感動ポルノ

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感動ポルノ(かんどうポルノ、英語: Inspiration porn) とは、主に身体障害者健常者同情・感動をもたらすコンテンツとして消費されることを批判的に表した言葉[1][2][3][4][5][6][7][8][9]。特に、「まじめで頑張り屋」など特定のステレオタイプなイメージを押し付けられた障害者や、余命宣告者などの同情を誘いやすい立場の人を用いて視聴者を感動させようとする「お涙頂戴」のコンテンツがこのように呼ばれる[3][7][8][10][9]

定義・背景[編集]

2012年に、障害者人権活動家で自身も骨形成不全症による身体障害当事者でもあるステラ・ヤングが、オーストラリア放送協会(ABC)のウェブマガジン『Ramp Up』の記事で用いた言葉である[11][12]。後に、ヤングはTEDにて「私は皆さんの感動の対象ではありません、どうぞよろしく(I'm not your inspiration, thank you very much)」と題したスピーチを行い、そこでも「感動ポルノ」の語を使用した[13][4]

ヤングは、この言葉を「障害者が障害を持っているというだけで、障害を持つ人々を用いた感情を扇情的にさせるビデオ・記事」を指すものとして使った。gastroporn(フードポルノ。視聴者に食欲を誘発するコンテンツ[14][15])のように、英語の「ポルノ(porn)」には、視聴者にある感情などを誘引させることを意図されて作られたコンテンツという意味もある[16]。日本語圏では、ヤングが『ポルノ(ポルノグラフィ)』という表現を用いた理由を「このようなコンテンツが観る側の自慰行為であることを表すため」と論じられることもある[6][17][18]

感動ポルノにおいては、障害を負った経緯や障害による負担・障害者本人の思いではなく、積極的・前向きに努力する(=障害があってもそれに耐えて・負けずに、乗り越えようと頑張る)姿がクローズアップされがちである。「清く正しい障害者」が懸命に何かを達成しようとする場面をメディアで取り上げることが「感動ポルノ」とされる[5]。また、紹介されるのは「テレビ受け」する身体障害者に限られるのが常であり、一見しただけでは健常者と判別困難である精神障害者発達障害者が登場することはほとんどないとされる[4]。このような番組制作の姿勢について、百田尚樹は著書『大放言』の「チャリティー番組は誰のため?」において、「テレビ的に『絵になる』」障害者を取捨選択している[19]」、デーブ・スペクターは「障害を持つ方へのサポートを目的にしているはずなのに、実際は広告代理店と企業の利益とイメージアップのために続けられている[20]」とそれぞれ批判している。

英国放送協会(BBC)は1996年の時点で、障害者の「困難に耐えて頑張る」姿ばかりが描写されがちなことに対する抗議運動を受けて「障害者を“勇敢なヒーロー”や“哀れむべき犠牲者”として描くことは侮辱につながる」というガイドラインを制定している[6]

日本における実例と評価[編集]

日本では、NHK Eテレの情報番組『バリバラ〜障害者情報バラエティー〜』が、2016年8月28日放送の「検証!『障害者×感動』の方程式[6]」と題した企画で感動ポルノを取り上げた。この企画は、裏番組の『24時間テレビ』(日本テレビ系列)を明らかに意識したモキュメンタリーを放映した後、「感動ポルノ」の概念を紹介して「頑張る障害者像」に疑問を投げかける内容だった[18][17][21]。この放送は大きな反響を呼び、これがきっかけとなって日本でも「感動ポルノ」について盛んに論じられるようになったともされる[2][18]

この放送を受けて、乙武洋匡は『24時間テレビ』が公共放送ではっきり否定されたことを高く評価し、自身も感動ポルノで作られた「マジメで頑張り屋のオトちゃん」という世間的イメージに苦しめられてきたこと、感動ポルノを「むしろ見下されている」と不快に感じてきたことを述べた[3]。また乙武は、かつて『24時間テレビ』でメインパーソナリティーのオファーを受けた際、「『かわいそうな人たちが、こんなに頑張っている』と障害者を扱ってしまうことに違和感を覚えた」「障害者に対する扱いがあまりに一面的だとは思う」という理由で断ったことを明かしている[22][23]

全盲の記者である岩下恭士は、2016年の毎日新聞の記事で「感動ポルノは不要である」と非難している[17]。 社会心理学者・スクールカウンセラーの碓井真史は、感動自体が悪いわけではないが、感動ポルノは無意識に対象を一段低く見る差別を生んでしまうことが問題だと評した[24]。福祉社会学者の前田拓也は、「感動ポルノは確かに批判されるべきだが、安易な批判はかえって障害者への露悪を助長するリスクがある(大意)」と論じている[18]

『バリバラ』以降のマスメディアでの利用例として、2019年に朝日新聞が『だれもが愛しいチャンピオン』を「いわゆる感動ポルノではない明るくユーモラスな作品に仕上がっている」と報じている[10]。また、2021年放送の弱視の女性が主人公でラブコメとしても楽しめる一方、視覚障害者の視点や心情、その周囲や親族の心情も描かれている漫画『恋です!~ヤンキー君と白杖ガール~[25]』のドラマ版は、障害を誇張した感動ポルノにしない作風で大ヒットした[9]

