ノート:夜這い

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関東以北にもあった[編集]

「一般に昭和初期まで西日本の農村地帯で見られる習俗で、関東地方以北ではみられない。」との記述があったが、1995年7月9日NHK総合テレビ盛岡放送局放送(18時12分から約30分程度の特集番組)によれば、放送当時で60歳代程度の女性への取材内容が放映され、戦後においても北上山地で夜這いの習慣が残っていて、年頃の若い女性(若いときの取材された女性たち)は、「今夜は誰が夜這いに来てくれるのかな」とワクワクして夜を過ごしたものだとの証言があった。冬場は家の引き戸が凍りつくので、訪れる男性は放尿の熱で氷を解かして入室したとのことである。この放送は同年7月16日08時頃からも再放送された。--おやんず 2009年1月16日 (金) 13:19 (UTC)[返信]

日本の関東地方以北と言っても支配者の配置換えや移民等で西日本から移り住んだ場合も考えられるので関東地方以北でも広範に存在している風習として証明していないといけないと思うがどうかな。--Tenmams 2009年6月25日 (木) 22:11 (UTC)[返信]
まったく補強材料にはならないと思うけど、自分の爺ちゃん(現在73歳)が、戦中~戦争終了くらいまで夜這いの文化はあったと言ってました。ちなみに爺ちゃんは代々新潟県に住んでた人。--119.172.147.29 2009年11月23日 (月) 23:53 (UTC)[返信]

赤松啓介 『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』ちくま学芸文庫 ISBN 4-480-08864-4 p.320(上野千鶴子による解説 pp.315 - 326)には、高度成長期(1955年から1973年)直前まで 各地の農漁村 に残っていた習俗とあります。本文、とりあえず、書き換えておきます。--Uryah 2010年4月23日 (金) 20:05 (UTC)[返信]

各地の農漁村 に残っていた習俗とあるということですが何故、西日本中心が消されたのか説明してください。--Tenmams 2010年8月31日 (木) 20:34 (UTC)[返信]
私が挙げた参考情報(典拠)には1、「西日本中心」という旨の記述がなかったのですが(もしありましたらごめんなさい、ご教示ください)、2010年9月1日 (水) 04:45の文面だと「日本では、高度成長期直前まで西日本を中心とした各地の農漁村に見られた習俗」の典拠が「『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』 p.320(上野千鶴子による解説 pp.315 - 326)」であるように読めてしまいますね。なので、分けました(記述を否定する意味ではなく、Wikipedia:検証可能性の意味です)。ご参照Uryah 2010年9月13日 (月) 13:52 (UTC)[返信]

求む典拠[編集]

この編集(123これはこの編集者が典拠を求めたのですかね。))の典拠になる情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ここノートにお寄せください。--Uryah 2010年6月15日 (火) 12:08 (UTC)[返信]

この編集についてお知らせします。私はハングルは全く読めないのですが、Google翻訳をかけた範囲では、ハングル版の夜這い 2010年8月28日13:31の版には差別的な記述も反日的な記述も見当たらないので、この編集に付けられたコメント「他の言語が韓国のみなのがその証」は根拠になりません。「日本人を蔑む目的で使用する行為が反日的なネット社会において垣間見られる」という事実の有無をここで論じたいのではなく、ウィキペディア的な意味での典拠を求めます(誰がそう言っているか・どこにそう書いてあるか)。--Uryah 2010年10月5日 (火) 11:14 (UTC)[返信]

検証可能性について[編集]

大変申し訳ございませんが、 2011年9月25日 (日) 07:18(UTC)[1]の、「1995年7月9日NHK総合テレビ盛岡放送局放送(18時12分から約30分程度の特集番組)」との記述をコメントアウトさせて頂きました。テレビ番組は文字通り検証可能性を満たさず、記事の内容の典拠として用いることができません。Wikipedia:検証可能性に曰く、「ウィキペディアの閲覧者層や他の編集者が満足に検証することができないから」と言った次第です。しかしながら、動画は動画でも、DVDとして発売されるなどしていればこれは検証可能性を満たします。どうかご理解を賜りたく存じます。--Hman 2011年9月25日 (日) 07:58 (UTC)[返信]

