翌年9月場所後に25歳の若さで廃業を表明した時には、西幕下29枚目まで番付を下げていた。

廃業後は故郷・青森に戻り、尾夫鉱山で働いた。しかし、オイルショックに伴って退職し、その後は東京ゴムに勤務したという。

1977年4月22日、病気のため50歳で逝去。

その他[編集]

幕下に落ち、寿々木と改名後の1951年(昭和26年)1月場所2日目、松ノ音との取組で、取組中に松ノ音の前袋が外れてしまい、本来なら不浄負け(反則)として行司は軍配を寿々木に挙げるべきところを、軍配を挙げなかった。検査役からも物言いがつかず、取り直しと判定され、松ノ音の廻しを締め直させた。取り直しでは松ノ音が勝ち、寿々木が負けた。寿々木はこの判定に不満だったという。

主な成績・記録[編集]

  • 通算成績:92勝84敗59休 勝率.523
  • 幕内成績:9勝15敗 勝率.375
  • 現役在位:22場所
  • 幕内在位:2場所
  • 各段優勝
    • 序ノ口優勝:1回(1942年5月場所)

場所別成績[編集]

梅錦 寅之介
春場所 夏場所 秋場所
1942年
(昭和17年)
(前相撲) 東序ノ口28枚目
優勝
8–0
x
1943年
(昭和18年)
東序二段30枚目
4–4 
東序二段18枚目
4–4 
x
1944年
(昭和19年)
東序二段14枚目
6–2 
西三段目28枚目
3–2 
東三段目8枚目
4–1 
1945年
(昭和20年)
x 西幕下14枚目
2–3 
西幕下14枚目
4–1 
1946年
(昭和21年)
x x 西幕下3枚目
4–3 
1947年
(昭和22年)
x 東十両14枚目
5–5 
西十両7枚目
8–3 
1948年
(昭和23年)
x 東十両2枚目
7–4 
東前頭20枚目
4–7 
1949年
(昭和24年)
西前頭21枚目
5–8 
西十両筆頭
5–10 
東十両5枚目
4–11 
1950年
(昭和25年)
西十両13枚目
6–9 
東十両14枚目
休場
0–0–15
西幕下12枚目
0–1–14 
1951年
(昭和26年)
東幕下24枚目
9–6 
西幕下16枚目
休場
0–0–15
西幕下29枚目
引退
0–0–15
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴[編集]

  • 梅錦 寅之助(うめにしき とらのすけ、1942年5月場所-1950年9月場所)
  • 寿々木(すずき、1951年1月場所-同年9月場所)

参考文献[編集]

関連項目[編集]