脚注[編集]

  1. ^ <07>「感動ポルノの題材にされるのは、いい気はしない」 今求められる“安易な共感”の無効化 (永井陽右×ロバート・キャンベル)”. 朝日新聞デジタルマガジン&[and]. 2022年10月26日閲覧。
  2. ^ a b ビジネス的にやめる選択肢はない…偽善と批判される「24時間テレビ」を日テレがやめられないワケ なぜ出演者のギャラと募金の問題を説明しないのか”. PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) (2022年8月27日). 2022年10月26日閲覧。
  3. ^ a b c 洋匡, 乙武. “乙武洋匡「感動ポルノ」との決別”. 文春オンライン. 2022年10月26日閲覧。
  4. ^ a b c イシゲスズコ (2016年9月3日). “「障害者の感動ポルノ」を巡る議論で、私たちが見落としていること”. LITALICO. 2016年11月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月24日閲覧。
  5. ^ a b 「障害者を感動話に」方程式批判”. 毎日新聞 (2016年8月28日). 2016年8月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月28日閲覧。
  6. ^ a b c d NHK バリバラ”. NHK. 2017年1月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月29日閲覧。
  7. ^ a b 【イベントレポート】幡野広志「“感動ポルノ”にはしたくなかった」。『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』刊行記念”. 梅田 蔦屋書店. 2022年10月26日閲覧。
  8. ^ a b 感動ポルノは御免だ。3年の余命宣告を受けた写真家が語る「自分で決める」の大切さ”. ダ・ヴィンチWeb. 2022年10月26日閲覧。
  9. ^ a b c 川口春奈主演の『silent』が"感動ポルノ"ではと物議 「泣かせるネタになってる」とも|ニフティニュース”. ニフティニュース. 2022年10月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月26日閲覧。
  10. ^ a b 「感動ポルノ」超える? 知的障害者が演じる映画公開へ:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2019年12月26日). 2022年10月26日閲覧。 “だが、彼らの実際の言動が脚本やセリフに盛り込まれ、いわゆる「感動ポルノ」ではない明るくユーモラスな作品に仕上がっている。”
  11. ^ Young, Stella (2012年7月3日). “We're not here for your inspiration - The Drum (Australian Broadcasting Corporation)”. Abc.net.au. 2016年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月29日閲覧。
  12. ^ Heideman, Elizabeth (2015年2月2日). “"Inspiration porn is not okay": Disability activists are not impressed with feel-good Super Bowl ads”. Salon.com. 2016年4月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月19日閲覧。
  13. ^ Young, Stella. “Stella Young: I’m not your inspiration, thank you very much | TED Talk”. TED.com. 2015年8月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月19日閲覧。
  14. ^ 英辞郎 on the WEB”. eow.alc.co.jp. 2022年10月27日閲覧。
  15. ^ 飯テロって英語でなんて言うの?”. DMM英会話なんてuKnow?. 2022年10月27日閲覧。
  16. ^ [1]
  17. ^ a b c 岩下恭士 (2016年9月17日). “全盲記者・岩下恭士のユニバーサロン「感動ポルノ」は要らない /東京”. 毎日新聞地方版. http://mainichi.jp/articles/20160917/ddl/k13/070/006000c 2016年9月17日閲覧。 [リンク切れ]
  18. ^ a b c d 「感動」するわたしたち──『24時間テレビ』と「感動ポルノ」批判をめぐって/前田拓也”. SYNODOS (2016年9月14日). 2022年10月26日閲覧。
  19. ^ 「吐き気がしそう」 百田尚樹氏が「24時間テレビ」を批判する理由
  20. ^ デーブ・スペクター「24時間テレビは絶対見ない」「本当のボランティアとは何か」
  21. ^ 今一生. “24時間テレビを感動ポルノと批判した「バリバラ」の快挙”. iRONNA. 2016年9月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月17日閲覧。
  22. ^ 乙武洋匡さんがツイッターで暴露「24時間テレビのメインパーソナリティを断った」
  23. ^ 【乙武が解説】24時間テレビの問題点とは!? - YouTube
  24. ^ 碓井真史 (2016年9月5日). “「感動ポルノ」はダメなの?:24時間テレビとバリバラの間で:無意識の差別と障害者の教材化”. Yahoo!ニュース 個人. 2021年3月13日閲覧。
  25. ^ 元木先生のつぶやき : [視覚障害『ヤンガル』を教科書にして良かった]”. blog.tsurumi-u.ac.jp. 鶴見大学. 2022年10月26日閲覧。

参考文献[編集]

  • Ben Whitburn (2015). “Attending to the Potholes of Disability Scholarship”. In Tim Corcoran; Julie White; Ben Whitburn. Disability Studies. Sense Publishers. pp. 215–224. ISBN 9789463001991 
  • Disability Media Participation: Opportunities, Obstacles and Politics”. Mia.sagepub.com (2015年2月1日). 2016年8月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月29日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]