NHKは日本の国会で予算と決算を審議される公的存在であり、過去の放送内容も局内の膨大な資料庫に保存され、放送日時と放送局(地方局)を特定すれば、その情報が正しいかどうか、日本国民の代表が確認することは可能です。当該放送は、岩手県の盛岡放送局で制作され岩手県内で放送され、後日、岩手以外も含めた広域放送枠で再放送され、多数の目撃者が存在した番組です。積極的に調査する努力を最初から放棄して媒体がテレビ番組だからという理由だけで「検証不可能」で済ますことは、「事実は何か」ということを調べるきっかけを読者から奪う以外の何物でもありません。私自身は自分の名前(小野田 英(おのだ たけし))も住所も電話番号も明らかにし、放送日当日のメモ帳もしっかり保存して放送日時をここに明示しました。少なくとも、そのメモ帳は誰でも見ることが可能であり、その情報を元に、NHKに検証作業をかけることは不可能ではありません。そもそも前回私が編集を掛けた際は、この風習が西日本に限られるという「一つの説」があたかも「事実であるかのような記述」となっていた。それに対して「このドキュメンタリー番組が放送されていた事実」は真っ向からその説を否定するものであり、重要な証拠物件であります。現に芸能人・有名人などの人物に関する項目では、テレビへの出演記録などは資料として明示されている。ここでだけ閲覧者から資料再検証の機会そのものを奪う「出典削除処分」はやり過ぎです。--おやんず 2011年9月25日 (日) 15:21 (UTC)[返信]
ですから除去ではなく、コメントアウトとして文中に残して起き、更にこのノートに上述の如く転記までしているのです。以上の如く、配慮はさせて頂いております。これは実はモノとしてお客様=閲覧者には見せられないが、編集者間では情報を共有しようと言うことで、結構用いられている手段です。ただし「出典」として使わず、または典拠であると誤解を受けない形・・・例えば(編注)と明記してrefに入れ込む手段や、番組名が解るのであれば「関連項目」や「外部リンク」に入れ込む手はあります。これに関しては特に反対は致しません。
そして、お説の検証方法は残念ながら、ウィキペディアのルールでは「検証不可能」です。それはもう「独自研究は載せない」と言うものでして、ウィキペディアでは御法度なのです。昔、ある建物の前に立っているオブジェについて「見に来ればわかるので検証可能」などと仰っていた方がいらっしゃいましたが、どちらもNGです。ただし、小野田様が権威のありそうな所にコラムを寄稿なされるなりなんなりで、そのご研究が「権威と信頼がありそうだ」と世に認められた後であれば、また情勢も変わって参ります。
以上につきまして不満な向きにはひとつ、Wikipedia:井戸端ないしはWikipedia:コメント依頼などで、他の方のご意見も伺うことができますが・・・残念ながら、全ての方が同じ事をおっしゃるでしょう。また、実は、芸能人記事などでテレビを出典となされている箇所は、まあ例外はあるのかもしれませんが、DVDなどで「検証可能」でないものについては、およそ全ての箇所は検証不可能として除去されるべきです。。また、昔の、ウィキペディアがまだ牧歌的だった時代に作られた記事、例えばクイズダービーなども、恐ろしいまでの力作ですが、いつかどうにかせねばなりません。ただしやはりDVDが公式に発売されているのであれば、それで検証可能な部分に関しては問題はありませんが。まあ、話を戻しまして。この作業が行なわれていないのは、単純にマンパワーによります(今まさにこうしております通り、各所で方針のご説明と説得を重ねねばならず、困ったことに記事数の増加に改善がおいついておりません)。一応私個人が手の届く範囲で、と言うことで例えばさまぁ〜ずなどではかなり、手を入れさせて頂いております。また、マンパワーが限られております故にどうしても優先度としては、ハイカルチャーに目がいき、芸能人などは後回しになってしまうため、芸能人記事等はやや野放しに見えるのでしょう。ウィキペディアは基本的に、誰でも検証可能な二次資料文献を集めて構築される百科事典です。こう・・・なんと申しますか、このサイトはそういうルールで回っているのです。wikiサイトはひとつではありませんし、私なども色々なモノ、特にゲーム関係のものを書くのが好きで色々書いているのですが、ウィキペディアは以上の如く制約がきつく、実はウィキペディア以外のwikiで書いているものの方が分量が多かったりします^^;。要は使い分けと言った所で、ウィキペディアではちょっとこれは、受け付けられないものです。どうかご理解を賜ります様、お願い申し上げます。--Hman 2011年9月25日 (日) 16:18 (UTC)[返信]
追伸・・・と申しますか、改めまして。番組名はご記憶ではないのですか?番組名さえ解れば、なんらかの形で内容に盛り込むことも可能かもしれません。--Hman 2011年9月25日 (日) 16:26 (UTC)[返信]
全く理解できません。この世の中で、いつまでDVDやBlu-Rayなどという物質媒体での配布が続くとお考えですか?電子書籍や電子新聞同様、かつてのレコードがCD普及で廃れたように、もはや紙媒体・プラスティック媒体では提供されない著作物はどんどん増えていきます。私の所属する地震学会でも徐々に紙媒体での発表は減り続け、他国の論文などは電子論文での配信が増えてきています。物質媒体にこだわった検証可能性を言い続ける限り、電子ツールでしか得られない「Wikiにおける検証不可能」なる滑稽な規定に引っかかって最新の知見が反映したくても反映できない結果になるのが分かりませんか?それに番組名をということですが、番組名まではメモしておりません。NHK総合テレビの放送であり、日付と放送時間を明示してあれば(私は明示しましたが理不尽に削除されて見れなくなった)、「それをNHKに調査することが可能な権限を持つ人」ならば、もしくはNHKの好意があれば一般人でも情報入手は可能でしょう。それはそのきっかけとなる「出典」が明示されていてあればこその追加研究となるものであり、出典を消し続けて再検証のチャンスを奪うことばかりに熱を上げているのでは得られないことです。