ハーレム・スキャーレム
ハーレム・スキャーレム (Harem Scarem) は、カナダ オンタリオ州トロントを拠点に活動するハードロックバンド。
バンド名はアニメ『バッグス・バニー』に出てくるキャラクター名からとられたもの。
目次 |
[編集] 結成〜バンド名変更まで
結成は1988年ころ。当時、Blind Vengeanceというスピードメタルバンドにいたハロルド(ハリー)・ヘス(vo)とダレン・スミス(ds,vo)、Minotaurなるバンドでギターを弾いていたピート・レスペランス(g,vo)、地元で音楽学校に通いながらポルカバンドでベースを弾き、DJの経験もあるマイク・ジオネット(B,vo)の4人で結成される。 結成後、レコード会社のディールを得るためデモテープの作成に励みながら、地元FMラジオ局のコンテストに参加、2位という成績を収め、この結果ワーナーとワールドワイド・レコード契約を結ぶ。
1stアルバム制作はマーク・リブラー等外部ライターの協力も得ながら進められ、1991年『Harem Scarem』としてリリースされる。これをサポートするツアーとして1992年まで北米を中心としてツアーが行われる。
ツアー終了後2ndアルバムの制作に取り掛かり、1993年『Mood Swings』をリリースする。「Change Comes Around」「No Justice」「Saviors Never Cry」などの曲がこのアルバムに収録されている。
またこのアルバムは日本・フィリピン等のアジア諸国でヒットし、特に日本では1990年代に入り低迷気味であったハードロック・ヘヴィメタル界に歓迎を持って受け入れられた。2ndアルバムの成功により、1stアルバムが本国から遅れること3年、1994年に日本でも発売となった。ただ、この日本での成功および『Mood Swings』の成功が後々まで彼らを苦しめることになる。
2ndアルバムに伴うツアー終了後、3rdアルバムを収録、発表する。『Voice of Reason』と題されたこのアルバムは当時の音楽シーンに合わせた重くやや暗めのサウンドとなり、本国ではそれなりに歓迎されたが、日本では2nd,1stの順に発表されたことやBURRN!など音楽雑誌で一様に低調に評価されたためか、評価は今ひとつであった。現在でも、メンバーはお気に入りとして挙げることも多い一方、日本での評価は当時ほどではないがあまり宜しくない。
このアルバム発表直後マイク・ジオネットが脱退し、代わりのベーシストとしてローカルバンドで活躍していたバリー・ドナヘイが加入した。またアルバム発表後のツアーでは来日の予定も組まれ、1995年12月、初来日公演が行われた。このときのライヴの模様は『Live in Japan』に収録され、1996年に発売された。
若干の休養を経て4thアルバムの制作に取り掛かるが、前作の売れ行き低迷を受け人気低迷を懸念したレコード会社の意向により、明るくポップな曲も織り込んだ『Mood Swings』のような作風を求められ(メンバーも後にそれを認める発言をしている)、デビュー前からのストックから選曲・アレンジを行うなど、本人達とすればやや不本意な形でアルバム制作が進められた。結局4thアルバムは1997年に日本などでは『Believe』、本国カナダでは『Karma Cleansing』という異なるタイトル・収録曲・アートワークでリリースされた。日本盤である「Believe」では、「Believe」「Die Off Hard」「Staying Away」(ダレン・スミスがリードヴォーカルを担当)などの疾走感あふれる、メロディックな曲が歓迎され、高い評価を得た。1997年9月には2度目の来日を果たす。このツアー中に、チープ・トリックの「サレンダー」をカバーしたことがきっかけとなり、パワー・ポップ風の作風にシフトしていく。
1998年には5th『Big Bang Theory』をリリースしたが、この作品ではバンドの売りの一つでもあるピート・レスペランスのテクニカルなギターソロおよび重厚なコーラスは影を潜め、ハードなパワーポップという作品となった。アルバムリリース後すぐの1998年9月には早くも来日公演を行い、このツアーで1st、2ndからの曲を多数演奏したが、一方「同じことは二度とやらない。過去の演奏はもう十分だ」といった、過去の楽曲に関しては一部を除き封印することを匂わせるような発言をしていた。
