倉橋惣三
倉橋惣三(くらはし そうぞう 1882年12月28日 - 1955年4月21日)は、日本の児童心理学者。
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[編集] 来歴・人物
明治15年(1882)12月28日に父親・政直と母親である「とく」の間に長男として生まれる。場所はとくの実家であった静岡県鷹匠町であった。やがて、明治22年(1889)に岡山内山下(うちさんげ)小学校に入学する。 明治25年(1892)、惣三が小学4年生の時、父親は息子を東京の学校で勉強させたいと思い、母親と惣三の二人のみを上京させて浅草の花川戸にある浅草小学校へ転校させる。しかし、父・政直は静岡の裁判所に努めて仕送りをする生活を送っていた。そのため、決して生活には余裕があるという訳ではなかったという記述も残されている。 しかし、これには、実は父親の「人に劣ることが嫌い」という性格が原因でもあったといわれている。そのため、家庭生活は派手であったようだ。 明治33年(1900)、惣三は東京府尋常中学校(後の東京府立一中)を卒業し、一高に入学して寄宿舎西寮一番室の住人となった。 しかし惣三は一高寮にいながらも武道や野球をしたりはせず、暇があれば東京女子師範学校付属幼稚園(後のお茶の水幼稚園)に通って子どもたちと遊ぶことをとても楽しみにしている青年であった。彼自身も書籍の中で、「彼の子どもずきは前からのことで、東京府立一中の四年生頃から、その当時創刊間もなかった『児童研究』を、よく分かりもしないのに月々購読して喜んでいた。」と記している。 これらの経緯を経て、1906年、東京帝国大学文科大学哲学科卒業。帝大大学院児童心理学修了。
1913年、東京女子高等師範学校講師を経て、1917年には教授就任。東京女高師附属幼稚園の主事を長年務め、形式化した明治以来のフレーベル主義を改革、幼児教育の発展に尽くした。戦後、教育刷新委員会委員を経て、保育学会を創設した。
*墓所の句碑には「自ら育つものを育たせようとする心 それが育ての心である 世の中にこんな楽しい心があろうか」と刻まれている。
[編集] 主要な著作
- 『幼稚園雑草』
- 『育ての心』
- 『幼稚園保育法真諦』