それに「権威ある」という冠の「権威」とはどこが認定するのですか?「原発安全神話」は日本原子力学会という「権威」が長年言い続けてきたことでしたね。そういう権威の実体は、国家と言う権力から予算配分を優先的に得られるという政治背景の上に成り立っていたりするものです。当該番組が重要な資料性を持っている理由は、現実にその時代を知っている女性が、自らの経験を、カメラの前で顔出し名前出しで自らの言葉(声)でインタビューに答えて証言しているということです。これは紙媒体では得られない記録方法で歴史に事実を刻んだ記録であり、このように粗雑に「削除処分」するのでは永遠にその女性たちの証言の重さはwikiには活かされないことでしょう。将来、太陽の寿命が尽きて膨張した太陽に地球が焼きつくされる時、電子情報として宇宙のどこかに記録を運び出して文明を継承させるという必要性に迫られても、持ち出しようのない「wiki公認の物質媒体」にこだわっていれば、地球と一緒にwikiも滅亡することでしょうね。--おやんず 2011年9月27日 (火) 23:26 (UTC)[返信]
まあ2011年現在はこのルールで回ってる、ということです。50年後には情勢に合わせて多少それも変わっているでしょうが。もしなんらかの構造的改革があり、NHKが公共放送である故に番組のアーカイヴを広く無料で公開する、というかたちになれば問題は無いのでしょうし。いずれにしても、ウィキペディアはただの民間のいちサイトであり、そこまでウィキペディアにこだわる必要もないんですよ。繰り返しますが他にいくらでもwikiはあります。どうしてもと言うのであれば井戸端で、「テレビ放送は著しく検証困難であるが全く検証不可能であるとも言えないからDVDなどが発売されていなくても出典として認めるべきだ」と提案した上で方針文書を書き換えることも不可能ではありませんが、ウィキペディアの方針は根っこの所では、全言語版共通となっており、日本語版だけ勝手をするわけにもいかないんですよ。再検証を行なってくださる様な方はこのノートにも目を通されているでしょうから、実質上問題もないですし。もし入れ込むにしても番組名が解らないのではアレですし。勘弁して下さい・・・。--Hman 2011年9月28日 (水) 02:31 (UTC)[返信]
あっと、もうひとつ。私を説得してもルールは変わらないんですよ。ただのいちユーザーですから。ただし、ルールを変えようとする方向にお時間を使われることも、恐らく、あまり有益ではありません(リターンは得られないでしょう)。と言った次第で今回はご納得ください。以上です。--Hman 2011年9月28日 (水) 02:35 (UTC)[返信]
番組名が分からないなら、東京なら国会図書館、岩手県なら岩手県立図書館で、当日の日付の岩手日報から当該時間のラテ欄を閲覧すればすぐ分かることでしょ。遠隔地の私にはすぐにはかなわない作業だが、そのどちらかに近い人間ならすぐできること。検証不可能なんてことにはならない。日付と時間を特定しているのだから。--おやんず 2011年9月29日 (木) 15:42 (UTC)[返信]
ええと・・・勘弁して下さい。出典を示す義務は掲載を求める側にあるのです。せめて、調べてから書いて下さい。どうしても納得できないと仰るなら、繰り返しになりますが、Wikipedia:井戸端か、Wikipedia:コメント依頼などで、コミュニティの見解を伺ってみて下さい(お勧めはしませんが)。そもそも、番組名が解っても内容は検証不能なので出典としては使えず、関連情報に入れ込める程度です(これも繰り返しですね)。大体、私一人を今言い負かしてみたところで、仕方ないのですよ。方針違反はそのままなので、後日他の方に除去されるだけですし・・・。貴殿の論が通るなら、「○年○月○日にNHKで放送していた」と主張するだけで何でも書き放題と言うことになります。中国人の小学生からオーストラリアの老婦人まで、不特定多数が参加するウィキペディアで、その様なことは許されませんことをご理解ください。--Hman 2011年9月29日 (木) 16:16 (UTC)[返信]
嘘でも何でも出典も無く書き放題なのは以前からwikiの悪しき伝統。管理者の偏った判定で、正しい主張のほうに無理難題な出典の明記を求めて嘘の方の記述を残す歴史は、最初に私がこの「夜這い」の項目で文章を削除された時から相変わらず。嘘の記述に対して出典を求めない不公平について苦情を書くと書き込み禁止処分で制裁を加える。「新聞のラテ欄」は私でなくとも検証可能。もう何年も前から「夜這いは西日本だけの風習ではない」と私は出典を明らかにして書いてきた。その都度、即削除。今では最新の知見とか、誰かの死亡日時は、実際はテレビ報道や電子ニュース、電子論文で配信された時点でここに掲載になっているのに、「テレビが出典である」ということだけが出典の基準から排除。論理的に矛盾してるよ。--おやんず 2011年9月29日 (木) 18:37 (UTC)[返信]
まあそういうルールですので諦めて下さい。以上です。ウィキペディアって、公器ではないのですよ(貴殿の個人運営サイトが政治家や官憲の圧力でツブされたとかなら、これは由々しき自体ですが)。ただの民間サイトです。で、参加している連中は、そのルールに則って楽しくやっている訳です。そっとしておいてあげてください。--Hman 2011年9月29日 (木) 19:08 (UTC)[返信]
例えば福島県浪江町の記述の中には、鉄腕DASH村という番組で放送された云々なる記述が堂々と書かれている一方で、ここに於いてだけ何故に「番組で放送された」という事実(決して「放送されたから真実」と主張しているのではなく、「放送されたという事実」を書き記しただけ)が徹底的に削除されなければならないのか、ルールが統一されているとはとても思えない。楽しくやってるのは、あなたが管理者として絶大な権限を持っているから楽しいだけで、あなたの意にそぐわない人間もいる。ここではどちらも本来平等な参加者であるのだよ。--おやんず 2011年10月3日 (月) 01:54 (UTC)[返信]

