ハウス・デア・クンスト

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2009年のハウス・デア・クンスト

ハウス・デア・クンスト(独:Haus der Kunst、「芸術の家」の意)はドイツミュンヘン市プリンツレーゲンテンシュトラーセの英国式庭園南端にある美術館・展覧会会場。1937年の開館から1945年のドイツ敗戦までの間は、ハウス・デア・ドイチェン・クンスト(独:Haus der Deutschen Kunst、ドイツ芸術の家)と呼ばれ、所有コレクションを一切持たない純粋な展示館であった。当時の館長はベルギー人キュレーターのクリス・デルコン。建物をデザインしたのは建築家のパウル・ルートヴィヒ・トローストde:Paul Ludwig Troost)と、同じく建築家で彼の妻ゲルディ・トロースト(de:Gerdy Troost)で、ミュンヘン建築事務所建築主任のレオンハルト・ガル(de:Leonhard Gall)の協力を得て落成に至った。

日本語における呼称には揺れがあり、ドイツ語の発音を仮名表記した本記事表題以外に、和訳である「芸術の家」も用いられるほか、原語表記のまま記したり英訳であるHaus of Artが使われることもある。

歴史[編集]

1937年、ハウス・デア・ドイチェン・クンスト開館記念式典の様子

ミュンヘンの旧植物園内には、バイエルン王マクシミリアンII世の命による有名な水晶宮があり、美術展会場として用いられていたが、1931年に火災にあって焼け落ちてしまった。これに代わる建物を建設する構想は早くも1931年の内にまとめられ、ドイツ人の建築家アドルフ・アーベルde:Adolf Abel)に設計が委任された。1933年春、この計画による工事が始まるやいなや、1月に政権を取って全権委任法を成立させていたナチス党班首アドルフ・ヒトラーがこれに待ったをかけ、もともと水晶宮があった現行の用地ではなく新用地を模索し、トローストによる新計画を実行するように命じた[1]

こうして、トローストのデザインに基づく国家社会主義政権はじめての象徴的建築が、政府の強引な介入によって実現した。ヒトラー列席のもと、新しい「ドイツ芸術の家」定礎式典が1933年10月15日に行われた[2]。ヒトラーの望んだ、石造りの古典主義的な外観を呈していたが、建築構造としては近代的な鉄筋コンクリートによるものであった。以下18名の設立援助者の名が開館記念銘板に記されている。

この展示館において1937年7月18日、第一回「大ドイツ芸術展」が開催された。期を近くして、ホーフガルテン・ギャラリー(現ドイツ映画博物館)において「頽廃芸術展」が開かれた。1939年からは毎年「ドイツ芸術の日」展がアドルフ・ヒトラーの演説とともに開催された。年に一度の美術品展示即売会の向きも兼ねて1944年からは「大ドイツ芸術展」が開かれた。初代館長はカール・コルプ(Karl Kolb)だった。

批判もあったものの、「ドイツ芸術」の殿堂、つまり国家社会主義的芸術の喧伝は商業的コンセプトのもとに始まったこともあり、展示館は集客の一助とすべく広いダイニングエリアを備えていた(リニューアルオープンした今日でも「ゴールド・バー」や「メイン・レストラン」、「ビアホール」が残っており、現在ビアホールにはディスコの「P1」が入居している)。展覧会の主たる目的は美術品の販売にあった。ヒトラーは上客であり、またパトロンとして演出された。米国占領期には、展示館の建物は米軍士官のカジノとして使われた。このとき、バスケットコートが設けられたが、美術館としての再開館後もコートのライン跡が残っていたという逸話がある。 1949年以来毎年、ミュンヘンにおける大きな美術展がハウス・デア・クンストで開催されている。2007年には、173人の芸術家の200点以上の作品が展示された。ピナコテーク・デア・モデルネが開館するまでは建物の西翼が国立現代美術ギャラリーとして使われ、東翼は特別展会場として用いられた。

2003年から2004年にかけて、20世紀の定礎から70年にちなんで、オリジナルの内装様式に復古改装された。

著名な展覧会(抄録)[編集]

以上の展覧会情報については、ミュンヒナー・フォルクスホッホシューレ(ミュンヘン生涯学習学校)による資料に基づきました。

参考文献[編集]

  • Hans Kiener: Das Haus der Deutschen Kunst zu München. In: Grosse Deutsche Kunstausstellung 1938 im Haus der Deutschen Kunst zu München, 10. Juli – 16. Oktober 1938, Offizieller Ausstellungskatalog. 3. Auflage, Verlag F. Bruckmann KG, München 1938, S. 17-25
  • Peter Ade (Direktor, 1947–1983): Picasso, Kokoschka und all die anderen ... Meine abenteuerlichen Jahre für die Kunst. 2001, ISBN 3-485-00872-9
  • Sabine Brantl: „Haus der Kunst, München. Ein Ort und seine Geschichte im Nationalsozialismus“. Allitera Verlag, München 2007, ISBN 3-86520-242-X
  • Stefan Schweizer: „Unserer Weltanschauung sichtbaren Ausdruck geben“. Nationalsozialistische Geschichtsbilder in den historischen Festzügen zum „Tag der Deutschen Kunst“ 1933 bis 1939. Wallstein-Verlag, Göttingen 2007, ISBN 978-3-8353-0107-8
  • 以上のドイツ語参考文献は、翻訳元のドイツ語版記事が挙げていたものであり、日本語版執筆にあたって直接参照はしておりません。

脚注[編集]

  1. ^ Karl Arndt: Münchener Architekturszene 1933/34 als ästhetisch-politisches Konfliktfeld. In: Martin Broszat, Elke Fröhlich und Anton Grossmann (Hrsg.): Bayern in der NS-Zeit. Bd. III: Herrschaft und Gesellschaft im Konflikt, S. 443–484. Oldenbourg, München 1981 ISBN 3-486-42381-9, 9783486423815
  2. ^ http://www.hausderdeutschenkunst.de/geschichte/geschichte.html

関連項目[編集]

外部リンク[編集]