ポリェンサ

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Pollença

  


マリーア山から見たポリェンサ市街地
 バレアレス諸島州
 バレアレス諸島県
面積 151.65 km²
標高 47m
人口 16,222 人 (2016年)
人口密度 106.97 人/km²
自治体首長
(2015年)
Miquel Àngel March Cerdà[1]
(Junts Avançam[2]
議会構成 [2]
(太字は与党)
Tots per Pollença:6
Junts Avançam:6
Alternativa per Pollença:2
Proposta per les Illes:1
Unió Mollera Pollencina:1
PP de les Illes Balears:1
Pollençaの位置(スペイン内)
Pollença
Pollença
スペイン内ポリェンサの位置
Pollençaの位置(バレアレス諸島内)
Pollença
Pollença
バレアレス諸島県内ポリェンサの位置

北緯39度52分38秒 東経03度00分59秒 / 北緯39.87722度 東経3.01639度 / 39.87722; 3.01639座標: 北緯39度52分38秒 東経03度00分59秒 / 北緯39.87722度 東経3.01639度 / 39.87722; 3.01639
ポリェンサ公式サイト

ポリェンサカタルーニャ語: Pollença, カタルーニャ語発音: [poˈʎɛnsə], スペイン語: Pollensa)は、スペインバレアレス諸島州ムニシピマリョルカ島最北端の自治体であり、フルマントール岬英語版やマリョルカ島北部の観光中心地であるアルクーディアに近い。

地理[編集]

集落[編集]

マリョルカ島におけるポリェンサの位置

ポリェンサの自治体はポリェンサ湾から6km内陸にあるポリェンサ(旧市街)、ポリェンサ湾に面したポルト・ダ・ポリェンサ英語版、やはり海に面したカラ・サン・ビセンス、その他の小規模な集落で構成される。

ポルト・ダ・ポリェンサはポリェンサの旧市街から6km東にあり、複数のホテルやビーチを持つリゾート地となっている。カーラ・サント・ビセンスはポルト・ダ・ポリェンサから山を挟んで2km北東にあり、やはりクララ海岸やモリンス海岸を持つリゾート地となっている。この集落近くには青銅器時代の紀元前1,700年-紀元前1,500年頃に築かれたカラ・サン・ビセンス地下墓群があり、マリョルカ島でも壮観な地下墓である。

  • ポリェンサ : 9,251人
  • ポルト・ダ・ポリェンサ : 6,524人
  • カラ・サン・ビセンス : 262人
  • ラス・パルマレス : 123人
  • ラ・フォント : 59人
  • バルラスグアルド : 59人
  • カン・シンガラ : 52人
  • アエロドロン・ミリタール : 41人
  • アル・ビラー : 27人
人口は2006年時点

人口推移[編集]

ポリェンサの人口推移 1900-2014
出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[3]、1996年 - [4]

フルマントール岬[編集]

ポルト・ダ・ポリェンサから北東には細長いフルマントール半島が伸びており、その先端にはマリョルカ島の最北端点であるフルマントール岬英語版がある。1863年には岬の断崖上にフルマントール灯台が建設され、光源が水面から210m地点にあるこの灯台はバレアレス諸島でもっとも高い位置にある灯台である。地元の住民からは「風が合わさる場所」と呼ばれる。

気候[編集]

ポリェンサの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °C°F 14.4
(57.9)
15.0
(59)
16.1
(61)
18.3
(64.9)
22.2
(72)
26.7
(80.1)
30.0
(86)
30.0
(86)
27.2
(81)
22.8
(73)
18.3
(64.9)
15.6
(60.1)
21.38
(70.49)
平均最低気温 °C°F 3.9
(39)
4.4
(39.9)
5.0
(41)
7.2
(45)
10.6
(51.1)
15.0
(59)
17.8
(64)
18.3
(64.9)
16.1
(61)
12.2
(54)
7.8
(46)
5.6
(42.1)
10.33
(50.58)
降水量 mm (inch) 40.6
(1.598)
35.6
(1.402)
38.1
(1.5)
35.6
(1.402)
33.0
(1.299)
20.3
(0.799)
7.6
(0.299)
17.8
(0.701)
50.8
(2)
76.2
(3)
53.3
(2.098)
53.3
(2.098)
462.2
(18.196)
出典: The Weather Channel Interactive, Inc.