そして、1999年。バンドは一大決心を下す。日本以外ではバンド名を改名、ラバー(Rubber)と名乗る、つまり地域によりバンド名を変えて活動を行うという前代未聞の決定を下したのである。日本ではHarem Scaremで成功しているが、それ以外の国、特に北米では名前だけで時代遅れのヘアメタル・バンドだと思われていて音楽を聴いてもらえない、というのが改名の理由であった。それを表すかのように1999年に発表された6thアルバム「Rubber」はハリー・ヘスの、ハードロック・ヴォーカリストでは一般的な喉から押し出すような太めの声を封印し、ピート・レスペランスもギターをシングルコイル・ピックアップ搭載のものに持ち替え、曲調もさわやかではあるが穏やかな、軽めのカントリーミュージックのようなサウンドとなり、声に聞き覚えがなければブリットポップと間違うようなサウンドであった。同年11、12月には公演数・箇所とも過去最大規模の来日公演が行われたが、前半ラバー・後半ハーレムスキャーレムというような構成をとった。
またツアー後、ドラムのダレン・スミスの脱退、新ドラマー、クレイトン・ドーンの加入、日本でもラバーを名乗るという報告がなされた。
[編集] ラバー・再び改名へ
バンド「Rubber」として、デビューアルバム『Rubber』を2000年に本国でリリースした彼らは、1stシングル「SunShine」もまずまず好評で、いくつかのフェスティバルにも出演。ビデオクリップも作成したがレコード会社であるワーナーのサポートもなく、思うような結果は残せなかった。クレイトン・ドーンを迎えての初のオリジナルアルバム『Ultra Feel』は2001年にリリースされるも、このアルバムをもってワーナーとの契約が終了し、新たなディールを探さなければならなかった。リリース後、同年4月に行われた来日公演で、彼らは音楽性を元に戻しMood Swingsのようなアルバムを来年リリースし、Harem Scaremの名前で活動を行う旨を発表した。レコード契約も、ヨーロッパ等ではNow&Then、日本ではアヴァロンとの契約を行った。
[編集] 再改名~現在
Harem Scaremとして活動を再開した彼らは、予告通り、2002年2月アルバム『Weight Of The World』をリリースした。このアルバムで、パワー・ポップ調の曲も取り入れつつも、また特徴であったテクニカルなギターソロ・重厚なハーモニー(元メンバーのダレン・スミスが参加)といったヘヴィな音像を取り戻した。同年7月には来日公演を行い、イギリスで行われたレーベル主催のGODSフェスティバルにも出演し、復活をアピールした。
2003年8月にアルバム『Higher』、2005年5月に『Overload』をリリース。合間にメンバーそれぞれがソロ活動なども行う。2006年11月にはアルバム『Human Nature』がリリースされた。
2007年5月には約5年ぶりとなる来日公演(東京、大阪)の日程がアナウンスされるも、2007年7月20日、ボーカルのハリー・ヘスにより「後1枚のスタジオアルバムを作った後、バンドはそれぞれ別の道を進むことを決めた。9月、10月のツアーが最後のツアーとなるであろう」という声明が出された。バンドは予定通り、9月26日~28日の日程でサイレントフォースとのカップリングにて来日公演を行った。
[編集] メンバー
[編集] 現メンバー
- 本名ハロルド・ジョン・ヘス(Harold John Hess) 1968年7月5日 カナダ オンタリオ州 オシャワ生まれ。Fanshawe Collegeなる音楽学校時代でレコーディング・プロデュース学を学ぶ。この学校在籍時代にダレン・スミスと出会いBlind Vengenceを結成(Blind Vengenceの音源は再発により現在でも入手可能)。バンドではキーボード、ギターもプレイしている。また、歌詞全般と作曲を担当している。初期の作品では彼一人で書かれたものも多い。総じてラブソングは苦手。より哲学的で、意味難解な歌詞を書く傾向がある。プロデュース業にも力を入れており、Studio Vespaでレコーディングを行ったり、地元のアイドル・バンドなどさまざまなプロデュースを行っている。
- ピート・レスペランス Pete Lesperance ギター、ボーカル
- 本名ピーター・レスペランス(Peter Lesperance) 1968年10月13日 カナダ オンタリオ州 スカーボロー生まれ。8歳のころ母親の勧めでギターを始める。キッスのライヴを見たことでプロになることを決意し、さまざまなバンドに参加して腕を磨く。地元では有名バンドであったMinotaurに在籍した後、ハーレム・スキャーレムへ加入。ギターヒーローは、エドワード・ヴァン・ヘイレン、スティーヴ・ヴァイ、ロニー・ル・テクロなど。リードヴォーカルを取ることは少ないが、低音でコーラスを入れており、自らのバンドFairGroundではギター・ヴォーカルを務める。ハーレム・スキャーレムでは主に作曲を担当。ギターはキャパリソン、アイバニーズやギブソン、アコースティックギターはタカミネを愛用している。
