林崎甚助
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林崎 甚助(はやしざき じんすけ、天文11年(1542年)? - 没年不詳)は、戦国時代の武術家。居合(抜刀術)の始祖とされる。旧名、浅野民治丸。名字は林崎、通称は甚助、本姓は源、諱は重信。生年は天文17年(1548年)とも。
林崎甚助が開いた流派は神夢想林崎流、林崎流、林崎夢想流などと呼ばれるが、甚助自身が生前にこの流派名を名乗ったわけではない。この他に神夢想林崎流から分かれた流派(無双直伝英信流など)の系譜で初代となっている。
[編集] 略歴
出羽国楯山林崎(現・山形県村山市楯岡)で生まれた。父は浅野数馬、幼名民治丸。幼少時、父親を殺され、敵討ちの為、武術に精進し、或る時、林崎明神に参籠し祈念した所、神より居合の極意を伝授されたと言う。その後、仇討ちを果たし、諸国を廻国修行し、幾多の弟子を育てた。その途中で加藤清正に招かれ、加藤家の家臣を指南したとも伝えられる。
史実は不明であるが、林崎新夢想流に伝わる伝承では、林崎甚助は塚原卜伝より鹿島新当流も学んだと伝えられている。
元和3年(1617年)、70代にして諸国へ再度廻国修行に出て、その後の行方は知れないと言う。
林崎甚助の弟子には、田宮重正(田宮流開祖)、関口氏心(関口流開祖)などがいる。
甚助が神託を得た林崎明神は、現在では林崎甚助も祀られて林崎居合神社と呼ばれている。