歴史[編集]

古代都市ポリェンティア[編集]

ポリェンティア遺跡

ポリェンサやアルクーディア周辺に人類の存在が見られるのは、紀元前2,000-紀元前1,300年頃のプレタライオティック文化期に遡る[5]。カルタゴとローマが戦ったポエニ戦争時、この地域の住民が投石器で武装した兵士として参加し、バレアレス諸島人は投石の名手であるとする名声が地中海中に広まった[5]

紀元前123年にはローマの元老院が、海上交易活動が盛んになるにつれて増加していた海賊行為の停止やバレアレス諸島の征服を目的として、Quinto Cecilio Meteloを指揮官とする遠征隊を組織した[6]。ローマ人はマリョルカ島に到着すると島の南岸にマリョルカ島の主都としてパルマの町を建設し、さらに島の北岸にポリェンティアの町(現在のアルクーディア近辺)を建設した。ローマ帝国が地中海西部で支配力を失うと、ポリェンティアもローマに合わせてゆっくりと衰退をはじめた[6]。海賊の攻撃を受け、また何度かヴァンダル族にも攻撃されたため、5世紀初頭には町が放棄された[6]。住民はより防御が固く安全な場所に新たな町を建設するためにポリェンティアを去った。

ポリェンサの建設[編集]

ローマ橋

本格的な入植前にもマリョルカ島民とイスラーム教徒の接触はあったものの、イスラーム教徒がマリョルカ島に入植したのは903年のことである[7]。1229年にはキリスト教徒のアラゴン王ハイメ1世率いるカタルーニャ艦隊がムーア人を破ってマリョルカ島を征服した[8][9]。キリスト教徒に支配権が移った13世紀、ポリェンサ湾から6km内陸にカタルーニャ人によってポリェンサの町が設立された。この名称はローマ都市ポリェンティアに由来している。

1236年には町の守護聖人である天使の聖母を祀った天使の聖母教会が建設され、4年後にはハイメ1世からマリョルカ島北部の土地を与えられたテンプル騎士団の手に渡った[9]。テンプル騎士団は1312年に解散したため、その所有物は教会も含めてオスピタリェルス騎士団(後のマルタ騎士団)に割譲された[9]。丸太騎士団は1836年まで教会を所有し、1470年には鐘楼の建設を開始した(約450年後の1921年に完成)[9]。今日の教会は1714年から1790年に建設された[9]

ポリェンサのローマ橋の起源は謎に包まれているが、マリョルカ島においてローマ人の存在を示す数少ない例のひとつと考えられている[10]。このローマ橋の存在は1403年まで文献に登場せず、初出時にはクベリェス橋と呼ばれていたが、19世紀からローマ橋と呼ばれている[10]。ローマ人によってポリェンティアの古代都市に建設された水道橋の一部であると考える研究者もいるが、他の研究者はこの橋がローマ時代ではなく中世に建設されたと推測している[10]。19世紀までは高水位の際にサント・ジョルディ川を安全に渡ることができる唯一の通路だったため、橋の建設年代はともかくこの橋はポリェンサの住民にとって重要な交通路である[10]

ポリェンサには1836年までドミニコ会修道士がおり、現在のポリェンサ博物館に相当する建物は1588年から1616年に建てられた[11]。20世紀初頭にはパリからアングラーダ・カマラサ英語版ティト・シタディーニスペイン語版などの画家がポリェンサにやってきて、これらの芸術家の影響で1960年代には夏季に絵画展が開催されるようになった[11]。1975年にはポリェンサ博物館が公式に設立され、絵画展は30回以上を数える国際造形芸術コンペティションに発展している[11]

政治[編集]

