ヴィクトル・アバクーモフ

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ヴィクトル・セミョーノヴィチ・アバクーモフロシア語: Виктор Семёнович Абакумов英語: Viktor Semyonovich Abakumov1908年4月11日 - 1954年12月19日)は、ソビエト連邦の官僚、政治家。ソ連共産党の活動家、チェキスト。第二次世界大戦中に活動したスメルシの創設者。国家保安相。大将。

出自[編集]

釜焚き人の息子としてモスクワに生まれる。1921年~1923年、特別任務部隊の第2モスクワ旅団で衛生兵として勤務。1924年から一般労働者。1925年~1927年、モスクワ漁業協同組合の梱包工、1927年~1928年、ソ連最高国民経済会議軍事産業警備第1支隊の小銃手、1928年~1930年、中央組合の倉庫の梱包工。1930年、全連邦共産党(ボリシェヴィキ党)に入党。1930年1月~9月、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国貿易人民委員部貿易・小包行政課副課長に任命。1932年、コムソモールの仕事に移り、プレス工場のコムソモール細胞書記に任命された。1931年~1932年、ザモスクヴォレツキー地区軍事課主任。

チェキスト[編集]

1932年、統合国家政治局(OGPU)に異動。1932年~1933年、OGPUモスクワ州全権代表経済課研修員、1933年~1934年、OGPU経済局第3課作戦係。1934年、女性と会うために秘密のアパートを利用していたことが発覚し、矯正労働収容所・労働村総局に左遷、作戦課第3班作戦係。1937年~1938年、ソ連内務人民委員部(NKVD)国家保安総局第4課(秘密政治)作戦係。1938年からNKVD第1局第4課、国家保安総局第2課第2班長。1938年12月、NKVDロストフ州局長代行、1939年4月、局長として承認。ロストフ・ナ・ドヌにおいて、大粛清の組織を指導したが、その弾圧手法は苛烈さを極めた。後に副人民委員、国家保安相にまで出世しても、身体能力に優れたアバクーモフは自ら尋問(拷問)することを好んだ。

スメルシ[編集]

1941年2月からソ連副内務人民委員、1941年7月、特別課局長を兼任。特別課局は、全武装組織(赤軍、海軍、民警、国内軍、国境軍)内の国家保安機関の活動を指導していた。1943年4月19日、特別課はNKVDから分離され、国防人民委員部防諜総局(スメルシ)が創設され、アバクーモフはヨシフ・スターリン直属の副国防人民委員となった。

スメルシは、軍内の防諜に従事した外、ソ連の占領地における不穏分子の摘発にも従事した。特にアバクーモフの命令により、ブダペストにおいてスウェーデンの外交官、ラウル・ワレンバーグが逮捕された。1944年、北カフカーズ諸民族の追放の組織に参加し、クトゥーゾフ勲章と赤旗勲章を授与された。1945年1月~7月、第3白ロシア戦線NKVD全権代表を兼任。

国家保安相[編集]

1946年、ソ連最高会議代議員に選出。1946年4月、A.シャフリン、A.ノヴィコフ等、航空産業指導者が逮捕される原因となる資料を作成。1946年5月4日、フセヴォロド・メルクーロフに代わり、ソ連国家保安相に任命され、スメルシも国家保安省に編入された。1946年~1951年、全連邦共産党政治局司法問題委員会委員を兼任。1948年、スターリンの指示により、S.ミホエルスの暗殺を組織。1950年~1951年、レニングラード出身の党員が逮捕・粛清されたいわゆるレニングラード事件をでっち上げる。アバクーモフの権勢は絶大なものとなり、ラヴレンチー・ベリヤのライバルの1人とも目されるようになった。民警、刑事捜索部、武装警備のような重要部門が、徐々に内務省から国家保安省に移管された。

失脚[編集]

1951年7月、医師団事件で十分に活動しなかったことから、国家保安相を解任。アバクーモフの活動の調査のために委員会が設置され、彼の政敵であるゲオルギー・マレンコフ、ベリヤ、M.シュキリャトフ、セミョーン・イグナチェフが委員となった。1951年7月12日、国家保安省内の「シオニストの陰謀」を隠蔽した嫌疑で逮捕。取調時、アバクーモフは拷問を受け、間もなく完全な廃人となった。スターリンの死とベリヤの逮捕後も釈放されることはなく、1954年12月、ソ連最高裁判所軍事部会は、レニングラード事件を含む事件のでっち上げでアバクーモフを起訴し、彼を「ベリヤ・ギャング団の一員」と呼んだ。アバクーモフは、「スターリンが指示し、私はそれを執行しただけだ」として、無罪を主張した。裁判所は、祖国反逆、妨害活動、テロ行為の実行、反革命組織への参加で有罪と認め、死刑を言い渡した。1954年12月19日、レニングラードで処刑。

1994年、ロシア最高裁判所軍事部会は、祖国反逆の起訴内容を解除し、アバクーモフを部分的に名誉回復した。

パーソナル[編集]

赤旗勲章、一等及び二等スヴォーロフ勲章、一等クトゥーゾフ勲章、赤星勲章、モスクワ、スターリングラード、カフカーズ解放メダルを受賞。

フォクストロット(社交ダンス)、サッカーが趣味で、レストラン「アラグヴィ」からシャシリク(羊肉の串焼き)を取り寄せるのが常だった。

関連項目[編集]

先代:
フセヴォロド・メルクーロフ
ソ連国家保安相
1946年 - 1951年
次代:
セミョーン・イグナチェフ