六歌仙
六歌仙(ろっかせん)は、『古今和歌集』の序文のひとつ「仮名序」において、紀貫之が「近き世にその名きこえたる人」として挙げた6人の歌人の総称。ただし「六歌仙」という名称そのものは後代になって付けられたものである。
その当時すでに歌人として名の通った歌人を紀貫之が列挙したものであり、それぞれの歌風に共通性や類似が見られるわけではない。
なお今日の国文学では『古今集』を収録歌の詠まれた年代に応じて3期に分類しているが、その際にはそれぞれの時代を古い方から順に「詠人しらず時代」「六歌仙時代」「撰者時代」と呼んでいる。
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原文 [編集]
以下は『古今集』の「仮名序」で「六歌仙」について触れた部分。
こゝにいにしへのことをもうたの心をもしれる人わつかにひとりふたり也き しかあれとこれかれえたるところえぬところたかひになむある かの御時よりこのかた年はももとせあまり世はとつきになむなりにける いにしへの事をもうたをもしれる人よむ人おほからす いまこのことをいふにつかさくらゐたかき人をはたやすきやうなれはいれす
(ここに、古のことをも、歌の心をも知れる人、わづかに一人二人也き。然あれど、これかれ、得たる所、得ぬ所、たがひになんある。彼の御時よりこの方、年は百年あまり、世は十継になんなりにける。古の事をも歌をも、知れる人よむ人、多からず。今この事を言うに、官位高き人をば、容易きようなれば入れず。)
そのほかにちかき世にその名きこえたる人はすなはち僧正遍昭はうたのさまはえたれともまことすくなし たとへはゑにかけるをうなを見ていたつらに心をうこかすかことし
(その他に、近き世にその名聞こえたる人は、すなわち、僧正遍照は、歌のさまは得たれども、誠すくなし。例えば、絵にかける女を見て、いたづらに心を動かすがごとし。)
ありはらのなりひらはその心あまりてことはたらす しほめる花のいろなくてにほひのこれるかことし
(在原業平は、その心余りて言葉足らず。萎める花の、色無くて臭い残れるがごとし。)
ふんやのやすひてはことははたくみにてそのさま身におはす いははあき人のよききぬきたらむかことし
(文屋康秀は、言葉は巧みにて、そのさま身におわず。言わば、商人のよき衣きたらんがごとし。)
宇治山のそうきせんはことはかすかにしてはしめをはりたしかならす いはは秋の月を見るにあかつきのくもにあへるかことし
(宇治山の僧喜撰は、言葉かすかにして、初め終りたしかならず。言わば、秋の月を見るに、暁の雲にあえるがごとし。)
をののこまちはいにしへのそとほりひめの流なり あはれなるやうにてつよからす いははよきをうなのなやめる所あるににたり つよからぬはをうなのうたなれはなるへし
(小野小町は、古の衣通姫の流なり。哀れなるようにて、強からず。言わば、良き女の悩める所あるに似たり。強からぬは、女の歌なればなるべし。)
おほとものくろぬしはそのさまいやし いははたききおへる山人の花のかけにやすめるかことし
(大伴黒主は、そのさまいやし。言わば、薪負える山人の、花のかげに休めるがごとし。)
このほかの人々その名きこゆる野辺におふるかつらのはひひろここりはやしにしけきこのはのことくにおほかれとうたとのみ思ひてそのさましらぬなるへし
(この他の人々、その名聞こゆる、野辺に生うる葛の、這ひ広ごり、林に繁き木の葉の如くに多かれど、歌とのみ思ひて、その様知らぬなるべし。)— 『古今和歌集』仮名序
解説 [編集]
仮名序は、柿本人麻呂と山部赤人を「歌聖」として特別扱いし、それに対して六歌仙はそのふたりには遠く及ばないとして、あまり良い評価をしていない。しかしその後にすぐ六歌仙以外の歌人は評価にすら値しないとしているため、相対的に6人を高く評価していることになる。
また六歌仙と同時代に活躍し、勅撰和歌集にも数多くの歌が採られている小野篁や在原行平といった歌人については仮名序にまったく言及がない。喜撰法師の歌は今日まで二首しか伝わっていないことを考えると、六歌仙は必ずしも歌の多さや知名度で選ばれたものとは言えず、紀貫之がどういった基準をもってこの6人を選んだのかは判然としない[1]。
転用 [編集]
女1人男5人の集団を俗に「六歌仙」という。最も有名なのは二代目松林伯圓の講談や黙阿弥の歌舞伎によって知られる『天保六花撰』。