そちらの記述の除去については、このノートではなく、そちらのノートでやってください。議場違いですよ。--Hman 2011年10月3日 (月) 03:07 (UTC)[返信]

出典の信頼性についてやたら高飛車な言い方で「Wikipedia:井戸端を見ろ」的いいがかりしているけど、https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E4%BA%95%E6%88%B8%E7%AB%AF/subj/%E5%87%BA%E5%85%B8%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6
を見てみたら、結局「Hmanの一方的処分は的外れ」的展開で議論が終わっている。NHKという信頼性の高い媒体で、放送日時、放送局等しっかり記載した私の出典は「単にテレビで観た」だけではない(つまりwikiのルールに反した独自研究ではない)と言う事ができるとしか捉えようが無い。
私を説得してもルールは変わらない」とHmanは言っているけど、結局「Hmanを説得するまでもなく、ルールは小野田の主張通りである」という結果ではないか?井戸端会議を読む限りそうとしか書いていない。実際、私がここに編集をした経緯は「夜這いが西日本だけに限られた風習」という記述に東日本出身者として信頼できるNHKの番組で歴史に残る証言者(顔出し、名前出し)の言葉が放映されたことを出して従来の記述の正確性に異議を申し立てたもの。結果的に現在の記述からは西日本に限るという記述は消えている。今の時代、主要局ではオンデマンド放送もかなり充実してきており、例え一般家庭の録画に残って無くても数十年前の番組でも遡り視聴可能な番組は少なからず存在する。「テレビは一過性で記録に残らない」と言い切れない状況。これでも尚、単にテレビが媒体であるからとか、印刷媒体でなきゃ駄目とか杓子定規な対応を続ける意味はあるのか?--おやんず会話2014年9月23日 (火) 08:48 (UTC)[返信]
単純に「オンデマンド放送でくだんの番組が現在視聴でき、恐らく今後も長期間に渡って視聴できる」ことを担保できるなら、それで済むまでの話です。ただし、検証可能である情報=残して良い事象、ではありませんので念のため。検証可能と言うのは、第一段階をクリアしたまでにすぎず、言わば必要条件であり十分条件ではありません。そこを間違えないように運用してください。--Hman会話2014年9月23日 (火) 09:10 (UTC)[返信]
そもそも活字媒体で査読もしっかりされているともてはやされていた朝日新聞でさえ従軍慰安婦に関わる吉田証言の誤報を訂正するまでに数十年かかり、謝罪する直前まで反論者たちに食ってかかっていた。「活字媒体だから」とか「大手マスコミだから」「査読があるから」と言ってそれで真実性が担保されるわけではないのに、Hmanは「単にテレビだから独自研究に該当する」という理由で私の補足情報を削除した。逆に私が指摘した番組は「NHK盛岡が取材したドキュメンタリー」であり、夜這いに関わる証言者自身の住む集落は映像で特定されていて、証言者の名前も顔も肉声も全て明かされたもので、「小野田の独自研究」ではない。そもそも「独自研究を載せる事を防ぐ」のが規制の趣旨にも関わらず、Hmanの目的は「テレビで観た事が独自取材だ」という彼自身の思い込みで当該補足情報を削除する正当性(そんなこと正当ではない)をあたかもwiki全体で合意されてると意味不明の強権発動をしているに過ぎない。これは決して「小野田の独自研究」ではなく、「NHK盛岡という公の機関による取材であり、その組織の正当な手続を経て検証されたドキュメンタリー番組」である。「NHK盛岡の研究」というのなら当たるだろうが、それは「小野田の独自研究」でない。私はNHK盛岡という組織の性格や実情、そして何より証言者が実在する事が充分担保される映像証拠が存在しているという事実に対して「小野田の独自研究」と決めつけるHmanの頑なな拘りの根拠がどこにも存在しないと思っている。最近のテレビドラマに関する編集も私は手がけているが、いつか元記事が消えてしまうようなネット情報でも「何年何月何日閲覧」という情報を付記して非印刷媒体以外の情報もwikiの補足情報として有効にされている現実を見ている。Hmanが自らの削除行為がどう今の時代に正当化できるのか、しっかり説明する責任があると思う。少なくとも私はHmanが本件削除行為が的外れな理由で行った歴史的過ちであると認める必要があると思う。--おやんず会話) 2014年10月26日 (日) 12:14 (UTC)(誤字訂正--おやんず会話2014年10月26日 (日) 12:16 (UTC)[返信]