2015年ポリェンサ議会議員選挙結果
政党 筆頭候補者 得票数 議席数 得票率
トッツ・パル・ポリェンサ Bartomeu Cifre 2,065 6 30.09
ジュンツ・アバンサム Miquel Àngel March 1,996 6 29.09
アルタルナティーバ・パル・ポリェンサ Marina Llobera 880 2 12.82
プルポスタ・パル・ラス・イリャススペイン語版(PI) Martí Roca 586 1 8.54
ウニオー・ムリェーラ・ポリェンサ André Nevado 555 1 8.09
国民党(PP) David Alonso 479 1 6.98
GPP Jaume Torrens 203 0 2.96
合計 6915 17 100

文化[編集]

芸術[編集]

ポルト・ダ・ポリェンサのマリーナ

ポリェンサは20世紀初頭から多くの芸術家を集めるようになり、サンティアゴ・ルシニョールアングラーダ・カマラサ英語版(ポリェンサで死去)、ティト・シタディーニスペイン語版(ポリェンサで死去)、ディオニス・ベナサルスペイン語版などが訪れた。ポリェンサ博物館にはコンペティションで入賞した作品や一連のゴシック祭壇画などが展示されており、考古学的性質を持つ作品、仏教の曼荼羅、アティリオ・ボベリのコレクションなども含まれている[11]

アルゼンチンの歌手・女優であるマリリーナ・ロススペイン語版は、軍事政権を逃れてスペインに亡命していた際に「ポリェンサ港スペイン語版」という曲を書き、この曲はサンドラ・ミハノヴィッチ英語版が歌って人気を得た。

イギリスの推理小説家アガサ・クリスティーは、20世紀初頭にポリェンサを訪れてパイン・ウォークにあるホテルに滞在した。1939年に著した『黄色いアイリス』の中には短編『ポリェンサ海岸の事件』が含まれている。

... a small hotel standing on the edge of the sea looking out over a view that in the misty haze of a fine morning had the exquisite vagueness of a Japanese print. — アガサ・クリスティー『ポリェンサ海岸の事件』より

観光[編集]

アル・カルバリオの丘に向かう365段の階段

ポリェンサ旧市街の家のほとんどは17世紀と18世紀に建設された。幅の狭い多くの通りがあり、市街地はコンパクトである。市街地の中央部にあるマジョール広場には数々の屋外カフェが軒を連ねており、マジョール広場の脇には13世紀にテンプル騎士団によって建設された天使の聖母教会が建っている。

ポリェンサの最大の見どころとして、マジョール広場の北側に365段の階段があり、この階段は「アル・カルバリオ」として知られている丘の頂上にある礼拝堂に向かって伸びている。アル・カルバリオの丘は素晴らしい眺望を持つ上に、丘に登るための365段の階段はポリェンサでもっとも印象的な場所となっている[12]。この階段は1年の日数分だけあり、3mの十字架が計14設置されている[12]復活祭聖金曜日にはダバリャメントと呼ばれる行進の舞台となり、この行進はマリョルカ島で行われる復活祭関連の行事で特に重要なものである[12]。天使の聖母教会に向かって、松明に照らされた十字架が完全な沈黙の中で階段を下りる[12]

関連人物[編集]

出身者[編集]

在住者[編集]

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

  1. ^ El Batle” (カタルーニャ語). Ajuntament de Pollença. 2015年12月11日閲覧。
  2. ^ a b El consistori” (カタルーニャ語). Ajuntament de Pollença. 2015年12月11日閲覧。
  3. ^ Poblaciones de hecho desde 1900 hasta 1991. Cifras oficiales de los Censos respectivos.
  4. ^ Cifras oficiales de población resultantes de la revisión del Padrón municipal a 1 de enero.
  5. ^ a b The first human occupation Alcudia Mallorca
  6. ^ a b c The Roman conquest and occupation Alcudia Mallorca
  7. ^ The rise of Alcúdia, Islamic Al-Qudya (10th-13th century) Alcudia Mallorca
  8. ^ The conquest by King Jaume I, creation of the Kingdom of Mallorca (Year 1229) Alcudia Mallorca
  9. ^ a b c d e Parroquia de la Mare de Deu dels Angels Pollensa.com
  10. ^ a b c d Roman Bridge Pollensa.com
  11. ^ a b c d Pollensa Museum Pollensa.com
  12. ^ a b c d El Calvari Pollensa.com

外部リンク[編集]