フリー (バンド)

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フリー
Free
基本情報
出身地 イングランドの旗 イングランド ロンドン
ジャンル ハードロック
ブルース・ロック
活動期間 1967年 - 1971年
1972年 - 1973年
レーベル アイランド・レコード
A&Mレコード
共同作業者 バッド・カンパニー
フェイセズ
旧メンバー
ポール・ロジャース(vo)
ポール・コゾフ(g)
アンディ・フレイザー(b)
サイモン・カーク(ds)
山内テツ(b)
ジョン"ラビット"バンドリック(key)

フリー (Free)は、ブルースを指向するミュージシャンによって結成されたイギリスロックバンド1967年に結成され、1度解散し72年にオリジナルメンバーで再結成された1973年に解散。

メンバー[編集]

Free At Last発表後から解散まで

テツとラビットはフリーが一度解散したときカークとコゾフとコゾフ・カーク・テツ・ラビットを結成しアルバムも発表している。

概要[編集]

ブルースとソウルの要素を併せ持った独特のサウンドで初期のハードロックを形作った。枯淡で老成した音楽性との対比でメンバーの若さにも注目が集まった(オール・ライト・ナウがチャート入りを果たした時のメンバー平均年齢20歳)。 メンバー同士のエゴが頻繁に衝突し、1971年5月の一橋共立講堂における初来日公演の直後に解散。

その後各人が独自の活動に入ったが、コゾフ・カーク・テツ・ラビットの同名アルバムが好評を博したことと、重度のドラッグ癖で活動に支障をきたしていたコゾフを救おうという意図のもと、1972年2月に再結成。同年6月にオリジナルメンバーに山内とラビットを加えた陣容で『Free At Last』を発表した。

しかし、まもなくフレイザーが脱退。山内が正式メンバーとなり、ロジャースがギターを兼任するようになる。この体制で1972年7月、エマーソン・レイク・アンド・パーマーとともに再来日(コゾフは不参加)。山内の凱旋が実現した。1973年初頭、『Heartbreaker』発表後、バンドは自然消滅のような形で解散した。

その後ロジャースとカークはバッド・カンパニーを結成。コゾフはフリーに関わったメンバー全員の参加を得てソロ・アルバム『BACK STREET CRAWLER(バック・ストリート・クロウラー)』発表後、新メンバーを集めアルバム名と同名のバンドを始動させたが、1976年に心不全で死去。山内はフェイセズに参加。フレイザーとラビットも音楽活動を続けた。

『ファイアー・アンド・ウォーター』に収録され、シングル化もされた「オール・ライト・ナウ」は、その後さまざまなロック・コンピレーション・アルバムに収録され、ロック・クラシックとなっている。

各国での評価の違い[編集]

フリーは母国イギリスでは伝説的バンドとして高く評価されているが、日本においても人気があるバンドである。一方その「地味さ」が「暗さ」といったように裏目に出たのか、アメリカでは「オール・ライト・ナウ」が大ヒットしたものの、バンドとしては今一つ人気が定着しなかった。

よって、フリー解散後の1974年ポール・ロジャースとサイモン・カークが参加し結成されたバッド・カンパニーは、フリーの要素に加えて、「アメリカうけ」を狙ったものであった。実際バッド・カンパニーは本国イギリスや日本よりも、アメリカにおいて大きな支持を集めることとなった。

ディスコグラフィ[編集]

オリジナル・アルバム[編集]

  • Tons Of Sobs - トンズ・オブ・ソブス (1968)  did not chart UK, #197 US
  • Free - フリー (1969)  #22 UK
  • Fire And Water - ファイアー・アンド・ウォーター (1970)  #2 UK, #17 US
  • Highway - ハイウェイ (1970)  #41 UK, #190 US
  • Free Live! - フリー・ライヴ (1971)  #4 UK, #89 US
  • Free At Last - フリー・アット・ラスト (1972)  #9 UK, #69 US
  • Heartbreaker - ハートブレイカー (1973)  #9 UK, #47 US

ベストアルバム[編集]

  • The Free Story - フリー・ストーリー (1974) #2 UK

脚注[編集]

  1. ^ フレイザー脱退と同時期に正式メンバーから外れ、以降はゲスト参加扱いとする見方も存在する。だが、サイモン・カークは『ハートブレイカー』レコーディング時を回想して「コゾフの体調を見計らってレコーディングしていたがなかなか進まず、やむなくサポートギタリストを迎えて手早く録音を終えた後に、もうコゾフとは一緒にやれないなと思った」と語っており(『レコードコレクターズ』2010年5月号「ブリティッシュロックの肖像」)、少なくとも『ハートブレイカー』録音時までは、バンド側はコゾフを正式メンバーと考えていたと思われる。

外部リンク[編集]