論点が違います。私は「単純に「オンデマンド放送でくだんの番組が現在視聴でき、恐らく今後も長期間に渡って視聴できる」ことを担保できるなら、それで済むまでの話です。」と申し上げております。また、一般にwikipediaでは他の編集者を呼び捨てにすることは無礼な行為とされています。この様なことは慎まれる様、強く勧告致します。あと、ネット文献とテレビ放送を混同しないでください。以上です。--Hman会話2014年10月26日 (日) 12:35 (UTC)[返信]

違いません。そもそもしっかり論議しようとした私にあなたは「大体、私一人を今言い負かしてみたところで、仕方ないのですよ。方針違反はそのままなので、後日他の方に除去されるだけですし・・・。貴殿の論が通るなら、「○年○月○日にNHKで放送していた」と主張するだけで何でも書き放題と言うことになります。」と書いて、まるであなた自身がwikiの統一見解の番人であって論議しても意味無い、どんなにここで議論してもあなたが削除処分した結果が変わる事はないと、「問答無用」のような無礼を働いたではないですか。wikiの禁止しているのは「独自研究は載せない」であって、「テレビで放送された事は独自研究だ」という内容はどこにも書いてない。しかしあなたは両者をごっちゃにしたままあなただけの論理が正論であるかのように自画自賛して権力を振り回しているだけです。現実問題として当初「夜這いの風習は西日本だけにあった」という記述だったここの記述は今は消えています。もっと前の議論でそもそも何が発端であったか読み直してみるべきです。ネット文献とテレビ放送を混同するなとあなたは言ったけど、むしろどの出典であっても統一基準を示すのが管理者側の責任ですよ。自らの責任(単に「テレビ放送が出典であった」だけの理由で削除したことの是非に関する説明責任)を放棄して段々目先の言い方を変遷しているのはあなたの側です。--おやんず会話2014年10月26日 (日) 23:20 (UTC)[返信]
繰り返しになるかもしれませんがwikipedia:信頼できる情報源をご熟読覧下さい。テレビ放送は原則として出典にはなりません。ルールは守りましょう。--Hman会話2014年10月26日 (日) 23:40 (UTC)[返信]
コメント 素朴な意見なのですが、テレビ以外で出典を探されてみてはいかがでしょうか。夜這いに関する民俗学的な研究も数多くありますし、年単位で押し問答を続けるよりは手っ取り早いと思います。あと余談ですが、昔は映像記録用のテープが高価で使いまわしていたこともあって、テレビ局側にすら映像が残っていないこともありえます(もちろん、放送局以外に図書館など公的な機関がアーカイブを行なっていることもありますので、そのようなものの存在を示した上でなら出典採用の余地もあります)。とにかく、それなりの労力をかけてください。--Jkr2255 2014年10月27日 (月) 03:42 (UTC)[返信]
私は項目記事に直接編集合戦で応ずる事無く、こうして「ノート」で議論した上での合意を目指しているにも関わらず、短期ブロックを目的としてHman が管理者用投稿エリアに敵対的提案を出した事を「卑怯なやりかた」として強く批判します。https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E7%AE%A1%E7%90%86%E8%80%85%E4%BC%9D%E8%A8%80%E6%9D%BF/%E6%8A%95%E7%A8%BF%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF#2014.E5.B9.B410.E6.9C.8821.E6.97.A5_-_31.E6.97.A5.E6.96.B0.E8.A6.8F.E5.A0.B1.E5.91.8A

