夜這い

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夜這い(よばい)とは、夜中に性交を目的に他人の寝ている場所を訪れる日本の風習。

概要[編集]

語源は、男性が女性に呼びかけ、求婚すること(呼ばう)であると言われる。

大正時代まで[1]農漁村中心に各地で[2]行われていた習俗[3]。戦後、高度成長期直前まで、各地の農漁村に残っているところがあった[4]明治維新の近代化や農漁村への電灯の普及などにより明治以降は衰退する傾向にあった。このため、明治、大正の頃まで盛んだったのは、山深い山間部の村落中心であった。

多くの場合男性が女性のもとへ通うものだが、女性が通う風習を持つ地域もあった[5]

婚、嫁、結婚などの字を古くは「よばふ」「よばひ」と呼んだ。これは「呼ぶ」の再活用形で「つまどい」「つままぎ」などの語と共に求婚のために男が女のもとに通うことを意味した。昔の婚姻は結婚後も男が女のもとに通うのが普通であり、このことも「よばい」と言われた。

この行為は相手の合意があって初めて成立する慣習だが、中には強姦婦女暴行という強行犯罪にあたる行為も差す場合がある。

古代日本の夫婦関係は妻問い婚であり、男女はそれぞれに住んでいて妻の元へ夫が通ってゆく形態であった。結婚というのは、家族に隠れてこっそりと夜這いを行うのではなく、堂々と通えるようになることを意味した。そもそも各地の共同体(ムラ)においては一夫一婦制と言う概念も希薄で、重婚、夜這いは当たり前であった[6]

かつての農村では、「村の娘と後家は若衆のもの」という村落内の娘の共有意識を示す言葉が聞かれることがあった。近代化以前の農村には若者組があり、村落内における婚姻の規制や承認を行い、夜這いに関しても一定のルールを設けていた。ルールには未通女人妻の取り扱いなどがあり、この辺りの細かい点は地域によって差がみられた。

江戸など都市部では、村落と違う形に発達していった。これが、夜這いの衰退に繋がったと考えられる[7]とする見方がある。1876年(明治9年)、現在の新潟県(相川県)で、夜這いを禁止する法律ができた[7]。1938年(昭和13年)に起きた津山事件について、大阪毎日新聞が「山奥にいまなお残されている非常にルーズな男女関係の因習」[8]と報じ、サンデー毎日が「娯楽に恵まれない山村特有の『男女関係』」[8]と報じるなど、夜這いは否定的に見られるようになっていった。

ブータンには「ナイトハンティング」という文化で夜這いが定着しており、特に地方の男子は15歳前後になると兄弟や従兄に誘われて夜這いにいく。[9]

民俗学の研究[編集]

赤松啓介の『夜這いの民俗学』(1994年)によると、夜這いについては、時代や地域、各社会層により多様な状況であり、共同体(ムラ)ごとの掟に従う必要はあったが、夜這い相手の選択や、または女性側からの拒絶[10]など、性的には自由であり[11]、祭りともなれば堂の中で多人数による「ザコネ」が行われ、隠すでもなく恥じるでもなく、奔放に性行為が行われていた[12]。ただしその共同体の掟に従わねば、制裁が行われることもあった[13]。赤松によれば戦争その他などで男の数が女に比して少なかったことからも、この風習が重宝された可能性があるという[14]。また明治以降夜這いの風習が廃れたことを、夜這いと言う経済に寄与しない風俗を廃して、各種性風俗産業に目を向けさせ、税収を確保しようとする政府の意図が有ったのではないかとしている[15]。なお、日本の共同体においては、少女は初潮を迎えた13歳、または陰毛の生えそろった15 - 16歳から夜這いの対象とされる(ただし、婚姻中は対象外となる場合もある。この辺りは共同体により様々である)[16]。その際に儀式として性交が行われた[17]。少年は13歳でフンドシ祝いが行われ、13歳または15歳で若衆となるが、そのいずれかの時に、年上の女性[* 1]から性交を教わるのが儀式である。その後は夜這いで夜の生活の鍛練を積む[18]。赤松は明治42年(1909年)兵庫県の出身であるが[* 2]、この当時はまだフンドシ祝いが残っていたと言う[19]。適当な相手が見つからない場合、実父や実母がその相手を務める場合もあった[20]。日本の共同体では夜這いの前に以上の如くの性教育が行われた。ちなみにこの様な次第であると当然、赤ん坊が誰の子であるのかよく解らない、などと言った例がよく見られたが、共同体の一員として、あまり気にすることなく育てられた[21]

