メソロンギ

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メソロンギ
Μεσολόγγι
市内の街路
市内の街路
所在地
メソロンギの位置(ギリシャ内)
メソロンギ
メソロンギ
座標 北緯38度23分 東経21度26分 / 北緯38.383度 東経21.433度 / 38.383; 21.433座標: 北緯38度23分 東経21度26分 / 北緯38.383度 東経21.433度 / 38.383; 21.433
行政
国: ギリシャ
地方: 西ギリシャ
: エトリア=アカルナニア県
人口統計 (2011年)
ディモス
 - 人口: 34,416 人
 - 面積: 674.1 km2
 - 人口密度: 51 人/km2
旧自治体
 - 人口: 18,482 人
 - 面積: 280.2 km2
 - 人口密度: 66 人/km2
その他
標準時: EET/EEST (UTC+2/3)
標高: 9 m
公式サイト
[1]

メソロンギギリシア語: Μεσολόγγι, Mesolongi)は、ギリシャ共和国西ギリシャ地方にある都市で、その周辺地域を含む基礎自治体ディモス)。エトリア=アカルナニア県の県都で、県内で第2の人口を持つ都市である。

ギリシャ独立戦争時の故事からヒエラ・ポリス・メソロンギウ(聖なる町メソロンギ)と称される。また、ミソロンギMissolonghi)の名でも知られる。

地理[編集]

メソロンギの町は、アヘロオス川エヴィノス川の間にあり、パトラ湾に港を持っている。主な交易品は、ワインタバコなどがある。町の北東にはアラキントス山脈が走っている。

歴史[編集]

ペラデ

メソロンギの町は、ヴェネツィア人のパルタという人物が著した、レパントの海戦について書かれた文章の中で、初めて触れられる。メソロンギという名称は、おそらくイタリア語の2つの単語から来たという説が有力であり、メッツォ(mezzo)とラギ(laghi)で「湖の真ん中」、もしくはメソ(messo)とラギ(laghi)で「湖に囲まれた場所」から来たとされている。1700年まではヴェネツィア共和国がこの地を支配していたからである。当時メソロンギの住民はほとんどが漁師であり、湖底に支柱を立てた上に、防水加工が施されたで作られた、ペラデという小屋に居住していた。

メソロンギの北西には、ホメロスの叙事詩で描かれている都市である、プレウロンの遺跡(現在のアスファコヴニ)がある。プレウロンはトロイ出兵に参加し、紀元前234年にアイトーリアのデメトリオスに破壊された都市であった。かつては30の塔と7つの門を持つ城壁があったが、今でも円形劇場貯水槽の跡などが残存している。

ギリシャ独立戦争[編集]

メソロンギの包囲

1770年のオルロフの反乱では、メソロンギ艦隊は敗北し、町はオスマン帝国に占領された。また、1821年5月20日にはメソロンギがオスマン帝国に反逆し、ギリシャ独立戦争の間、町はギリシャ人反乱軍にとっての主要な要塞となった。1822年にはオスマン帝国軍に町は包囲されたが、守り切ることに成功した。しかし1825年4月15日には、30,000人を率いたレシド・メフメト・パシャと、ムハンマド・アリーの息子で10,000人を率いたイブラヒム・パシャによって2度目の包囲が開始された。1年間の包囲の末、飢餓に直面するようになったために、1826年4月10日夜にメソロンギ市民は包囲された町から脱出することを試みた。その時メソロンギ市民は10,500人であり、その中で装備した者はわずか3,500人であった。しかし計画は密告され、脱出に成功できた者はほとんどいなかった。 メソロンギ市民のこの英雄的姿勢と、その後のトルコ・エジプト連合軍によるメソロンギ市民の虐殺を考慮して、後にメソロンギの町は「ヒエラ・ポリス(聖なる町)」という名誉的な称号を授与された。

イギリスの有名な詩人で、親ギリシア的であったジョージ・ゴードン・バイロンは、ギリシャ人反乱軍を支援したが、1824年にメソロンギの地で亡くなった。現在町には、彼の心臓が収められた慰霊碑と、彼の彫像が安置されている。

現代[編集]

メソロンギ市西部の街並み

メソロンギの町は、街並みが絵のように美しいでけでなく、都市計画がされており都市機能を兼ね備えた、現代的な都市である。一方で、伝統的な建築様式で造られた、興味深い建築物もいくつか残されていて、現代ギリシャ史に関係するような人物も住んでいたことが多い。

著名な出身者[編集]

人口推移[編集]

人口(人) 増減 市人口(人) 増減
1981 11,375 - - -
1991 10,916 -459/-4.04% 16,859 -
2001 12,225 +1,309/+11.99% 17,988 +1,129/+6.70%

姉妹都市[編集]

交通[編集]

1960年代にはメソロンギ市内を通る国道5号線(欧州自動車道路E55号線)が建設された。かつては、アグリニオとを結ぶ鉄道の駅が町にあったが、1970年代に廃止された。

参考[編集]

外部リンク[編集]