前回の書き込みで「あなた」と呼び変えて名指しを避けた私の配慮も踏みにじる暴挙です。一週間反論が無ければ反論無しとみなすという基準を使おうとしていますが、私は生活上紆余曲折あって朝4時起きでダブルワークして夜9時ぐらいまで工場内作業でスマホも持込禁止のネットにアクセス出来ない生活を平日に強いられている身の上。決して延々と堂々巡りをするストーカーではなく、「時間が限られていてHmanの指摘した議論用ページにアクセスするのに数年かかった、そしてそれを何とか読んだ上で、Hmanの指摘した箇所にHmanの主張と食い違うところ(私の主張に沿った結論)があったから、再度「議論」を求めたものです。何故にHman以外がこの議論に加わらないのか疑問です。ここは「ノート」であって、私が議論提起することは「項目の記事そのものを編集する行為」とは全く別物です。私に対して「節度をわきまえない」と批判しておいて、「あなた」と呼び変えればブロック処分せよと強権を振りかざす。そういうHmanだけがここを支配する行為こそここで礼節をわきまえない行為ではないですか?管理者として常時ネットにアクセスできる環境にいる人間だけの論理を逆の立場の生活弱者排除に使うのは特権階級たるHmanの暴挙であると思うし、それを管理者が支持する行為に出るのであれば、私が他の項目で積み重ねてきた編集行為での実績を踏みにじる暴挙であると思います。--おやんず会話2014年11月1日 (土) 03:20 (UTC)[返信]

問題は出典が有効か無効かであり、無効と結論が出ているのですから、これ以上申し上げることはありません。無効な出典に基づいた加筆を行わない事だけ、厳しく申し伝えておきます。以上です。--Hman会話2014年11月1日 (土) 12:45 (UTC)[返信]
もう一度書き記すけど→「:出典の信頼性についてやたら高飛車な言い方で「Wikipedia:井戸端を見ろ」的いいがかりしているけど、https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E4%BA%95%E6%88%B8%E7%AB%AF/subj/%E5%87%BA%E5%85%B8%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6 を見てみたら、結局「Hmanの一方的処分は的外れ」的展開で議論が終わっている。」と9月に既に書きましたよね?この議論の結論が見えませんか?「一週間以上反論がない場合合意されたと見なす」という文言を適用するというなら、この井戸端会議で決まった合意にHmanは従うべきですよね?私をブロック処分せよという脅しで黙らせるしか私の指摘から逃げる方法がないというのがHmanの管理のやりかた?ずいぶん卑怯ですね。「編集合戦が起こるおそれ」?はぁ?私がいつ「項目本文への再編集」をやりましたか?ここは議論の場である「ノート」でしょう?ここに書いて広範な議論を求めている行為は編集合戦とは全く無縁のはず。何故私を編集合戦するという嘘出鱈目ないいがかりをするのか?他人を侮辱する言葉で議論を逸らして本筋の議論から逃げてるだけでしょ。名指しは違反というから「あなた」と書き換えた私に対して「編集合戦する恐れ」という何の根拠も無い言いがかりしてブロック申請して私を議論の場から外すことの卑怯さについて一言も謝罪やブロック申請取消をしてないですよね?--おやんず会話2014年11月1日 (土) 16:13 (UTC)[返信]
追記しますが、この「井戸端会議」の結論を引用すると「個別の法律がないのに、個別の解釈だけは皆さんある程度一致していて、テレビはだめ、って言われている感じなんです。それで、ここに書いてあるよって言う場所をみると「憲法」があるって感じです。どこにもテレビはだめとは書いてないんです。」とあります。--おやんず会話2014年11月1日 (土) 16:35 (UTC)[返信]

