今田竜二

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今田 竜二
Ryuji Imada
基本情報
国籍 日本
生年月日 1976年10月19日(32歳)
出身地 広島県三原市
利き手
経歴 ジョージア大学中退
成績
2009年2月23日現在

今田 竜二(いまだ りゅうじ、1976年10月19日 - )は、広島県三原市出身のプロゴルファー

目次

[編集] 略歴

[編集] アマチュア時代

7歳からゴルフを始め、14歳の時、ゴルフ留学のため単身アメリカフロリダ州タンパに渡った。15歳でアメリカのジュニア・トーナメントに初優勝を記録し、「ロレックス・ジュニア年間最優秀選手賞」を受賞。全米アマチュアランキングでタイガー・ウッズに次ぐ2位になったこともある。ジョージア大学を2年で中退した後、1999年にプロ入りした。

[編集] プロ転向後

今田はプロ転向後、PGAツアーの下部組織、ネーションワイド・ツアー(当時の名称は「バイドットコム・ツアー」(BUY.COM TOUR)に参戦を開始する。この年に「バージニア・ビーチ・オープン」で初優勝を挙げた。しかしこの後、レギュラー・ツアーの「クオリファイイング・スクール」(通称 Q-School)の通過に失敗が続く。2002年に2軍組織の名称は「バイドットコム・ツアー」から「ネーションワイド・ツアー」に変更される。2004年、今田はネーションワイド・ツアーの「BMWチャリティープロアマ At The Cliffs」(サウスカロライナ州開催)で優勝し、賞金ランキング3位に入った。以前は2軍(バイドットコム・ツアー → ネーションワイド・ツアー)からレギュラー・ツアーへの昇格条件は年間賞金ランキング「15位以内」であったが、2004年度から「20位以内」と枠が広げられたため、この資格で今田は2005年度レギュラー・ツアーのシード権を獲得し、PGAツアーのメンバーとなった。

2005年度の今田は「ブーズアレン・クラシック」の5位入賞が自己最高成績であったが、全米オープンゴルフで15位に食い込んだ。こうして年間賞金ランキングは121位となり、2006年度もレギュラー・ツアーのシード権を維持した。なお、年間賞金ランキングを125位以内で終えることがシード権確保の条件である。

2006年度は、シード選手として丸山茂樹田中秀道とともにPGAツアーにフル参戦する。同年6月、全米オープン選手権で通算9オーバー(289ストローク)の12位と奮闘、4大メジャー大会自己最高位でフィニッシュした。優勝したジェフ・オギルビーとは4打差だった。

2007年度のAT&Tクラシックでは2日目に首位タイに躍り出ると、最終日まで首位タイを守り、同年のマスターズを制したザック・ジョンソンとのプレーオフとなったが、1ホール目の第2打を池に入れてしまい惜しくも敗れた。この年はEDSバイロンネルソン選手権でも9位に入り、年間賞金ランキングは前年の92位から65位まで上昇した。

2008年度は年明けから好調を維持しタイガー・ウッズが4連覇を果たしたビュイックインビテーショナル(Torrey Pines, San Diego, CA)でタイガーに次ぐ単独2位となった。特に最終日風と雨の天候の中、9つのバーディパットを決めスコア自体も最終日はタイガーを凌駕した。さらにポッズ選手権でも2位タイと好調を維持しており世界ゴルフ選手権CA選手権に出場し34位となる。日本ツアーへの凱旋も期待されるが、本人の最終目標はマスターズの優勝とかつて語ったことがある。

2008年5月18日、アメリカPGAツアーのAT&Tクラシック最終日、首位から3打差でスタートして激しい追い上げを見せ、ケニー・ペリーとのプレーオフに持ち込み、最初のホールで相手がボギーを叩いた後、今田は落ち着いてパーをセーブし、悲願のアメリカPGAツアー初優勝を飾った。日本人のPGAツアー優勝は青木功丸山茂樹に続いて史上3人目となった。

夏場以降は予選落ちも多く苦しんだが、フォールシリーズではターニングストーン・リゾート選手権で3位タイに食い込むなど活躍し、日本人初の獲得賞金300万ドルを達成。年間賞金ランキング13位でシーズンを終えた。11月末には谷口徹とのペアでオメガ・ミッションヒルズ・ワールドカップに初出場し、3位タイの好成績を残した。

[編集] 関連項目

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