五藤正形

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

五藤 正形(ごとう まさかた、1866年9月9日慶応2年8月1日[1][2])- 1936年昭和11年)12月17日[1])は、明治大正期の政治家貴族院多額納税者議員。土陽美術会高知支部長[3]。土佐図書倶楽部(土佐史談会の前身)創設者[3]板垣伯銅像記念碑建設同志会監事[4]勲四等士族[3]

来歴[編集]

慶応2年8月1日1866年9月9日)、土佐藩家老(5000石)・五藤正身(内蔵助くらのすけ)の長男として土佐国安芸郡土居村(現・安芸市)に生まれる。母・利喜子(福留錠之助長女)は正身の側室であったため、正形は高知城下ではなく、父の所領の土居(※土佐藩における幕府へ無届けの)で育つ[3][5]

父の正室・加賀野井多賀子(桐間成卓(主鈴)むすめ)に、子が生まれなかったことから、明治2年(1869年)3月、土佐藩家老(執政)の父[6]の招きにより、生母・利喜子と共に高知城下へ移る[3]。明治8年(1875年2月26日、父・正身が享年57歳で歿したため、同年4月17日、亡父跡目を相続した[1][2][7]。維新後は、大地主素封家として農業も営んだ[2][7]。明治16年(1883年)4月、土佐郡雑喉場深尾丹吉郎(深尾丹波)の長女・秀と婚姻[1]

明治26年(1893年高知市議会議員に当選。明治30年(1897年)まで市会議員を務め、明治30年(1897年)から明治36年(1903年)まで高知県議会議員を務めた。明治37年(1904年貴族院多額納税者議員に互選され[1]、同年9月29日に就任し[8]明治39年(1906年)9月21日まで在任した[8]日露戦争時には高知恤兵通信会長を務め[1]、明治44年(1911年)高知市参事会員となる[1]。大正4年(1915年)高知武揚協会長に就任し、私立実科高等女学校創立に私財を擲ち、経営に当たった[1]。その他、土佐貯金銀行頭取などを務める[9]。大正10年(1921年7月31日安藝喜代香の推挙により、町田旦龍、森下高茂らとともに、板垣伯銅像記念碑建設同志会の監事に就任した[4]

土佐図書倶楽部の創設[編集]

明治36年(1903年)所有する書籍数千冊を、公共の利に資するよう公開(蔵書は後に高知県立図書館に寄贈)。「土佐図書倶楽部」と名づけて毎月集会を開き、書評・研究内容をまとめて同名の雑誌を発刊した[3]。大正4年(1915年)、蔵書を高知県立図書館に寄贈。これが、明治44年(1911年)、三宅謙四郎、中城直正、武市佐市郎らによって作られた「高知県史編纂所」と融合し、大正6年(1917年)、発足したのが現在の「土佐史談会」である[10]

墓所[編集]

昭和11年(1936年12月17日逝去。享年71歳。 墓は筆山の塩屋崎側(吉田東洋墓の西方上)にある[3]

親族[編集]

  • 祖父:五藤正順(外記げき)- 土佐藩家老[3]
    • 伯父:五藤正保(かず・榮吉[3]
    • 伯母(正保妻):深尾蕃済はるなり(近江)長女・喜代子[3]
    • 父:五藤正身(内蔵助くらのすけ)- 兄・正保の養子となり家を継ぐ[3]。戊辰東征に従軍、のち土佐藩大参事。
    • 継母(正身正室):桐間成卓(主鈴)むすめ加賀野井かがのい多賀子[3]
    • 母(正身側室):福留錠之助長女・利喜子[3]
      • 本人:五藤正形
      • 妻:深尾丹吉郎[11]長女・秀(墓は安芸市の五藤家墓所にあり[3]
        • 長男:五藤正盛(早世)
        • 次男:五藤哲雄(早世)
        • 三男:五藤正雄(早世)
        • 四男:五藤正枝(早世)
        • 五男:五藤正道
        • 正道妻:福岡孝顯妹
        • 六男:五藤正敏(早世)
        • 七男:五藤正教(早世)
        • 八男:五藤正勝
        • 庶子:五藤正義
        • 庶子:五藤良政
        • 庶子:五藤豊勝
        • 長女:五藤 延(子爵岩倉具明の弟・岩倉具廣に嫁した[1]
          • 孫:岩倉具和
        • 庶子:五藤千鶴
        • 庶子:五藤藤尾
        • 庶子:五藤 鈴

補註[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i 『高知県人名事典 新版』高知新聞社、平成11年(1999年)、ISBN 4875032854、314頁
  2. ^ a b c 人事興信録 第4版』人事興信所編、人事興信所、大正4年(1915年)、こ45頁
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『土佐の墓(2)』山本泰三著、土佐史談会、昭和62年(1987年)
  4. ^ a b 『板垣退助君略傳』池田永馬編、板垣伯銅像記念碑建設同志会、大正13年(1924年)9月5日
  5. ^ 福永素久「近世土佐国安芸土居の修補と維持管理について : 「五藤家文書」を中心に」『史学論叢』第42号、別府大学史学研究会、2012年3月、34-57頁、CRID 1050564287799144448ISSN 03868923 
  6. ^ 「五藤正身」『高知県人名事典 新版』314頁。
  7. ^ a b 人事興信録 第8版』人事興信所編、人事興信所、昭和3年(1928年)、こ88頁
  8. ^ a b 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、15頁。
  9. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』199頁。
  10. ^ 第10回仁淀川流域学識者会議(現地視察)』平成31年(2019年)2月20日
  11. ^ 第八十国立銀行取締役

参考文献[編集]

  • 人事興信録 第4版』人事興信所編、人事興信所、大正4年(1915年)
  • 『板垣退助君略傳』池田永馬編、板垣伯銅像記念碑建設同志会、大正13年(1924年)9月5日
  • 人事興信録 第8版』人事興信所編、人事興信所、昭和3年(1928年)
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、昭和22年(1947年)
  • 『土佐の墓(2)』山本泰三著、土佐史談会、昭和62年(1987年)
  • 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』衆議院・参議院編、大蔵省印刷局、平成2年(1990年)
  • 『高知県人名事典 新版』高知新聞社、平成11年(1999年)、ISBN 4875032854