何度も書いていますがwikipedia:信頼できる情報源に従って下さい。これ以上私からあなたにレスを行う事は、ありません。あなたが不適切な編集作業を行った現場を発見致しましたら、直ちに必要な措置を執ります。これは警告と取って頂いて構いません。ごきげんよう。--Hman会話2014年11月1日 (土) 23:23 (UTC)[返信]

Wikipedia:井戸端を見ろ」と言ったくせに、いざそれで矛盾を指摘されると頬かむりで「措置を執る」と脅す。これって「議論」ではなく「恫喝」ですよね。「Wikipedia:井戸端を見ろ」に関する私の見つけた「結論」について他の管理者からのコメントは全くありませんし、Hmanの一人相撲なのでは?私は元々Hmanだけを相手にしてる訳で無く、「広く議論したい」と思って書き続けてますが、ここでしっかり応対出来る(応対する気概のある)管理者はいないってことでは?Hmanの提起したブロック申請にどれだけの賛同票があったのでしょうか。--おやんず会話2014年11月2日 (日) 01:05 (UTC)[返信]
コメント 出典を記載する責任は、記述をしたい側にあります。放送を出典としたい場合、「本当にその内容が放送された」ことを、市販の映像作品になっている、放送局や図書館などのアーカイブに所蔵されているなど、誰もができうる形で(「自分でビデオ記録してある」のようなものはアウトです)証明する必要があります。「放送局にある『はず』」ではもちろん確認不能ですし、ましてや番組名すらわからないのでは、第三者にしてみればお手上げです。そして、自分自身にも言えることではありますが、人間の記憶なんてあやふやなものです。「ご自身で放送内容を再確認した上で、記載する」くらいの行動が適切です(ここまでやることを考えれば、公刊された書籍・論説などを探すほうが早いかもしれません)。--Jkr2255 2014年11月2日 (日) 01:44 (UTC)[返信]
やっとHman以外の管理者の方が参加されたことを歓迎します。人間の記憶があやふやなことは当然に了解しています。私は記憶ではなく「記録」に基づいて記載しました。当該放送の真っ只中に時計を確認して二度とも自分のメモ帳に放送時刻をペンで記録したので、これに限っては「記録」です。放送が最初は岩手県だけの放送、後日東北六県のエリアの放送と、たまたま岩手に私がいたことでどちらの時間も「記録」出来たのです。普段私の居住する静岡県富士宮市からほとんど出ることがかなわない環境故、岩手県に出かけて県立図書館等で過去のラテ欄チェックが出来れば番組名もしっかり特定出来るのですが、私自身の手でそれを今この瞬間には出来ないのです。いずれ私が今抱えている懸案を解決できれば(300万円の負債を返還しおえれば自由になります)私自身で「番組の特定」は解決できるでしょう。問題は、Hman自身が私に対して「テレビ番組は出典に使えない」「井戸端会議にそう書いてあるからその議論を見ろ」と通告しておきながら、いざ当該会議を勉強した上でHmanの指摘と真逆な結論が出ているから、その部分をしっかりHmanが認識して管理業務をしなければ、たとえ私が(おそらく6~7年後)自由の身になってもHmanの独断での削除がされて不毛な争いになるだろうということです。私は本文中で合意無く実行して不当なブロックなど受けたくありません。だからこうしてノートで広く議論して事前に合意できるはずの部分はクリアしておきたいのです。--おやんず会話2014年11月2日 (日) 02:14 (UTC)[返信]
トップに断り書きが追加されたようだけど、「善意を前提にしよう」って言いながら悪意のない相手を「ブロックしろ」と管理者が恫喝するし、それはまさに「個人攻撃」だし、「解決の方法を探ろう」ということで井戸端会議の結論を探し出してきてこれを踏まえた管理者の見解を求めようとすると見解表明を全く拒絶して解決の方法を見つける努力をしようとしないし、誰に見せるためにその断り書きを掲示したのかね。--おやんず会話2014年11月2日 (日) 08:42 (UTC)[返信]

