仙厓義梵
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| 仙厓義梵 | |
|---|---|
| 1750年 - 1837年 | |
| 生地 | 美濃国 |
| 没地 | 下総国匝瑳郡福聚寺 |
| 宗派 | 臨済宗 |
| 寺院 | 聖福寺 |
| 師 | 月船禅彗 |
仙厓義梵(せんがい ぎぼん、寛延3年(1750年) - 天保8年(1837年))は江戸時代の臨済宗古月派の禅僧、画家。禅味溢れる絵画で知られる。
美濃国武儀郡で生まれ、月船禅彗に師事。博多の聖福寺の住持を二十年務め、多くの洒脱・飄逸な絵画(禅画)を残す。東京の出光美術館は仙厓の絵のコレクションで知られている。
[編集] エピソード
仙厓はその奔放な生き方をもって知られており、狂歌も多く詠んだ。有名なものとしては、美濃国において新任の家老が悪政を行ったことに対して「よかろうと思う家老は悪かろう もとの家老がやはりよかろう」という狂歌を詠んだ。後に美濃国を追放された際には美濃国と蓑を掛詞とし「から傘を広げてみれば天が下 たとえ降るとも蓑は頼まじ」とうたった。
また、絵を依頼に来る者が後を絶たないことについても、自分の家をトイレになぞらえる狂歌を残している。その心は、誰もが来ては紙を置いていくということである。(「うらめしやわがかくれ家は雪隠か 来る人ごとに紙おいてゆく」)
辞世の言葉は「死にとうない」だという逸話がある。
[編集] 参考文献
森本哲郎『この言葉!』、PHP新書、2000年、72-74ページ。

