マリウス・ラカトゥシュ

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マリウス・ラカトゥシュ Football pictogram.svg
Marius Lăcătus.JPG
名前
本名 マリウス・ミハイ・ラカトゥシュ
愛称 Fiara、The Beast
ラテン文字 Marius Lăcătuş
基本情報
国籍 ルーマニアの旗 ルーマニア
生年月日 1964年4月4日(50歳)
出身地 ブラショフ
身長 181 cm
体重 76 kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1981-1983
1983-1989
1990-1991
1991-1993
1993-2000
2000
ルーマニアの旗FCブラショフ
ルーマニアの旗ステアウア・ブカレスト
イタリアの旗フィオレンティーナ
スペインの旗レアル・オビエド
ルーマニアの旗ステアウア・ブカレスト
ルーマニアの旗ナシオナル・ブカレスト
45 0(5)
200 (59)
021 0(3)
051 0(7)
157 (39)
012 0(0)
代表歴
1984-1998[1] ルーマニアの旗 ルーマニア 83 (13)
監督歴
2000-2001
2001
2001-2002
2002-2003
2003
2004
2005
2006-2007
2007-2008
2009
2009-2010
2010-2011
2012
ルーマニアの旗ナシオナル・ブカレスト
パナマの旗パナマ代表 コーチ
ルーマニアの旗FCオツェルル・ガラツィ
ルーマニアの旗FCブラショフ
ルーマニアの旗ルーマニア代表 コーチ
ルーマニアの旗FCチェアラウル・ピアトラ・ネアムツ
ルーマニアの旗インテル・ガズ・ブカレスト
ルーマニアの旗UTAアラド
ルーマニアの旗ステアウア・ブカレスト
ルーマニアの旗ステアウア・ブカレスト
ルーマニアの旗FCヴァスルイ
ルーマニアの旗ステアウア・ブカレスト
ルーマニアの旗FCMトゥルグ・ムレシュ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj


マリウス・ラカトゥシュ(Marius Lăcătuş、1964年4月4日 -)は、ルーマニア出身の元サッカー選手サッカー指導者。ポジションはFW

経歴[編集]

クラブ[編集]

ラカトゥシュは1981年FCブラショフで選手経歴を開始すると、1983年ステアウア・ブカレストへ移籍。ステアウアでは1986年5月にUEFAチャンピオンズカップ 1985-86決勝でFCバルセロナをPK戦の末に下し優勝に貢献。同年12月のトヨタカップにも出場した。東欧革命後の1990年に国外へ活躍の場を求め、イタリアフィオレンティーナへ移籍、翌1991年にはスペインレアル・オビエドへ移籍した。1993年に古巣のステアウアに復帰を果たし7シーズン在籍、2000年ナシオナル・ブカレストで短期間プレーした後に現役を引退した。ラカトゥシュはルーマニアリーグ通算414試合に出場し103得点を記録、欧州サッカー連盟主催の国際大会において72試合に出場し16得点を記録した。

ルーマニア代表[編集]

ルーマニア代表としては、1990年FIFAワールドカップ・イタリア大会代表メンバーに選出。初戦のソビエト連邦戦では前半40分にスルーパスから抜け出し、セルゲイ・アレイニコフを振り切り右足のミドルシュートで先制。後半9分には巧妙なドリブル突破から相手のハンドを誘い、獲得したPKを自ら決めて2-0の勝利に貢献した。この大会では4試合に出場し同国の決勝トーナメント進出に貢献した。

1994年FIFAワールドカップ・アメリカ大会代表からは落選したが、その後は1996年UEFA欧州選手権1996と、1998年FIFAワールドカップ・フランス大会では代表に選出された。ラカトゥシュはルーマニア代表として国際Aマッチ84試合に出場し13得点を記録した。

引退後[編集]

引退後は指導者の道へ進み、2000年ナシオナル・ブカレストのヘッドコーチに就任。パナマ代表のコーチや古巣のFCブラショフの監督などを歴任し、2004年にはサッカールーマニア代表のコーチを短期間務めた。2005年ステアウア・ブカレストの会長に就任したが、現場での仕事を求め、再び監督業に復帰し、2006年から2007年UTアラドの監督を務めた。2007年10月28日にシーズン途中に解任されたマッシモ・ペドラッツィーニの後任としてステアウア・ブカレストの監督に就任し、2007-08シーズンを2位で終えた。しかし、2008年10月21日に行われたUEFAチャンピオンズリーグ 2008-09第3節、対オリンピック・リヨン戦の敗戦(3-5でステアウアの敗退)の責任をとり、翌22日に監督を辞任した[2]

その後、後任のドリネル・ムンテアヌが同年12月16日に成績不振により解任されると、ラカトゥシュが監督に復帰することが、オーナーのゲオルゲ・ベカリにより発表された[3]。同年5月に監督を退任した。2009年10月、FCヴァスルイ監督に任命され、リーグ3位、カップ戦準優勝の好成績を収めたが2010年5月に退任。

2010年9月27日、ステアウア監督に三度目の就任を果たした[4]2011年3月7日FCブラショフ戦での大敗を受けて辞任した。2012年初め、FCMトゥルグ・ムレシュ監督に就任するが、3試合を指揮して2分け1敗と、未勝利のまま辞任。

脚注[編集]

外部リンク[編集]