私は善意の第三者たる管理者に対して疑問を呈しているだけにも関わらずHmanは「ノートページ冒頭に注意書きを加えた全くの善意の第三者に対し、恫喝を行っています」と嘘の報告をあげて私に濡れ衣を着せようと必死。私が善意の第三者たる人間と会話することさえ「恫喝」と呼ぶのですか。それこそHmanによる個人攻撃・謀略以外の何物でも無い。私が敵視しているのはHman以外に現時点でありませんHmanだけが私へ誠意有る「議論」に応じない、何が何でも私にブロック処分をしようと画策し続ける存在なのです。例え私の議論提起に異論が他の管理者からあっても私は「やっとHman以外の管理者の方が参加されたことを歓迎します。」と歓迎していますよね。なんでそれほどWikipedia全体の合意があるというのなら、Hman以外の管理者達がもっと積極的にHmanの代わりにここで応対しないのでしょうか。それはHmanの大人げない管理方法に少なくとも周りの管理者の方々も気付いているのでしょう。「この議論の決着はただ一つ。Hmanが自ら提示した井戸端会議の記述と自らの主張との矛盾を説明する事」に外なりません。矛盾を放置している限り、私は問いかけを続けます。決して他の管理者に「恫喝」などしていません。項目本文の内容についての議論ではなく、問答無用でテレビ番組の出典は無効と決めつけて行動するHmanの管理方針に公的見解が示される事を求めているだけです。それさえはっきり矛盾無く語りあって合意を得る努力をしませんか?Hman以外の皆さんが「どう合意形成の努力をしていただけるか」がポイントなのです。私への敵意と議論への不誠実で不毛な対応、そしてブロック要請の取り下げで、敵対行為を終わらせ謝罪してくれれば、私がHmanをさん付けして呼ぶことも当然に行います。--おやんず会話2014年11月2日 (日) 11:18 (UTC)[返信]

コメント 一通りこれまでの流れを拝読しました。同じ質問の繰り返しになり申し訳ないのですが、おやんずさんに改めて確認したいことが2点ございます。まず1点目、おやんずさんが出典と主張されている番組は、誰でも確認できる状態にあるのでしょうか。私は岩手に住んでいないので、おやんずさんが仰る番組の検証ができません。たとえばNHKオンデマンドなどのアーカイブで公開されている、DVDなどの電磁的記録媒体で販売されているなど、誰でも検証できる状態で、初めて検証可能性を満たしているといえますが、おやんずさんが主張する出典は、それらに該当するのでしょうか。これまでの流れを確認しましたが、「日本国民の代表なら確認することは可能です」「多数の目撃者が存在した」など、誰でも検証できるという条件に該当していないと思います。2点目に、おやんずさんは出典としてテレビ番組のみをずっと主張されていますが、書籍など他の媒体での出典はないのでしょうか。特に書籍であれば、高確率でどこかの図書館に蔵書がありますので、岩手に住んでいない私でも検証ができます。
それから、意図的に対話の相手に対して敬称を使用せず呼び捨てにする行為はWikipedia:礼儀を忘れないに反するうえに、おやんずさんの心証を悪化させるだけですので、直ちに中止された方がよいかと思います。「ブロック要請の取り下げで、敵対行為を終わらせ謝罪してくれれば、私がHmanをさん付けして呼ぶことも当然に行います。」といった条件を提示していること自体が、おやんずさんが冷静さを欠いている証左であり、多くの方から正常な議論ができていないとみなされる恐れがございます。おやんずさんは、もはや議論の妥結よりHmanさんをやり込めることで頭がいっぱいに見えますし、クールダウンや各種方針の熟度期間を理由とした短期ブロックをいつ受けてもおかしくない状態だと思います。--Nanafa会話2015年2月23日 (月) 02:41 (UTC)[返信]
利用者:Oyanzさんがしている勘違いは初心者さんが陥り易い間違いであるわけです。利用者:Oyanzさんには私からも検証可能性信頼できる情報源#独立した二次資料とは?の案内をしてきました。利用者:Oyanzさんは方針やガイドラインをよくお読みください。これ以上、強制的に方針の黙読期間を設定されないようにお願いします。--ぱたごん会話2015年2月27日 (金) 12:23 (UTC)[返信]

報告 Wikipedia:コメント依頼#議_2015年2月にて、コメント依頼を提出しました。--Nanafa会話2015年2月23日 (月) 02:52 (UTC)[返信]

コメント依頼から。「日本国民の代表」でなくとも、一般市民が当該番組を見て確認する具体的手段を記述できますか?例:版番54637781脚注17、版番54499971脚注9、版番54584754脚注6。--ジャコウネズミ会話 | 投稿記録2015年3月7日 (土) 00:00 (UTC)[返信]

コメント検証が著しく困難なので推奨はされないでしょう。wikipedia以外の百科事典や論文でテレビ番組の内容を出典にしてるのみたことないですし。--世界一固い下痢会話2015年3月24日 (火) 12:12 (UTC)[返信]