曹嵩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

曹 嵩(そう すう、? - 193年)は、後漢末の官僚巨高曹操の父である。曹氏諡号太皇帝

[編集] 生涯

三国志裴松之注引『曹瞞伝』によると、彼は夏侯氏の出身で、夏侯惇の叔父(父の弟)であるという。後に後漢の宦官で権勢を振るった大長秋曹騰養子となる。

官僚として司隷校尉大司農大鴻臚を経て太尉まで昇った。その性格は慎ましやかで、忠孝を重んじたという。曹嵩は一億銭にも上る金額を霊帝に献上し、宦官に賄賂を贈って、太尉の職についたという[1]

その後、黄巾の乱に始まる後漢末の大乱を避けるために、徐州東北部にある瑯邪郡に少子の曹徳と共に避難していた[2]が、子の曹操が群雄となって地盤を確保したことから帰還しようとした。だが、その途中で徐州牧陶謙の配下により殺害された[3]。父の死を知った曹操は復讐のため出兵し、徐州で殺戮を行った。

220年、孫の曹丕が皇帝になってを立てると、曹嵩は魏の「太皇帝」と追尊された。

[編集]

  • 曹操(魏の太祖武帝)
  • 曹彬
  • 曹玉
  • 曹徳(『後漢書』「宦者伝」では父に付き従ったのは「曹疾」という名となっている。曹徳と同一人物の可能性もあるが定かではない)

[編集] 脚注

  1. ^ 当時は売官が行われていた。
  2. ^後漢書』宦者伝によると、曹操が挙兵した際に曹操に同行したがらず、子の曹疾と共に瑯邪へ避難したという。
  3. ^ 『三国志』魏書武帝紀や同注引『世語』では陶謙が命令を下したことになっている。一方同注引『呉書』では陶謙が曹嵩の護衛のために派遣した将が曹嵩を殺害したとされている。