- 1966年9月7日 カナダ オンタリオ州 ストラトフォード生まれ。地元ではパンキッシュでヘヴィーな音楽を身上とするバンドで活動していた(本人曰く、「物議を醸すようなバンド」だったらしい)。1995年にマイク・ジオネット脱退に伴い加入。DieOffHardのビデオなどで見られるように、ハリネズミのような髪型で跳ね回る。堅実なベースプレイと、ハイトーンな声が持ち味で、バンドのボトムライン・ダレン脱退後のコーラスワークを支える。
- 作曲も行うが、彼曰く「フォークソングみたいな曲ばかり」らしい。
- 1968年8月12日 カナダ ノバスコシア州 トゥルーノ生まれ。スタジオミュージシャンなどをしていたとのこと。その後2001年に当時のRubberに加入。バンドではドラムに専念しており、コーラスは入れないが、ソロアルバムをリリースするほどのヴォーカルの持ち主。一見とっつき難そうだが、実はかなり明るいキャラクター。
[編集] 過去在籍メンバー
- 結成から3rd「Voice of Reason」までのベーシスト。結婚を期にロサンゼルスに移住し音楽サプライ店なども営んでいたが、今はカナダで別のビジネスをしているらしい。ベースは未だプレイしているとの事。
- 1965年12月5日 イギリス ロンドン生まれ。英国紳士とはおよそかけ離れた、豪快な性格の持ち主。ハリーとは音楽学校時代からの盟友で、BlindVengeance時代からドラム・ヴォーカルを担当していた。アイドルはジョン・ボーナム。パワフルなドラミング、アコースティックセットでのギターのほか、ハーレム・スキャーレムのもう一つの声といってもよいほど存在感のある声で、重厚なコーラスワークの核であった。「Sentimental Blvd」「Staying Away」ではメインボーカルも担当した。2000年に自らのバンド「JUICE」に専念するため脱退。その後エメラルド・レインなどにスポット参加した後、現在は自らのバンド、ブラック・スター(ダレン・スミス・バンド)を結成している。なおステージ上での尻出し等のコミカルな演出は、彼の名物であった。
[編集] ディスコグラフィ
[編集] Harem Scarem名義
[編集] オリジナルアルバム
- ハーレム・スキャーレム(Harem Scarem) 1991年
- ムード・スウィングス(Mood Swings)1993年
- ヴォイス・オブ・リーズン(Voice of Reason) 1995年
- ビリーブ (Believe 本国では、Karma Cleansing)1997年
- ビッグ・バン・セオリー(Big Bang Theory) 1998年
- ラバー (Rubber)(海外ではRubberデビュー作)1999年
- ウェイト・オブ・ザ・ワールド (Weight Of The World)2002年
- ハイヤー (Higher)2003年
- オーバーロード (Overload)2005年
- ヒューマン・ネイチャー (Human Nature)2006年
- ホープ (Hope)2008年
[編集] ライヴアルバム
- ライヴ・イン・ジャパン(Live in Japan) 1996年
- ライヴ・アット・ザ・サイレン(Live At The Siren) 1998年
- ラストライヴ(Last Live) 2000年
- ライブ・アット・アット・ザ・ゴッズ2002(Live At The Gods 2002) 2002年
- ロウ・アンド・レア(Raw And Rare) 2008年
[編集] ベストアルバム
- 1998年 ベスト・オブ・ハーレム・スキャーレム(Best Of Harem Scarem) ※日本盤、カナダ盤、欧州盤で曲が異なる
- 1999年 「バラード・ベスト・オブ・ハーレム・スキャーレム」Ballads
- 2001年 「ロック・ベスト・オブ・ハーレム・スキャーレム」Rocks
- 2002年 「ヴェリー・ベスト・オブ・ハーレム・スキャーレム」The Very Best of Harem Scarem
[編集] 企画盤その他
- ライヴ・アンド・アコースティック 1994年
- ビリーブ・スペシャルエディション 1997年
- カナダ技巧派集団来日記念盤 (Live Ones)1997年
- Bサイドコレクション 1998年
- アーリーイヤーズ(The Early Years) 2003年
- The Essentials 2005年
- One For All, All For One -東日本大震災チャリティ・アルバム 2011年
[編集] ビデオ
[編集] Rubber名義
- ウルトラ・フィール(Ultra Feel)2001年