最高位戦八百長疑惑事件
最高位戦八百長疑惑事件とは、1980年に行われた第5期最高位戦の決定戦において起こった八百長疑惑である。
[編集] 概要
最高位決定戦35回戦中の27戦目、総合得点で1位から離された2位につけていた(しかしまだ優勝の可能性はあった)競技者Aがオーラス南4局で打ち出した牌が事件の焦点である。この牌はドラであり、局の状況から見ると、かなりの危険牌で、実際に総合得点で4位の(点差から考えて優勝はかなり困難と思われていた)競技者Bにとっての高め(ハネ満)の当たり牌であった。しかしBはこれを当たり牌とわかっていながら、さらにこれを上がれば逆転で自分がその半荘のトップになり、総合得点でも3位に浮上するにもかかわらず見逃し(ロンを宣言しないこと)た。この不自然な行為について、AとBは当時、師弟のような関係(Aが年長で師匠格)であったことから、「事前に両者の間で、師匠格のAを勝たせるという談合があったのではないか。つまり、Bの行為は自分より逆転優勝のチャンスがあるAからは当たるまいとする故意の見逃しではないか。Aも自分の捨て牌ではBがロンしないことを知った上で、危険牌のドラを打ち出したのではないか」との疑惑が持たれ、主催者側の判断で決定戦はその半荘をもって打ち切られた。当事者の2名は疑惑を否定したものの、最終的に両者とも失格となり、打ち切り時に総合得点で1位だった者が第5期最高位に、3位だった者が2位に認定された。
[編集] 事件後
この事件をきっかけに、1981年3月、小島武夫を中心に、失格になった2名を含む多数のプロ雀士が、当時、最高位戦を主催・運営し、競技打ち切りと両者失格の決定を下した麻雀専門誌「近代麻雀」(現在は廃刊。現存する同名の麻雀劇画誌とは別物)とその発行元である竹書房と袂を分かち、新団体「日本プロ麻雀連盟」を設立するに至った。以後、日本プロ麻雀連盟所属のプロ雀士が最高位戦や「近代麻雀」誌上に登場することはなくなり、彼らは対局や執筆の場を当時発行されていたもうひとつの麻雀専門誌「プロ麻雀」(現在は廃刊)に移した。結果的にこの事件はプロ麻雀界を分裂させ、小説「麻雀放浪記」や麻雀新撰組の登場により火が点いた1970年代から80年代初頭にかけての麻雀ブームを衰退させる大きな原因になったといわれている。