柳田國男は「淫風陋習」とした[22]

小谷野敦は、自著『江戸幻想批判』で夜這い文化の美化を批判し、夜這い文化は、純潔文化とは違った形であれ、オスのメスに対する一方的・支配的な性行為が組み込まれた文化であり、夜這いには、強姦や半強姦(デートレイプ)が多く含まれていたことを指摘している。決して「男女平等のフリーセックス」ではなかったことを述べている。

脚注[編集]

  1. ^ 赤松 (1994) では、娘、嫁にとどまらず、後家、嬶(カカァ)、ババァなどの表現もあり、少年同士が互いの母親の「味」について語り合う事例や、娘が母親の夜の相手を引っ張り込む様な事例も紹介されている(pp. 3-4)。
  2. ^ なお、赤松は『夜這いの民族学』 (1994) p.33-34において、自身の出身地と非常に近い土地を出身地としている柳田國男が夜這いについて知らないわけはなく、この風習について多くを著していないことについて、何らかの思想的・政治的理由によりこれに触れたくなかったのではないか、などと、柳田を批判している。

出典[編集]

  1. ^ 『週刊ポスト』 2011年4月29日号 p.13.
  2. ^ 「日本で」一般的に行われていたという見方(『週刊ポスト』 2011年4月29日号 p.14.)と、房総以西の太平洋側の地域、伊豆、知多半島、渥美半島、瀬戸内、九州などでより盛んに行われていた習俗であるという説(『週刊ポスト』 2011年4月29日号 p.161, pp.161-163. 八木透によれば、地域差や県民性があるという)がある。
  3. ^ 『週刊ポスト』 2011年4月29日号 p14. 柳田國男によれば「正常な求婚手段ないし婚姻生活を表す代表的な婚姻語」で、飯島吉晴によれば「男女が自主的にパートナーを選ぶことができる、自由恋愛のためのシステム」。
  4. ^ 『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』 p.320(上野千鶴子による解説 pp.315 - 326)または赤松(1994) pp.37-42
  5. ^ 『週刊ポスト』 2011年4月29日号 p.162. たとえば現在の愛知県や熊本県、相模や信州、丹後にあった。
  6. ^ 赤松 (1994) p.35
  7. ^ a b 『週刊ポスト』 2011年4月29日号 p.15.
  8. ^ a b 『週刊ポスト』 2011年4月29日号 p165.
  9. ^ 夜這い習慣あるブータン 日本人女性一晩6人から訪問される
  10. ^ 赤松 (1994) p.30
  11. ^ 『週刊ポスト』 2011年4月29日号 pp.16-20.
  12. ^ 赤松 (1994) pp.116-122
  13. ^ 赤松 (1994) p.93
  14. ^ 赤松 (1994) pp.89-90
  15. ^ 赤松 (1994) pp.84-86
  16. ^ 赤松 (1994) pp.28,48,92
  17. ^ 赤松 (1994) pp.65 - 66
  18. ^ 赤松 (1994) pp.60-61
  19. ^ 赤松 (1994) p.62
  20. ^ 赤松 (1994) p.66
  21. ^ 赤松 (1994) pp.32,76
  22. ^ 『週刊ポスト』 2011年4月29日号 p.17.

参考文献[編集]

  • 赤松啓介 『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』ちくま学芸文庫 ISBN 4-480-08864-4
  • 赤松啓介、1994、『夜這いの民族学』、明石書店
  • 『週刊ポスト』 2011年4月29日号 pp.13-20, 161-168.

関連項目[編集]