フレドリック・ラインフェルト

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フレドリック・ラインフェルト
John Fredrik Reinfeldt


任期
2006年10月6日 – 現職
君主 カール16世グスタフ
前任者 ヨーラン・ペーション

スウェーデンの旗 穏健党党首
任期
2003年10月25日 – 現職
前任者 ヤン・フィシェル
後任者 ヘルマン・ファン・ロンパウ

任期
2009年7月1日 – 2009年12月1日

出生 1965年8月4日(48歳)
スウェーデンの旗 スウェーデンストックホルム
政党 穏健党
配偶者 フィリッパ・ラインフェルト(2013年離婚)
子女 3
母校 ストックホルム大学
専業 経済学者
署名

フレドリック・ラインフェルトJohn Fredrik Reinfeldt1965年8月4日- )は、スウェーデン政治家経済学者

第42代首相2006年10月6日 - )、穏健党党首(2003年10月25日 - )。

2006年9月17日のスウェーデン議会総選挙に穏健党を中心とする「スウェーデンのための連合」と名付けられた中道右派連合が勝利した。

経歴[編集]

1965年8月4日、ストックホルム郊外に中小企業を経営する両親の間に生まれる。1983年穏健党青年連盟(青年部)に入る。1990年ストックホルム大学経済学部を卒業する。

1991年26歳でスウェーデン議会総選挙に穏健党から立候補し、当選する。以後、スウェーデン政界にあって右派のホープとして将来を嘱望されてきた。この選挙では穏健党を中心とする中道右派連合が躍進し、カール・ビルト党首が首班となって連立政権を樹立している。

1992年から1995年まで穏健党青年連盟議長を務め次代のホープとして台頭する。1995年から1997年までヨーロッパ保守政党の国際青年組織である欧州民主主義青年委員会(DEMYC)議長を務める。

物静かで合理的な性格からカール・ビルト元首相とはそりが合わないとされた。1999年ビルトが党首を辞任後、党内地盤を強化し、同時に中・低所得者層への減税を打ち出した。

2006年9月17日総選挙で穏健党を中心とする中道右派連合が勝利し、同年10月5日議会によって首相に選出された。スウェーデン首相としては戦後最年少記録の41歳。新政権は、従来の福祉政策の一部を見直し、雇用拡大を図るとされる。具体的には、減税や規制緩和失業保険の削減、国営企業の民営化などが検討されている。また、ユーロへの参加については、今後4年間は国民投票を見送る一方で、NATOに関しては、中立の伝統を脱して加盟を目指すとしている。

2009年7月から12月まで欧州理事会議長を務める。

2010年9月20日のスウェーデン総選挙で与党連合を率い、モナ・サーリン党首の社会民主労働党が主導する野党3党に49.2%の得票率で172議席を確保し勝利した。だが、過半数には3議席達しなかった。[1]

ストックホルム北部テービー市長である先妻フィリッパとの間に3人の子供がいる。趣味掃除切手の収集。

外部リンク[編集]

脚注[編集]

  1. ^ http://www.afpbb.com/article/politics/2758021/6209162


公職
先代:
ヨーラン・ペーション
スウェーデンの旗 スウェーデン王国首相
第42代:2006 -
次代:
(現職)
先代:
ヤン・フィシェル
欧州連合の旗 欧州理事会議長
第71代:2009
次代:
ヘルマン・ファン・ロンパウ
党職
先代:
ボー・ルンドグレン英語版
穏健党党首
2003 -
次代:
(現職)